2011年4月30日am3:00~
5月1日まで、北茨城に
行ってきました。
その模様を2話に渡り綴(つづ)ります。
--------------------------------------
たどった経路は↓
三郷から常磐道へ。
広野~常磐富岡間は、震災(原発など)の
影響で通行止め。
時間が時間なので、GWとはいえ、
道路は、比較的空いていましたが、
運送のトラックが大部分を占めていた
印象を受けました。
まずは、お墓にあいさつに向かいます。
全体を写した画像では、
なんら通常と変わらない風景に感じますが、
実際には、
幸い我が親戚の墓石は、
灯篭が1基倒れてはいたものの、
墓石に関しては、竿(さお)の部分の
接着とコーキングが剥離して、
ズレただけでおさまっていました。
しかし、霊園のほとんどの灯篭が倒れている
のが現状です。
墓石は思った以上に重く、
横倒しの竿の部分を起こすだけでも一苦労。
持ってみた感覚で推定80kg~100kgはあるかも。
-------------------------------------
鈴鈑ネコこと、「楓(かえで)」も
一緒です。
自分でご飯が食べれないので、
さすがに家で留守番というわけにいきません。
霊園の芝生で日向ぼっこしています。
---------------------------------
そして、水戸を出発し、
一路、北茨城へ。
(日立の親戚とは、北茨城で合流することに
なり、今回日立には立ち寄りませんでした)
災害支援の自衛隊車に追い抜かれます。
立ち寄ると、
そりゃ、人が運転してるんだから、
トイレ休憩するよな~。
『がんばって下さい』
と、手を振り(もちろん立場上、自衛隊員
は手を振り返しませんが・・・)、
我々は、北茨城インターで下ります。
磯原周辺に到着。
・・・・・・・・・。
・・・写真を撮っていて、罪悪感を感じます・・・・。
もろに津波の被害を受けた地域です・・・。
花束が手向(たむ)けらている家屋も
ありました・・・・。
先へ進みます。
この辺りでは、当時(3/11)、
震度6強を記録しています。
5弱しか経験していない私には、
未知の世界です。
遠くの建物が見える方向が大津港です。
右側には、打ち上げられたように見える
船があります。
今回、大津港には向かいませんでした。
ガチャガチャになっています。
本来は、キレイに線がそろっているものなのに。
津波で削られた跡がありました。
白波が立っています。
ズトンっ!
ん???
何だ、今の?
身体が縦の振動を受けました!
4月30日14時12分
震源:茨城県沖
震度4
「やべやべやべ!津波来る!津波来る!」
(ダッシュで浜辺から退避)
地元の人からすれば、こんなんで津波は来ない、
と言われそうだが、
知らぬ私たちからすれば、ただただ恐怖。
岩手や宮城で津波から逃げた人々の
恐怖感が少しでも体感できた瞬間でした。
走っても走っても浜辺から抜け出せません。
高台へ逃げるのに、
「津波到達時間 30分前後」
は、あまりにも短い時間です。
色んな現実が、そこにはありました・・・。
つづく・・・