宣告を受けて | 異型子宮内膜増殖症から子宮体癌と診断されたBearの日記

異型子宮内膜増殖症から子宮体癌と診断されたBearの日記

2014年11月 異型子宮内膜増殖症と診断され
2015年2月に掻爬手術を受けるも体癌1aとの診断となりました。
2015年4月に単純全摘(卵巣含む)手術をしました。

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ガンと言う病気は身近な場所にありました。


まだネットが普及していない頃

母が子宮がんとなり卵巣とも全摘出。

のちに排尿障害とリンパ浮腫の後遺症にとても苦しみました。

もし全摘することになったら何よりも私はこれが怖い。


数年前に他界した主人もガンでした。


女性にとって特に婦人科系のガンは

どちらかと言うと避けて通れないような

そんなイメージもありました。


なのに検診にも行かなかったと言う…


前の記事にも書いたけれど

主人を亡くしてからは生きる事への執着心が

あまりない…


そんな私でも毎日が平穏に過ぎていくのが

もったいなくてありがたくて。


闘病生活6年近く。

亡くして6年目。


主人の親はいたけど実の息子を看取る事を

放棄した人達でした。


主人には私しかいない。


ガンと言う病気になってどれほど怖かったでしょう。

それでも私や周りの人を労わってくれる

優しい人でした。


実はつい最近、やっと納骨したんです。

色々言う人もいたけど寂しすぎて

手放せなかった。


主人を亡くして支えていたものを失い

どう生きて行けばいいか分からないまま

6年が過ぎました。


もう生きていてもしょうがないかな。

ずっと思ってた。


もし死んで会えたら(会えるワケがない)

寂しくないからそうなってもいいなとか。(笑)


だから今回病気になってなんとなくだけど

「来るべき時が来たかな」と言う気もしました。

周りからはまだはっきり決まったワケじゃないんだからと

叱られてますw



中には「まだ悲しいの?」とか「生きてるんだから

旦那さんの分まで生きなくっちゃ」と言う人もいるけど

ホントの悲しみはその人当事者しか分からない。


ある人に「もう6年も経つのにまだこんな風なんですよ」と言うと

「それだけ深い傷を負ったのだから。」と

言って下さった一言に救われました。


私も同じような経験をした人にそう言葉をかけてあげたい。


私には親もなく、近くに身内はいません。

妹は晩婚ながらも遠く離れてしまいましたが

とっても幸せに暮らしてます。


そんな妹に迷惑はかけれない…

病気になっても一人で最期まで迷惑をかけずに

生きる方法を見つけなければ。


さてどうするかなぁ…


って結果まだ出てないじゃん(笑)