韓国・独立運動記念日で、日本に対話を求めた文在寅
3月1日は、韓国では三一節(独立運動記念日)と呼び、祝日になっているようです。
この日は、大正8(1919)年の3月1日に、日本からの独立を求めた独立運動だと韓国では評価しています。
実際には、それを大義名分にして似非宗教やキリスト教の教祖や牧師等が扇動して暴動となり、多くの死傷者が出た事件というべきで、要は大規模テロ活動だったのいうのが真相というべきです。
間違っても韓国が主張する肯定的要素など、微塵もなかったのです。
コリアンは、決して認めはしないでしょうが。
さてこの日は韓国で大統領を自称する者が演説を行うのが恒例のようですが、ここで文在寅は次のように発言したようです。
われわれが乗り越えなければならない唯一の障害は、時折、過去の問題と未来の問題とを切り離せず、混在させてしまうことで、未来の発展に支障をもたらしていることです。
相手の立場から考える「易地思之」の精神に基づいて膝を交えれば、過去の問題もいくらでも賢明に解決できると確信しております。
この発言を文在寅ではなく、菅総理が言ったのなら納得ですが、文在寅が発言したのでは、「鏡を見ろ」としか言えません。
『過去の問題と未来の問題とを切り離せず、混在させてしまう』のは、まさに韓国の方ですし、相手の立場を考えないのは、まさに韓国ですから。
その自覚がない辺りが、韓国の致命傷です。
日本人の感情を逆なでしている自覚がない証拠ですから。
文在寅を擁護し、日本への配慮なしに韓国の立場だけを考えることを要求する韓国メディア
さてそんな元首を戴く韓国メディアが、またしても日本に対し『相手の立場を考えて、対話に応じろ』と主張しました。
(リンク切れの際は注目記事1710参照)
言うだけ無駄でしょうが、言ってやりたいですね。
相手の立場を考えることをコリアンは常に日本に要求しますが、自分たちはどうなのかと。
日本の立場を配慮した言動など、一度も見たことがないと思うのですが、気のせいでしょうか?
事あるごとにコリアンは、『韓国国民の感情に配慮しろ』と上から目線で言いますが、かたや韓国が日本国民の感情に配慮したなど、どれだけあったのでしょうね?
あるとすれば、李明博(元大統領)、前韓国国会議長などが天皇陛下(現上皇陛下)への侮辱発言の際などの際に、韓国押し(としか思えない)日本のマスコミでも隠しきれないほど巻き起こった、日本国民の反韓感情の爆発で怯んで日和見発言を少しした位でしょう。
あの程度の日和見発言でコリアンたちを許すほど、日本国民の情緒は甘くないですがね。
日本人はコリアンと違って火病など発症したりしませんし、面と向かってがなり立てる人はむしろ珍しいですが、その代わり態度で静かに示しますからね。
日本が差し伸べた『未来志向』の手を振り払っておいて、今更復縁を求めるコリアンにかける情けはないし、有害
気づいた時には遅い、というパターンが、諸外国でもよく聞かれます。
私はそれをJの法則と呼んでいますが、まさに韓国にはそれが冷徹に働いていると言っていいでしょう。
一つの社会法則となっていると見られるほど、世界における日本のパワーが顕在化しているのですが、韓国はそれを、未だに侮っているようです。
良くも悪くも、ここ150年間に日本という存在にかかわる事で、国の命運が変えられたのは枚挙にいとまがなく、影響皆無だった国は、一つでもあったでしょうかね?
無論、韓国も例外ではありません。
韓国建国(1948年)以降だけを見ても、日本と国交を結ぶことで勃興し、疎遠になる事で、まさに今、衰退を迎えようとしています。
こんな国に、手を差し伸べる必要性など、皆無です。
むしろ有害です。
よく韓国は、主客逆転の発言をしますが、これもまさにそうですね。
文在寅のいう『過去の問題を未来の問題と分離できずにかき混ぜる』のは、韓国であって、日本ではありません。
そもそも『未来志向』と言い出したのは、日本の方です。
そう呼びかけたのに、いつまでも過去の、それも妄想の歴史を語り続けるから、愛想をつかしただけです。
そうなってからの日本をもう一度振り向かせるのは、別かれた人を振り向かせる以上の努力が必要なのですが、未だに上から目線で「復縁するのが当然だ」と言わんばかりの主張をするあたり、分かっていませんね。
コリアンは、自分の主張をいったん止めて、日本の立場を考えて見るべきですね。
それが出来ない限り、日本が振り向く事はありません。
仮にそれが分かったとしても、日本が受けた仕打ちの負債は、ブラックホール並みに深いですから、埋め合わせがどれだけできるのか、見当もつきませんが。
このまま韓国が崩壊するなら、こう言うべきでしょう。
滅ぶべくして滅んだのだ。殊更滅ぼしたのではない、と。