広島の旅(一日目 後編) | この美しき瑞穂の国

広島の旅(一日目 後編)

2017年6月24日、月読釣人さんいきつけのお好み焼き店で旨い広島のお好み焼きを食べて英気を養った後、午後は月読さんオススメスポットへ案内して頂いた。


その道中、月読釣人さんのライフワークともいえるゴミ拾いのお話をお聞かせ頂いた。月読釣人さんは趣味の釣りに行くといつも漁港にポイ捨てされているゴミを拾って帰るのだそうだ。


僕も以前は釣り好きな友人に連れられて熱海へよく海釣りに行ったのだが、たいてい漁港には心ない釣り人が捨てていったゴミの山があった。そこはゴミ捨て場ではないのに誰かが捨てると他にも真似してゴミを捨てて行く人がいるのである。僕はそんなゴミの山を見るたびに胸が痛んだ。


こうしたゴミの中に含まれている釣り針や釣糸を魚や鳥が飲み込んでしまったり、ビニール袋を食べてしまう害もあるのだ。


そんなことを考えると僕はつい憤ってしまうのだが、月読釣人さんはそこに感情を差し挟むことなく、ただ無心にゴミを拾われるのである。そんなお話を伺いながら、なんて人間の出来た方なのだろうと思うのであった。



そんなお話をしながら月読さんのオススメスポット・極楽寺山へ到着。


この山の上から見える風景が素晴らしいということで招待して頂いたのだが、ここへ着くとタイミング悪く雨が降ってきた。そのため折り畳み傘を持参して山を登った。


極楽寺山は標高693メートルの山で、山頂には真言宗寺院の極楽寺がある。そして山頂からは瀬戸内海の絶景を一望出来るという。


山寺らしく参道には石仏群が立ち並ぶ。極楽寺はもみの原生林に囲まれており、辺り一帯に漂う木の香りに心安らぐ。



極楽寺境内にはいろいろと味のある石像がある。


蛙の石像



フクロウの石像



『いらっしゃいませ』の字体と迎えてくれるフクロウたちがなんだかかわいらしくて心が和む。


極楽寺本堂



極楽寺本堂の御本尊は十一面千手観音。そして境内の阿弥陀堂の御本尊は阿弥陀大仏と称され、台座を含めた高さが8メートル、横幅5.5メートル、重さ2.5トンある国内最大規模の木像だという。


極楽寺は天平3年(731)に奈良時代の名僧行基(ぎょうき)開山で、聖武天皇により伽藍が建立されたといわれる古刹である。御本尊の十一面千手観音は行基作と伝わる。


行基は全国各地で様々な土木事業を指揮して寺院、池、橋、堀や溝などをたくさん造り、当時禁じられていた民衆への仏教の布教をして当時の民衆から圧倒的に支持された僧であった。だがそのカリスマ性は朝廷にとって脅威的であったため禁圧・弾圧された。


しかし聖武天皇の悲願であった奈良の大仏建立には民衆から慕われる行基のカリスマ性が必要とされたことから、聖武天皇が行基に大仏造立への協力を要請すると、行基は要請に応じて大仏造立の指揮をとった。そして行基は大仏の完成を見ることなく造立中の天平21年(749)81歳で入寂した。






広島県といえば誰もが安芸の宮島を連想するのだが、行基菩薩開山の古刹があるとは知らなかった。正に他県からの観光客があまり知らない穴場スポットである。


極楽寺本堂前では大悲心陀羅尼(だいひしんだらに)を唱えてお参り。




極楽寺本堂の前には樹齢300年以上、高さ20メートル超のアカガシの木が聳える。



実に立派な木である。こうした木々があるのが山寺の良さである。僕は木の香り漂う山寺、修験道の地が好きだ。そして木の香りが吉野、大峯を登った良き想い出を呼び覚ますのである。


お参りを済ませると展望台から眼下を眺めてみたのだが、残念ながら霧がかかっていて瀬戸内海を見渡すことは出来なかった。しかし思いがけなく今回素晴らしい山寺へ招待して頂いてありがたかった。


極楽寺山をあとにすると、僕は一旦この日泊まるホテルへチェックインし、月読釣人さんは帰宅。そして後ほど夜の直会に再び合流することにした。


チェックインしてしばらく経った頃、強い雨が降りだした。そしてMAZDAズームズームスタジアムで行なわれていた広島阪神戦が雨天中止となり、カープファンの方々がスタジアムから大勢出てきて街中がカープレッドに染まった。


広島では老若男女問わず様々な人々がカープの帽子やカープのユニフォーム風Tシャツ等を着て歩く光景が決して珍しくない。年配の女性がカープキャップを被る姿も様になっており、広島の人々のカープ愛の深さはなんとも微笑ましく思う。


そんなカープファンの群れをホテルの窓から眺めていたら、まるで赤い波のようだと思った。


播磨国風土記(はりまのくにふどき)によると、神功皇后は三韓征伐に際して邇保都姫(にほつひめ)という女神の神託を受けたという。


その内容は、よろしく我を治め祀れば善き験をいだそうというもので、比々良木八尋桙根底不附国(ひひらぎのやひろほこねのそこつかぬくに)、越売眉引国(をとめのまよひきのくに)、玉匣賀々益国(たまくしげかがやくくに)、苫尻有宝白衾新羅国(こもまくらたからあるたくふさましらぎのくに)には丹の波によりて平らげるべしとお告げしたという。


このお告げにより神功皇后は赤土(丹)を得て、軍船や兵士の軍装、船の前と後ろに立てる鉾に丹を塗った赤備えで出陣したという。


そして海に赤土を撒き、赤い波を起こしながら航行すると鳥も魚も軍船を避けて航行を邪魔することがなかったという。


カープレッドの装いで広島の街を歩くカープファンの群れは正に赤い波だなと感じて一人ほくそ笑んだのであった。そして突然の雨によるこの赤い人の波は邇保都姫の徴だと思ったのである。



この徴を得たことでこの日のお参りの手応えを感じることが出来た。そしてこの日の晩は二軒の店を巡って地元の魚を堪能した。 




二軒目の店はどの料理も本当に美味しかったのだがお腹一杯になってしまい、だいぶ残してしまった。僕は苦手で食べられない料理でなければ基本的に残さない、残したくない主義なので後々とても悔やんだ。僕は意外とこういうことを気にしてしまう性格なのである。


せっかくの美味しい数々の料理を残してしまって大将、本当に申し訳ありませんでした。


瀬戸内海の地魚を腹一杯堪能し、楽しい時間はあっという間に過ぎた。名残惜しくも翌日宮島口で待ち合わせということでこの日のお開きとした。


そして宿へ戻ると翌朝早く起きて再び爾保姫神社を訪れるため、早めに就寝したのであった。


(つづく)