スッタニパータ 学生トーデイヤの質問1089の解説 | suttanipatacomのブログ

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suttanipata.com管理者がスッタニパータ(ブッダのことば)をわかりやすく現代風に解説

1088 トーデイヤさんがたずねた、「諸々の欲望のとどまることなく、もはや妄執が存在せず、諸々の疑惑(ぎわく)を超えた人、ーかれはどのような解脱(げだつ)をもとめたらよろしいのですか?」

 

 

 

1089 師(ブッダ)は答えた、「トーデイヤよ。諸々の欲望のとどまることなく、もはや妄執が存在せず、諸々の疑惑を超えた人、ーかれには別に解脱は存在しない。」

 

 

 

師(ブッダ)は答えた、「トーデイヤよ。この無常の世において諸々の欲望のとどまることなく、もはや妄執が存在せず、知見によって諸々の疑惑を超えた人、ーかれには別に求めるような解脱は存在しない。」

 

 

 

世の人々は、人間的思考の運動(快⇔不快)によって運動し、欲が立ち上がる。その欲の対象はこの無常の世では、時間と共に変化をする。変化をするが故に人々には疑惑が生じるのである。それを知って修行者は、自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、世の中を遍歴する。そこには、欲望の対象は存在せず、あるがままに対象を捉え、自らの目で知見することによって疑惑を超える。そして、自らの心の本性に気づき、その分けない心で自ら(本性)を見た時に、すでに解脱していた状態に気づき、何も求める必要はないのである。