長髄彦と秋田と物部と | この美しき瑞穂の国

長髄彦と秋田と物部と

今朝の記事に絡み、長髄彦(ながすねひこ)のことを調べていたら偶然青森県五所川原市のオセドウ貝塚のことを知った。


今朝の記事↓


富雄丸山古墳の被葬者は? 


オセドウ貝塚は五所川原市相内地区の神明宮境内にある縄文時代前期〜中期の貝塚で、大正14年に貝塚からなんと身長2メートル近い壮年男性の人骨が発掘されている。



そしてオセドウ遺跡には古代の安日彦(あびひこ)、長髄彦(ながすねひこ)の遺骸を再葬したという言い伝えがあるという。そしてオセドウ遺跡から発掘された大柄な男性の骨は兄・安日彦と共に津軽へ落ち延びてきた長髄彦のものだといわれているのだそうだ。ちなみにその人骨は東京大学に保管されているという。



なんとも面白い伝説ではないか!ちなみに安日彦は安倍氏の祖とされ、古代東北地方の秋田氏や安東氏は安倍貞任(あべのさだとう)を祖とし、遠祖を安日彦としていたそうである。



秋田氏は平安時代後期から室町時代にかけて出羽北部から津軽地方にかけて領した安東氏が戦国時代に出羽国秋田湊の地名または秋田城介の官職から秋田の苗字を称したことに始まるという。そして安東氏は本姓を安倍氏としていた。



なんとこんなところで秋田に繋がってくるとは・・・やはり秋田引き寄せが続いているようである。


昨日のケンミンSHOWで秋田 




やはり秋田引き寄せとるわな 



そして安倍氏・・・奇しくも現在は自民党最大派閥安倍派が政治資金パーティーのキックバック問題で東京地検特捜部に事情聴取されている。



2022年7月8日奈良県の近鉄線大和西大寺駅前で選挙応援の街頭演説中に暴漢に手製の銃で背後から2発撃たれて亡くなった安倍晋三元首相は御自身が安倍宗任(あべのむねとう)から44代目の末裔と称しておられたそうだ。


安倍宗任は安倍頼時(あべのよりとき)の三男であり、安倍貞任は次男である。


大和西大寺駅より生駒方面に進むと富雄(とみお)の地名があり、古代において大和西大寺辺りも長髄彦の根拠地だったのではないか。すなわち安倍元首相にとっては遠祖ゆかりの地だったのではないだろうか・・・。



このように考えると不思議なことに【長髄彦】【秋田】【青森】が繋がってくる。



また長髄彦は饒速日命(にぎはやひのみこと)の妃・登美夜毘売(とみやびめ)の兄であり、饒速日命と登美夜毘売の子・宇摩志麻遅命(うましまぢのみこと)は古代氏族物部氏の祖である。


鶴の社〜石見国一宮物部神社 



そして秋田県大仙市にある唐松神社には飛鳥時代に仏教が伝来した際に崇仏派の蘇我馬子(そがのうまこ)・聖徳太子と闘って敗れた物部守屋(もののべのもりや)の一子・那加世(なかよ)が落ち延びてきたとする言い伝えがあり、唐松神社の宮司家は物部氏である(※現在64代目)



唐松神社は冬に訪れる 



物部氏もまた【秋田】と【長髄彦】に繋がるのである。


ここにきて急にキーワードが集まりだしてきた。さて、いつ秋田と青森へ行こうかな。どうせなら青森、五所川原市のオセドウ貝塚にも行ってみたいから雪解け後の季節のほうが良いか・・・いつ行くかは今後の引き寄せ次第であるが。