スッタニパータ 学生ウダヤの質問1107の解説 | suttanipatacomのブログ

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suttanipata.com管理者がスッタニパータ(ブッダのことば)をわかりやすく現代風に解説

1107 平静な心がまえと念(おも)いの清らかさ、ーそれらは真理に関する思索にもとづいて起こるものであるが、ーこれが、無明を破ること、正しい理解による解脱、であると、わたくしは説く。」

 

 

 

人間的思考の運動(快⇔不快)を制した平静な心がまえと「こだわり」を制した念(おも)いの清らかさ、ーそれらは真理に関する思索にもとづいて起こるものであるが、ーこれが、無明を破ること、正しい理解による解脱、であると、わたくしは説く。」

 

 

 

 

人は、自らの人間的思考の運動を制し、中道を保った状態で、自らの心を観察したとき、その心の本性に気づくことができる。その本性は、清らかであり、清々しく、生き生きとした、心、本来の姿である。その本性に気づいたとき、無明は打ち破られ、そこには、何も求めるものはなく、あるがままに、すでに解脱した自らに気づくことができるのである。