先日安倍総理を内乱罪で告発出来るという謎理論を掲載したタブロイド紙という記事をアップした際、あるコメントを頂戴しました。

 

ご意見の主旨は、以下の様なものでした。

 

1.多数決は決定手段の一つに過ぎず、これを使ってさえいれば民主主義である、ということにはならない

2.最大多数の最大幸福を目指す民主主義の精神に従うのであれば、多数派だけが支持できる案ではなく、少数派でも受け入れられる案を模索し採用することがすることが望ましい

3.討議をして同意(コンセンサス)を得ていくというのが民主主義のスタンダードモデルだが、日本にはそれが根付いていない

 

上記は2つのコメントからまとめたものですが、IPアドレスが同一でしたので、同一人物か同一集団によるご意見としてまとめさせていただきました。

両方とも、主旨は同じ方向でしたので。

 

じつはこれ、民主主義を語るにあたっては、応用編に当たるので、今までの記事でこの部分を匂わせることはありましたが、本格的には触れていませんでした。

良い機会と思いましたので、自分の体験も踏まえて説明させていただきます。

 

実は私は中学1年生の時、クラスのみんなに厄介事を押し付けられ祭り上げられて学級委員を任されていました。

その時の中学は荒れていて、校内暴力やいじめなどは日常茶飯事、上級生が暴動を起こして教員が大けがをし、警察沙汰になった事さえ、ありました。

 

荒れていた原因はいろいろありましたが、まともに書くと、今の情勢では『ヘイト』と言われかねないので、割愛します。

その辺はどうぞ、お察しください。

 

そんな中、教員側がどう考えたのかは分かりませんでしたが、時代に合わなくなった校則を見直し、今に合うものに生徒同士で話し合って決めようという事になりました。

生徒を締め付けるだけではダメだと考えたのかもしれません。

(何しろ校則が父の時代から変わっていなかったらしく、校則に書いてある事で時代に合わなくなった箇所を運用していなかったくらい、改正が放置されていたのも事実でしたから)

 

そこでクラスごとに校則についての意見を出して、生徒会と各学級委員が集まって、各クラスで出た意見をその会議で出して話し合い、校則を決めていこうという事になったのです。

 

私のクラスでの会議では、まあ勝手な意見が出るわ出るわ、こんなの絶対に先生たちが呑まないだろうなというくらいの、ゆるゆるなものでした。

しかし多数決でそれが通ってしまったので、そのまま会議に上げざるを得なくなったのです。

こんなの会議に出したらどう皆に思われるかと思うと、目の前が暗くなる思いをしたことを、覚えています。

 

さてその生徒会議です。

私のクラスの意見が浮いて見えた位、まじめな意見が大勢を占める状態でした。

当時は学生服とセーラー服が制服でしたが、不必要なくらい太いズボンをはいてみたり、スカートの丈を地面につきそうなくらい長くしたり、あるいは制服の裏地にドラゴンの意匠を施したりと、様々につっぱった事をするのが『かっこいい』と見る風潮があったのです。

(今や死語ですが、その当時の不良行為を『ツッパリ』と呼んでいました)

 

当時放映されていた『3年B組 金八先生』で出てきた三原順子(現、三原じゅん子参議院議員)演じる不良少女の出で立ちをした子たちを、リアルに見る世代だったのです。

ああいうのは男女問わず、ごろごろいました。

 

私の学校の悪名は市内と近隣市に届いていたようで、市で一番荒れている学校、一番(学業)レベルの低い学校で、その生徒とかかわるとひどい目に合うと(ほかの学校では)言われていたようです。

そのことは後に高校進学後、クラスメートから聞いて、恥ずかしい思いをしました。

 

ちなみに三原じゅん子議員の名誉のために書きますが、あれは完全な演出で、本人は品行方正な優等生タイプだったと、(議員になる前の女優時代に)トーク番組で語られていました。

むしろそのイメージが強すぎて、学校では浮いた存在になってしまったという事です。

 

話を戻します。

生徒会議では、校則について、出来るだけ現行の校則に近い、生徒をきちんと管理しようという意見が、当初大勢を占めました。

その会議では生徒会担当の教員も出席していたので、生徒としての本音が言いにくかった点はあったと思います。

そしてまじめ一辺倒の意見を強く主張していた上級生(女性)が、きちんと管理しないと校則を守らない生徒が続出すると言わんばかりの主張をしていました。

 

どこの学校も、風紀第一というか、先生に従う事が第一と考える生徒はいますからね。

まあ中学生はどうしても内申点が気になりますから、先生への心証を良くしたいという気持ちが働いていたのかもしれません。

 

私は当時まだ中1でおぼこかった(?)ので、内申点で先生に脅される怖さを意識していませんでしたし、元々内申点は関係なく、高校入試テストの成績一本で合否が決まる学校を志望していたので、それにあまり意識していなかったこともありました。

 

一応は県内トップの内申点を要求する学校でしたが、高校入学後先生に聞いたところ、(学校の)格の問題で一応そうしただけで、合格点すれすれの生徒の合否振り分けで使用する事があるだけとのことでした。

私はその内申点ぎりぎりでしたが、中2の時より成績は上がっていたのに、中2であった「5」がなくなり、「オール4」状態の成績表が提示されました。

今にして思うと、一時期問題にされた『内申点付け替え』が行われていたのでしょうね。

 

そんな形で生徒を無下に締め付ける事が、果たして良い事なのだろうか?

そう思ったのです。

そこで発言を求めて、その上級生に私はこう言いました。

 

校則を厳しくという事を言われますが、そこまでしないとみんな校則を守れないと思いますか?

 

この問いかけに対し、その女生徒はしばし絶句後、こう言いました。

 

…違反者は、…多くないと思います。

 

このやり取りをきっかけに会議の流れが変わり、他の生徒から校則の現実的な改正についての意見が出るようになり、数回の会議後、それ以前より校則を緩めるものの、おおむね穏当な改正案がまとめられ、職員会議で了承後、翌年から実施されました。

皆内心では、校則を厳しくすることに反対だったのでしょう。

会議に参加していた先生も、一言も発言されなかったことを覚えています。

 

もっともその2年後に制服の改造する生徒が相次ぐことに学校側が業を煮やしたのか、それまでの制服が廃止され、ジャ-ジが制服となりましたが。

私はその時卒業していくので、それに対して意見を言う立場にありませんでしたが、「あの苦労は、一体何だったのか?」という思いはしました。

 

その『上級生の不良ぶり』のとばっちりを受けたのが、3歳下の弟の世代でした。

その時の生徒は不満たらたらだったらしく(まあそれは当然)、『mamiのRADIかるコミュニケーション』という、当時あったラジオ番組でリスナーの声(弟ではありません)として取り上げられたことがあり、恥ずかしい思いをしたことを覚えています。

 

その後『ジャージ制服』は相当不評で抗議が学校側に相次いだことから、5、6年後に制服をブレザータイプのものとし、今に至っているようです。

 

さて長々と私の体験を語ったのは、別に自慢話をしたかったのではありません。

少数派の意見でも、筋が通る意見ならば、討議の中で採用され、それが多数派の意見として採用される事があるという実例として、申し上げたかったからです。

 

 

さて話は変わって、国会について言いますと、野党やマスコミは、採決の結果だけを捉えて『強行採決』、『数の論理で少数派の意見を反映させていない』という主張がよく聞かれます。

 

果たしてそうでしょうか?

本当に安倍政権が少数派の意見を無視する気ならば、国会での審議時間の駆け引きなど、実は必要なくなるのです。

 

それぞれの法案を国会に提出後、野党の意見を聞かずに本会議にいきなり持ち込んで、議長が『ご異議ありませんか?』の一言で済ませれば、各法案通過など、1分で済みます。

本当に安倍政権が『数の論理で少数派の意見を反映させる気がない』ならば、そうするでしょう。

 

普段意識されませんが、与党がその気なら、野党が何と言おうとも、普通に採決を取って議決を勝ち取れるだけの議席数を持っているのです。

 

それなのに、この間まで行われた通常国会が延長したのも、『少数派の意見を聞く』審議時間確保のためだった事は、言うまでもありません。

その中で審議を重ね、採決を取って法案成立につながっていったのです。

 

つまり安倍政権、与党側は、『少数派の意見を聞く』審議時間確保をきちんと行っていたのです。

 

ところが野党やマスコミは、この『少数派の意見を聞く』プロセスを、あまり触れようとはしません。

国会中継を全部見ているわけではありませんが、安倍総理を始めとして、閣僚や官僚たちが、野党の下らない質問や難癖についても懇切に説明し、野党の出してくる意見や法案に見るべきものがあれば、実は取り上げている事はこれまでもよくあった事です。

 

事例が多すぎるのでここでは取り上げませんが、興味のある方は国会議事録を検索してご覧いただければ、そうした意見のすり合わせは、安倍内閣だけではなく、過去の政権もずっとやってきたことだとお分かりいただけると思います。

 

だから法案審議のプロセスの中で、少数意見でも見るべき事項があれば、法案の修正に応じてきているのです。

ただそのプロセスは、よほど世間に注目を受ける法案でもない限りマスコミや野党が声高に叫ぶことがありませんので、その過程が皆さんの接するメディアにあまり出てきていません。

結果、安倍政権が『数の論理で少数派の意見を反映させていない』ように見えているだけです。

 

だから『討議をして同意(コンセンサス)を得ていく民主主義のスタンダードモデル』は、実はきちんと日本で機能しているのです。

この点について、反論がある場合はお聞きしますが、その時は『数の論理で少数派の意見を反映させなかった』実例を、誰にでも分かる形でお示し願います。

 

ただし単に『野党の意見が正しい』というだけなら、それは個人のご意見にすぎませんので、お受けいたしかねます。

それはその時の記事で私が書いたように、『民主主義を捻じ曲げ、多数派の意見を封殺し、少数派である俺たちの意見に無条件で従え』と言っているのと同じですから。

 

それは独裁主義、専制主義につながる考えで、危険な思想以外の何物でもありません。

 

タイトルにも書きましたが、これは民主主義の応用編で、基本部分と違い見えにくいので、多くの方が誤解している部分なのです。

だからあえて私個人の体験をさらして、少数の意見を検討するプロセス部分を見える化してみたのです。

 

今回の記事が理解できなかった方は、是非私の過去の記事をご参照いただき、民主主義の基本的考え方を身につけていただくようにお願いいたします。

基礎部分が理解出来ていないようでは、応用編をお読みいただいてもしっくりこないと思いますから。

ただし『この部分を分かりやすく解説する記事が欲しい』という事でしたら、リクエスト次第で記事を書きたいと思います。