先日の和訳した、 I Dreamed A Dream(夢やぶれて) の スーザン・ボイル版 にも挑戦してみました。。
スーザン・ボイル版 は、非常に明るく、みずみずしい、クリアな声で、未来への夢と希望に満ちている だから、同じ歌詞でも、私の和訳では、背景や心情がまったく異なると、ガラっと変わります。
歌や音楽というものは、魂の叫びや心の情景を、色濃く反映しているので、その人の性格、心境や環境次第で、思い描かれるヴィジョンや、伝わる波動が、まったく、異なってくるんですね・・・。
私のモットーは、一つの歌の世界を、ドラマとして、創り上げて、その主人公の赤裸々な想いと、人生観を描き切る
なので、スーザン・ボイルの爽やかバージョン にも、是非、挑戦してみたくなりました。
オーディション番組で、場内の偏見を、熱狂の渦に変えたシーンは、こちら。
I Dreamed A Dream / Susan Boyle
アイ・ドリームド・ア・ドリーム / スーザン・ボイル
私が抱いた夢 (邦題:夢やぶれて)
I dreamed a dream in times gone by
遥か遠い昔に、私だって、夢を抱いてたのよ
When hope was high and life worth living
(未来に)大きな期待をして、人生に、生きる価値があった頃の話よ・・・
I dreamed that love would never die
愛って、永遠に、終わらないものだって、私は夢に描いてたわ・・・
I prayed that God would be forgiving
神様が、いずれ、(私の欠点を)許してくださるよう、祈ってたの
Then I was young and unafraid
あの頃、私は若かったし、(無知で)未来に恐れなんてなかったから、
And dreams were made and used and wasted
夢なんて、新しくできては、古くなり、次々、捨てて、無駄にしていったわ
There was no ransom to be paid
(捨ててきた夢を取り戻すために)お金を払うことなどなかったわ
No song unsung, no wine untasted
この世のどんな歌も、励ましてくれ、どんなワインも、楽しませてくれた・・・
But the tigers come at night
でも、夜になると、(私を見下してくる)虎たちが襲ってくる
With their voices soft as thunder
うなり声の代わりに、優しい声色をして(私を追いつめるのよ・・・)
As they tear your hopes apart
(嫌味な)虎たちの声は、人々の希望をも、引き裂いて、
And they turn your dreams to shame
そして、人々の夢をも、見事に、屈辱へと変えてしまうから・・・
(=いつの間にかに、私は、夢を抱けなくなったわ・・・)
Still I dream he'd come to me
それでも私は、彼が、いつか私の元に、やってきたらなぁって、夢に見るの
That we would live the years together
そして、私たちが、ともに、余生を送れたらなぁって、夢見てしまう・・・
But there are dreams that cannot be
でも、この世には、実現不可能な夢って、あるものよ・・・
And there are storms we cannot weather
乗り越えようがない過酷な試練って、あるのよ・・・
I had a dream my life would be
So different from this hell I'm living
私には、かつて、夢があったの、自分の人生が、
今、生きている、この孤独な地獄とは、まったく別世界になるっていう・・・
So different now from what it seemed
あの頃、予想してた人生と、今は、全然違うわ・・・
Now life has killed the dream
I dreamed
今はもう、孤独な生活が、打ち砕いてしまったのよ、
私が抱いた夢を・・・
~ 和訳を終えて、あとがき ~
スーザン・ボイルの透明感ある歌声は、決して、アン・ハサウェイのような、悲惨な暮らしをしている訳でも、娼婦をしている訳でもないのよ。。
ごく普通の、一般的な、愛を夢見て、でも、叶わなくて、孤独な日々を生きていたら、いつの間にか、歳を取ってしまい、愛や結婚の幸せを逃してしまった、独身女性・・・。。
そう、まるで、スーザン・ボイルみたいな、女性の等身大の歌だと思う。
だから、孤独や、世間の偏見、自分のトラウマと戦い、愛と自信を再び、取り戻したい・・・という前向き路線にしてみた。
まぁ、歌の解釈に、正解なんてない。。
でも、よくよく聴くと、dreamed が、prayed に変わってたり、夏から秋になり、彼が去ってしまう下り が、省略されている。
しかも、その次の、彼との復縁を願うシーン が、will ではなく、仮定法のwould になっている。
「レ・ミゼラブル」に則した、アン・ハサウェイの悲惨なバージョン は、こちら より。。
私は、それぞれの歌から得る、主人公の波動と、音楽の抑揚と、感情の流れをイメージして、ただ、私にとって、一番、相応しいと思う表現、日本語に、ただ、起こしているだけ・・・。
私の歌詞の和訳&英訳って、そういう私の頭のなかで湧き起る、脳内世界のヴィジョンやメッセージを、自由に描き切る、あくまで、私の主観的な、自己表現の一環です。
でも、英文法や単語の意味は、徹底的に調べ上げて、リアリティにもこだわってるんですよ・・・。
そういや、日本語でも、そうですよね・・・。
同じセリフでも、言った人の性格や気持ち、生活スタイル、人生経験、その時の気分で、ニュアンスって、大きく違う。
人の表情と、言葉と、潜在意識って、実は、ほとんどの人が、バラバラなのよね。。
心の内を明かさないような人は、とくに・・・。
私は、素直で、裏表がない、開けっ広げで、まさに、恐れを知らない子だから、それらの差が、ほぼないに等しいけど・・・。
基本的に、私は、他人と話すときに、それらの3つの情報をトータルとして、一つのヴィジョン化して、パノラマ的な解釈している。
だから、人が話した言葉の、一言一句のテキストは、まったく、覚えられない。
でも、その人の言葉が放った波動やイメージと、これまでの経験での瞬時の分析などから、そのセリフを聞いたときに、自分が感じた潜在意識の感覚、直感だけを、鮮明に、読み取り、理解している。
たとえば、表面上、優しそうな笑顔で、親切そうな美辞麗句を並べていても、笑顔で、すごく感謝したフリをしていも、それって、全部、単なる、社交辞令で、心の中で、実は、二枚舌で、自分にメリットがあるとこだけ利用して、あとは、テキトーに流しておけば、いいや~って、見下されてるんだなとか・・・。。
きっと、私の話に、毎回、付き合うのが、めんどくさいって、思っているんだなぁ・・・とか、この人は、いつも、大して、真剣に、私の話を聞いていないんだな・・・とか、私の心を労わろうという、人の心を喜ばせようとか、励まそうとか、勇気づけようとか、そういう発想が、皆無な人なんだなとか・・・、単に、プライドが高くて、マウンティングして、生き甲斐を感じたい人なんだなとか・・・。
そういう露骨な潜在意識が、センタリング感覚で、被害妄想を排除して、おもむろに読めるようになると、人と付き合うのが、ものすごーく、怖くなる。
冷静に考えれば、否定しようがないぐらい、その人の魂のネガティブな感情が、手に取るようにわかって、恐ろしくなる。。
まぁ、人生は、ドラマチックで、絶えず、勉強の連続ですね・・・。
しかし、聴き比べる程に、歌い手によって、まったく、曲のイメージが異なるものだわ。。
だから、楽しいのよね、音楽で、語学の壁を超えるっていうのは。。
「レ・ミゼラブル」に則した、アン・ハサウェイの悲惨なバージョン は、こちら より。。