スッタニパータ 学生トーデイヤの質問1091の解説 | suttanipatacomのブログ

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suttanipata.com管理者がスッタニパータ(ブッダのことば)をわかりやすく現代風に解説

1090 「かれは願いのない人なのでしょうか?あるいは何かを希望しているのでしょうか?かれは智慧があるのでしょうか?あるいは智慧を得ようとはからいをする人なのでしょうか?シャカ族の方よ。かれが聖者であることをわたくしが知り得るように、そのことをわたくしに説明してください。あまねく見る方(かた)よ。」

 

 

1091 〔師いわく〕、「かれは願いのない人である。かれはなにものをも希望していない。かれは智慧のある人であるが、しかし智慧を得ようとはからいをする人ではない。トーデイヤよ。聖者はこのような人であると知れ。かれは何ものをも所有せず、欲望の生存に執著していない。」

 

 

 

師いわく、「かれは自らの人間的思考の運動を制したものであって、その運動がもたらす願いは、ない人である。かれは両極端について、なにものをも希望していない。かれは智慧のある人であるが、しかし智慧を得ようとはからいをする(欲する)人ではない。トーデイヤよ。聖者はこのような自らの思考をコントロールする人であると知れ。かれは無常を観じ、何ものをも所有せず、この無常で、欲望の生存に執著していない。」

 

 

 

世の人々は、人間的思考の運動(好き⇔嫌い)によって両極端を求め、希望する。智慧と聞くと、人間的思考の運動によって智慧を手に入れるためにあれこれとはからいをする。聖者は、人間的思考の運動を制し、両極端の希望はない。両極端の希望は運動をするのでそれは、時間と共に苦を生じる希望であると知る。そしてその人間的思考の運動を止めたところから、もたらされるのが智慧なのである。