池袋は、当時埼玉に住んでいた自分にとって“都会への入り口”のような場所だった。埼京線に乗ればすぐに行けて、地元では手に入らないCDを探しに行ったり、友達と飲んでカラオケをしたり、自然と足が向く街だった。
職探しの時期には、サンシャインのハローワークにも通った。広くて明るい雰囲気で、気持ちが少し前向きになれたのを覚えている。映画館にもよく行った。人が多い印象はあったが、どこも綺麗で居心地が良かった。
初めて友達とキャバクラに行ったのも池袋だった。店名は「ヘブンズドライブ」。当時ラルクの曲が流行っていた時期で、名前の由来もそこからだろう。45分7,000円で延長せずに退店したが、正直あまり楽しめなかった。こちらが話しても会話が続かず、「こういう場所は向き不向きがあるんだな」と感じた。
一方で、池袋は初めて大人の遊びを経験した街でもある。サンシャイン通りには当時イメージクラブがあり、そこで遊んだこともあった。料金は高かったが、距離の近さもあってキャバクラよりは楽しめた。ただ、使っている金額を冷静に考えた瞬間があり、そこで一度区切りをつけた。時代が進むにつれ、イメクラは減り、無店舗型のサービスが主流になっていったが、自分はそちらには行かなかった。
会社帰りに一人で飲んだのも池袋だった。プロントのバータイムを知らずに入って飲んだビールが妙に美味しくて、ウーロンハイを初めて飲んだのもここだった。他の店で飲んだとき、濃さが全然違って驚いたこともよく覚えている。
池袋は東京のど真ん中でありながら、どこか親しみやすく、肩の力を抜いて過ごせる街だった。若い頃の自分にとって、池袋は“背伸びをしながらも安心できる場所”だったのだと思う。