スッタニパータ 学生カッパの質問1094の解説 | suttanipatacomのブログ

suttanipatacomのブログ

suttanipata.com管理者がスッタニパータ(ブッダのことば)をわかりやすく現代風に解説

1092 カッパさんがたずねた、「極めて恐ろしい激流が到来したときに一面の水浸しのうちにある人々、老衰と死とに圧倒されている人々のために、洲(す)(避難所、よりどころ)を説いてください。あなたは、この(苦しみ)がまたと起らないような洲(避難所)をわたくしに示してください。親しき方よ。」

 

 

 

1093 師(ブッダ)は答えた、「カッパよ。極めて恐ろしい激流が到来したときに一面の水浸しのうちにある人々、老衰と死とに圧倒されている人々のための洲(避難所)を、わたくしは、そなたに説くであろう。

 

 

 

1094 いかなる所有もなく、執着して取ることがないこと、ーこれが洲(避難所)にほかならない。それをニルヴァーナと呼ぶ。それは老衰と死との消滅である。

 

 

 

師(ブッダ)は答えた、「カッパよ。極めて恐ろしい激流が到来したときに一面の水浸しのうちにある人々、老衰と死とに圧倒されている人々のための洲(避難所)を、わたくしは、そなたに説くであろう。この苦しみの無常の世に生まれないための避難所は、両極端に分けることをせず、いかなる所有もなく、執着して取ることがないことーこれが洲(避難所)にほかならない。それをニルヴァーナと呼ぶ。それは老衰と死との消滅である。

 

 

 

人が安住しているかのように見える場所へ恐ろしい激流が到来し、一面水浸しになる様は、現実世界も、心の中も同じである。人は、自分のところには、その水が迫ることはないと思っているが、それは、いつ来てもおかしくない状態にある。その現実世界と同様に、生ある人のもとへも必ず老衰と死とが訪れる。故にそれらを回避するには、生まれてこない事である。では、どこに避難すればよいのか?自らの人間的思考の運動(快⇔不快)によって執着をし、生⇔死の運動あるいは、若⇔老の運動を起こすのであるから、自らの人間的思考の運動を制することによって、その危機を回避できるのである。修行者はそれを知って、常に怠ることなく、自らの運動を制して、世の中を遍歴せよ。