安倍元総理が逝去されて、間もなく一週間。
現実の生活や仕事の合間に、安倍元総理の情報をつい探ってしまっています。
ふとYouTubeで、安倍元総理の答弁をいくつか見ていたのですが、改めて感じるのが、その巧みさですね。
ちょっといくつか紹介します。
辻本の煽りを斜めに受け止めてユーモアで返して、答弁をコント化してしまっていた安倍元総理。
一枚も二枚も上手ですね。
国会中継を視聴していると、一部を聞いているだけで、野党の愚にもつかない質問に、一般人の私でも腹立たしくなっているのに、それを連日のように辛抱強く、そしてこのようにユーモアで返していた柔軟さが、長期政権につながっていたのでしょうね。
トランプさんが親友を失ったがごとくのコメントを出し、プーチンが心のこもった弔意を示し、他にも世界中の多くの首脳たちが、単なる儀礼を越えた弔意を示しているのも、いかに交渉を通じて相手の心をつかんでいたかが分かろうというもの。
『猛獣使い』の二つ名がついたことが、何より交渉上手だった証明です。
国会答弁をユーモアで乗り切ったのも、その一端だったのが、改めて分かります。
単なるがなりおばちゃんをして、国会芸人化させたのは、凄いことだと思います。
多くの政治家が、辻本の対処に苦慮してきたのですから、それと比べれば分かります。
お次はこちら。
これは当時報道されたこともありますから、ご存じの方はいらっしゃるでしょう。
安倍総理(当時)が、言論機関に圧力をかけたから、政権に批判的なテレビキャスターやコメンテーターが次々に降板になったと言いがかりをつけてきたことに対して、返した発言です。
(まるで言論統制がされているかの発言をされたが)日刊ゲンダイを読んでみてください。これが萎縮している姿ですか?
ぐうの音も出ませんね。
あのような論調を繰り返すなら、言論統制する国ならば、真っ先に発禁になるでしょう。
2年ほど前の、香港の言論統制ぶりを見れば、一目瞭然でしょう。
ロシアなども、言わずもがなです。
韓国でも、産経新聞記者が拘束され、裁判にかけられたのを見ても、分かりますね。
そのあと質問者(民主党階猛議員・当時)が取って付けたようにNHK会長を引き合いに出そうとしたものの、当の会長に『不偏不党を貫いている』とぴしゃりと返されていました。
役者が違いますね。
まあ民主党議員(当時)の勉強不足が大きかったでしょうが。
実は安倍氏のすごさは、攻撃側に立った時がさらによく分かると思います。
第二次安倍内閣が発足するきっかけとなった、当時はまだ野党だった安倍自民党総裁(当時)が、野田総理(当時)を追い詰め、解散の日にちまで確約させた質問を振り返ります。
事の発端は、消費税引き上げの法案を通すために、当時政権を担っていた民主党が、野党だった自民党と公明党とともに、法案を通すことを協力する代わりに、「近いうちに国民の信を問う」という合意がなされたものの、それを守ろうとしなかったことに追及した結果、野田総理が解散を『明後日にやるぞ』と確約したシーンです。
実に安倍総裁(当時)の追及の切れ味のすごさが、見えてきますね。
そして言いがかりに対する返しが、こちら。
民進党(当時)の議員が、朝日新聞の記事を元に、安倍総理(当時)がGPIF(年金積立管理運用独立行政法人)に指示して、アメリカのインフラ投資に資金を投資させて、アメリカに経済協力をしようとしたのでは?という質問をした際の返しです。
総理の権限で、独立行政法人の運営方針に命令することは法律上出来ないのですが、いかにもそれをやっているように、朝日新聞が書き立て、追及しようとしたものの、『新聞が間違えている』と返され、質問側がしどろもどろ、そしてヤジが飛んでくるのに総理が返して「これ、タウンミーティングなんでしょ?」と煙に巻くシーンです。
まあ、役者が違うというところでしょうか。
こういうシーンはいくらでも出てきますが、きりがない位ですので、この辺にします。
最後に意外な一致で質問側が面食らい、感動して思わず「何が何でも反対ばかりしているわけではない」という発言すら出てしまった答弁を紹介します。
共産党の小池氏と言えば、何が何でも安倍総理(当時)のいう事は反対という姿勢を貫いている人ですが、総理が小池氏の質問に完全に賛同したために感動し、動揺を隠せなかったシーンです。
その後の報道でも、小池氏が意見が一致し、感動していた発言をしていた珍しい場面でした。
共産党の意見でも、見るべきことがあれば、受け入れることがある。
そういう柔軟性を持っていたのです。
こういうところを見ても、いかに偉大な政治家だったかが分かります。
返す返すもいらっしゃらなくなったことが、残念無念です。