朱雀ひのでのブログ

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「朱雀ひので」の、日々徒然に思う事を書き連ねるブログ。世の中に何が起きても、陽(ひ)は毎日昇る。何が起きても陽に向かって前向きにいきたい!と願って…

野党やマスコミは、与党の『数の横暴』を批判するが…

 

安倍政権が安定した長期政権になったことで、ようやく憲法改正議論が大手を振って語られるようになりつつあります。

 

ただここで、事あるごとに政権批判を繰り広げる、野党のお歴々や多くのマスコミはもちろんのことですが、多くの方々が民主主義に対して、分かっているようで勘違いしていることがあります。

 

その典型的な発言を、国民民主党の玉木代表がしていたことが報じられていましたので、以下に紹介します。

 

『憲法の議論はワイルドではなくマイルドに進めてもらいたい。決して数の力で押し切るような議論にならないよう尽力してほしい』

 

そして国会の憲法審査会での議論は、野党側の意見も聞きながら丁寧に進めるよう求めたようです。

 

 

そもそも民主主義は、多数派の意見が採用されるシステム

 

『数の力で押し切るような議論にならないよう』

ここが多くの方々が民主主義について、誤解されているポイントです。

 

はっきり言いましょう。

民主主義とは、議論を通じ、多数を占めた意見が採用されるシステムです。

だからまさに、数の力が最後に通るシステムなのです。

 

ここを『数の横暴』と批判する意見は、多数見られます。

これほど民主主義を誤解した批判もまた、ないですね。

 

これについて、『数の力で少数派の意見を封殺するのは横暴』だと、野党やマスコミは、よく言っていますね。

実際、過去に書いた私の記事に、そういう趣旨のご意見をいただいたことがあります。

その趣旨は、以下のようなものでした。

 

1.多数決は決定手段の一つに過ぎず、これを使ってさえいれば民主主義である、ということにはならない

 

2.最大多数の最大幸福を目指す民主主義の精神に従うのであれば、多数派だけが支持できる案ではなく、少数派でも受け入れられる案を模索し採用することがすることが望ましい

 

3.討議をして同意(コンセンサス)を得ていくというのが民主主義のスタンダードモデルだが、日本にはそれが根付いていない

 

 

多くの人が体験しているはずなのに見えにくい、少数派の意見を取り入れるプロセス

 

そのご意見に答えるため、以下の記事をアップしています。

 

【民主主義応用編】少数派の意見を取り入れるのは、採決ではなくプロセス段階の話

 

この記事では、私の体験を踏まえて説明しました。

なぜかといえば、議論の中で『少数派の意見を取り入れるプロセス』は、日常皆さんの職場や自治会での会議や会合で経験されているはずですが、それが表に出て語られることは非常に稀だからです。

(具体例が用意できなかったから、自分の体験を例示するしかなかった)

 

それらの会議や会合で、一人の優れた意見が多数派の意見を押しのけて採用され、実行されたケースは、皆さんの中で体験された方も多いと思います。

ただそのプロセスが語られることはまずなく、会議の結果だけが公にされ、記録として残されるはずです。

 

それこそが、民主主義における『少数派の意見を取り入れるプロセス』なのです。

そもそも『少数派の意見を取り入れるプロセス』を設けるために、会議、会合というものがあるのです。

 

どこの会社、職場、学校などでも、『大勢を占める意見』というものは、会議を開く前から皆さんだいたいは想像できるでしょう?

 

多数派の意見を採用してそれで良しとするのなら、世の中の会議の多くは、行う必要がないはずです。

 

それなのになぜ、どこの会社、職場、学校などでも、果ては国会や地方議会などで、お金と時間をかけて、会議をするのか?

それはたった一人の意見であっても、多数派の意見よりより良い意見があれば取り入れたいと考える故でしょう?

 

 

安倍政権は野党の意見を聞く場を十分に設けているが、生かしていないのは野党の責任

 

政治の世界は、利害関係や主義主張が絡むため、一見分かりにくくなってはいますが、基本的に同じ目的です。

 

議論を通じ、少数派の意見の中で見るべきものがあれば取り入れ、それでより良く多数が賛成できる意見を作る。

 

その記事でも説明しましたが、少数派の意見を聞かず、多数派の意見で押し切るというのなら、そもそも国会議員などいらないのです。

そこまで言わないまでも、数の力だけで乗り切るというのなら、いきなり本会議で採決を取り、議長が『ご意義ありませんか?』の一言で済ますのなら、各法案の採決は、1分でも出来るでしょう。

 

そのようなことを、安倍政権は一度でもしたというのですか?

違いますよね。

重要法案の審議では100時間以上かけたものもあり、きちんと野党に意見陳述する機会を十分に与えているのです。

 

そこで野党がきちんと建設的な意見を出すのなら、与党が無碍な対応をするはずがありません。

いい意見があるのなら取り入れた方が、より良い政策を実行できるのですから。

 

その機会を生かせないのは、はっきり言って野党の責任、能力不足です。

自分たちの意見を多数派に取り入れてもらいたいのなら、もっとしっかりと議論の力を磨いて政府・与党に対峙すべきなのです。

 

 

三原議員に痛烈に批判されていた、国民不在のあおりパフォーマンス

 

しかし野党が行ってきた国会での行動の多くは、パフォーマンスありきの政権批判、審議妨害、あるいは審議のボイコットで国会を空転させるといった、国民不在の国会運営(正確には妨害)。

 

6月末まで開かれていた通常国会の終盤に行われた内閣総理大臣問責決議案での討論で、三原じゅん子議員が野党の提出した決議案への反対討論を行った中で、痛烈に批判されていました。

(文字起こしを、【内閣総理大臣問責決議案】ハマーン様吠える。「野党は恥を知りなさい」

という記事で行っています)

 

野党は政府提出の法案に対し、対案も出さず、国民に不安ばかり煽る。

安倍政権が実際に成果を出していても、それに触れず、批判ばかりする。

さらには(参議院での)憲法審査会にいたっては、1年間に3分しか開かれていない。

(お決まりの批判をして、審議拒否して会議させなかった)

 

そうした点を、痛烈に批判されていました。

 

 

野党の国会パフォーマンスを放置すれば、いずれ民主主義を殺す

 

なぜそのようなことを、野党はずっと繰り返すのか?

 

状況証拠にすぎませんが、このようにしか見ることが出来ません。

 

・政府・与党が提出する法案などに、対案を出すだけの能力がない。

・自分たちの主張を押し通す手段が、審議拒否しかない。

 

野党が政府・与党案に反対し、それを主張すること自体は民主主義で認められた権利ですから、それ自体は尊重すべきです。

しかし反対をするためだけのパフォーマンスは、議論を深めるには無駄どころか、有害です。

ましてどうしても自分たちの主張を通したいがため、議論自体をさせないなどの行為は、民主主義を殺す愚行です。

 

いかなる理由があるにせよ、議論を妨害して多数派の意見を少数派が抹殺するという行為が常態化されたら、いずれ確実に民主主義は死にます。

 

一部少数派の意見が多数派を押さえるというのは、独裁主義、専制主義の卵です。

これが孵化し、成長すれば、いずれ独裁者が出現するでしょう。

 

野党やマスコミは、安倍政権を『独裁政権』とレッテル貼りをよくしますが、実際には野党の国会での行動の野放しの方が、よほど独裁政権を生み出す危険なものです。

彼らに自覚はないのでしょうが。

 

 

まともな議論が出来ない野党議員たちは、それが出来る政治家に席を譲れ

 

野党のお歴々やそれを支持するマスコミの面々に申し上げます。

 

恥を知りなさい。

 

『アベ政治』よりも、よほど自分たちの行動の方が独裁主義的であるということを。

恥ずかしいと思うのなら、もっと研鑽して、与党と渡り合えるだけの議論の力を身に着けてください。

もしそれを恥とも思わないのなら、野党の皆さんは、全員辞表を出すべきです。

そしてもっと建設的な議論のできる政治家に、席を譲ってください。

その方がもっと日本の民主主義を、発展させられるでしょう。