今日も朝陽が昇るのを、しずかに眺めた。


でも、僕の両脇には、母とカイト兄ぃ。


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母の顔は今までにないくらい晴れ渡っていて、この海を懐かしんでいるように見えた。

「カナル、海への感謝の気持ちを忘れないこと。命をかけて接すること。

お母さんと約束して。」


感謝の気持ち、命をかける、、大げさだな。

夏休みの間だけ、海水浴するだけだよ、母さん。


僕は何も言わずに駆け出して、水を蹴った。冷てっ。

母さんはまた深くカイト兄ぃにお辞儀をしている。手を振っているけど、照れくさいや。


カイト兄ぃがウェットスーツを手にやってきた。

「どうだ、夏なのに水は冷たいだろ。

ここの海水の温度は、気温のだいたい2か月遅れなんだ。

今は7月だけど、海の季節はまだ5月ってところかな。

実は11月の冬でも、水温は温かかったりする。」


中々袖が通らないウエットスーツを、なんとか着ることができた。

ものすごく動きづらい。先ずは泳げと言われても、、確か平泳ぎくらいはできたはず。


浜辺から見ていた波は小さかったのに、実際に海に入ると、次から次へと体を打ちつける。

まともに泳げやしない。海水を何度も飲み、せき込む。次の波が来た。自分は今、水のどこにいる?


足が立つのに溺れる寸前で抱えられた。


「カナル、海と闘っては負けるに決まっている。

波に身を任せて、力を常に抜け。ウエットスーツは力を抜けば、自然に浮くようにできている。

自然の中では、人間は簡単に命をもってかれるぞ。」


溺れる寸前の恐怖感で全身に力が入らず、浜辺に座り込んだ。

簡単に死ぬ、そうつぶやいた。


人間って自然の前では、こんなにちっぽけなんだ。

都会でコンクリートに囲まれた生活をしていたから、気付かなかった。


僕は自然界の中では、こんなに小さな小さな動物だったんだ。

謙虚になる、という意味が初めてわかった気がする。今なら皆に優しくできる気がする。



母さん、さっきは手を振らなくてごめんね。

いつ会えなくなってもいいように、大きく手を振っていたんだね。



僕は、東京の方を向いて、一筋の涙を流した。















「風を知ってるか?」



初めての外泊であまりよく眠れず、僕は水平線のむこう側に朝陽が昇るのを眺めていた。

隣には昨日のお兄さん。


風は知っているつもりだ、ビル風、すきま風、春一番、、、

でも、うなずくか、かしげるだけの、僕の頭の動きでは伝わっていないだろう。


お兄さんは、ゆっくり話してくれた。


「風は空気の動きなんだ。

空気が動いて、頬に当たるんだ、だから感じるだろう、風が吹いているって。

冷たいところから、温かいところへ流れるんだ空気は。

夏の海辺では、昼間は陸の方が温かいから、海から風が吹いてくる。

でもな、夜は海の方が温かいから、陸から風が吹くんだ。」

本当だ、朝早い海辺では、僕の背中からゆるやかな風が吹いている。

知らなかった、風は無邪気に吹きすさぶのではなく、理由があったなんて。



温かいところから冷たいところへ、冷え切った僕の心に温かい気持ちが入ってくる。

言葉を真っすぐに聞けた自分が嬉しかった。



「波イイ感じだナ。」

お兄さんは、あっという間に着替え、ボードを抱えて砂浜を走っていく。


僕にはサーフィンの何が楽しいのか、全く分からなかったけど、3時間もの間、海とサーファー達を眺めていた。


「俺、どうしようもない奴だけど、海に入ると何かこう、清められた感じになるんだよね。」

上がりきった陽の光を浴びて、確かに輝いて見えた。

自分の真っ白く、赤焼けた腕がとても貧相に感じたのと、自分のやり場のない腐った心が見透かされているようで、恥ずかしかった。。



今日も、体育座り。家に帰る気がしない。

帰りたくない訳ではない。ただ、ビルも学校も車もないこの海に、未来がある気がしただけだ。



夕方、楽しそうな声ばかりだった砂浜は落ち着いてきて、また背中に夕陽を浴びている僕がいる。

波はざわざわしていて、朝よりも高く見える。


「波は風が造った贈り物なんだ。」


「水面を口で吹くとざわめくだろ。

そのざわめきは、吹き続けられると、少しずつ重なってうねりになる。波長が合うって言うのかな。

遥か遠くでできたうねりが、何千キロも旅して形を整えて、波となって終わりを告げるんだ。

こころもざわめくだろ。そしてやがて大きな気持ちになる。気持ちは言葉となり、行動となるんだろうな、きっと。」


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お兄さんは、僕の気持ちを察して、今日も母に電話をしてくれた。


「ごめんな、おまえの母さん、迎えに来るってよ。」


弟に比べて手のかからなかった僕が家出をして、とまどっているのは想像できた。

母が小さな体で一生懸命に働き、僕達を育て、立派な大人にしようとしているのに、、なのに僕はここで明らかにざわめいていた。



母は疲れた顔をして僕を見ると、お兄さんに深く深く頭を何度も下げた。

そして振りかえり、一発、強烈なビンタが僕に。知っているよ、父親の役目を果たそうとしている事を。

本当は泣いて抱きつきたいんだろう、今すぐ。


その時、気持ちは言葉となった。



母さん、僕、父さんのように強い男になりたいんだ。だから、ここに居させて。



幼い頃以来の息子の意思表示に、母は泣き崩れた、ただただ嬉しくて。


(大切な子が大切な何かを求めて巣立とうとしている、羽ばたく力も無いのに、、

こころに立派な翼を見る気がしたのだった。)





















超、青い。



目の前に広がる空と海は、青すぎる。


自然が好きなわけではない、スポーツをしに来たわけでもない、でも来て良かった。




東京のマンションで母と弟の3人暮らし。

父とは幼い時に別れた。母は気丈に振る舞うけど、人生に疲れているようで、切ない。

弟は泣き虫でいじめられっ子だったのに、今は悪い事ばかりして、母を困らせる。


僕は、幼い頃は陽気だったらしいが、いつしか言葉を失い、時が早く流れるのを願う少年になった。

勉強をする意味がわからなくて、机に向かう事ができない。

運動をする意味がわからなくて、競争に加わる事ができない。


父は勉強も運動も大好きだったらしい。何故、僕達に教えてくれなかったんだろう。

もう僕は中3だよ、父さん。


ある夏休みの朝、


僕はありったけの小遣いを持って、家を飛び出し、地下鉄に逃げ込んだ。

地下鉄から船橋、外房線に乗り込み、父との写真の背景になっていた九十九里浜を目指したんだ。


海辺には、たくさんのパラソルが並び、家族連れの声、イケてるカップル、海の家のマジ黒いお兄さん

なんかがいる。


夏を楽しむ権利は、俺にだってある。少しいきがってもいいじゃないか。

それより、何より、この青さはヤバイ。


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そして、暑い。ジーパンにTシャツ姿で来てしまったけれど、ま、いっか。

袖をまくりあげ、遊歩道に体育座りし、しばらく海を眺める事にした。


辛い日常に比べて、ぼーっと過ごす事のできるこの空間は、一気に現実を忘れさせてくれる。


もう何時間経ったかわからない、海と反対側に夕陽が沈んでいくのだけは、わかった。


ポケットの中の小銭は、棲みかに帰れない子猫のように、泣いている。

母が仕事から帰る前に、家にいないのは初めてかもしれない。ひどく悲しむかもしれない。


そう思うと急に涙があふれてきた。砂の付いた手で拭うと痛い。顔は日焼けで真っ赤だ。


「今日、波そこそこだったな。」


ごついお兄さんがサーフボードを抱えて海を振り返り、遠い目をしている。

夕暮れ時に体育座りをし、涙を流す中学生は、放っておけないらしい。


「俺、カイト。名前は?」


カナル。

運河、Canalという響きは、世界共通の単語であり、運命をはこぶという意味を持つらしい。

(運命なんて糞くらえだ。)


ほどなく、お兄さんがアルバイトをしている海の家に泊めてもらうことになった。

もちろん、母に電話をしてもらい。。座敷の遠くからでも聞こえる、母の謝る声。





ごめん 母さん、もう一日、海を見させてよ。