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Surf’s-Up

音楽の話を中心に。時にノスタルジックに

Surf’s-Up
 スティーヴン・マルクマス、ソロとしては通算5作目、スティーヴン・マルクマス&ザ・ジックス名義では3作目のアルバム。昨年度のペイヴメントのリユニオン・ツアーを経て、今作では初めて外部からプロデューサーを迎えた。しかもその人物はベック。

ローファイの祖的存在として、ペイヴメント時代から孤高の道を歩んでいるスティーヴン。そのマイペースさは時々緩すぎて散漫な印象を与えることもあったが、今作ではしっかりとしたロックアルバムを作り上げている。


 そうはいっても劇的にサウンドが変わったわけではない。前作Real Emotion Trashに比べると、若干アグレッシヴさが後退しているが、マルクマスの独特のひねたポップセンスは健在だ。


 まず1曲目のTigerを聴いてもらいたい。「もうペイヴメントじゃん」と思ってしまうほど、適度に脱力した風通しの良いロックナンバー。続くNo One Is (As I Are Be)はおそらくベックがかなり手を入れているんではないだろうかと思われるくらいややアシッドかかったフォーク。3曲目のSenatorではこれまたペイヴメントっぽい、メロディーのポップさとざっくりとした演奏が良い具合に絡んでいる。

 と、こんな感じでとにかく抜けの良い曲が並んでいる。曲の長さも大半が2,3分台。15曲収録されているがそれほどボリュームを感じない。冗長になることを避けてのことかもしれないが、1曲1曲が割とコンパクトにまとめられているのは良いと思う。もちろん主張したいときはちゃんと主張している。Brain GallopやGorgeous Georgieでは曲の後半に後半のアーシーなギターソロが聴けるし、Tune Griefではかつて無いほどに高速でロックンロールしている。


 でもやはり素晴らしいと思うのが、すっかりベテランのはずだけどいつまでたっても上手くならない、熟練しないことだ。未だもって新人バンドのようなたどたどしさを、そして瑞々しさを持っている。アイディアがまとまっていなくても、とりあえずやってみようという勢いだけでも、「音を出す」こと自体を楽しんでいるし、変わらぬ気持ちよさを感じているように見える。おそらくそれが彼のグルーヴなのだろう。ソロ作品の中では最高傑作だと思います。


 ★★★★☆(28/10/11)





Surf’s-Up
 J Mascisのソロアルバム。最近はダイナソーJRやソロプロジェクトの活動なのでコンスタントに作品を出しているが、純粋なソロアルバムということになると、実に15年ぶりとなる。ソロ作品も力作が多かったんだけど、今作は今までとはちょっと趣が違う。

 Jの十八番である轟音ギターサウンドは、ここではほとんど姿を現さない。ほとんどがアコースティックギターのみの簡素な演奏に、枯れて捩れたJの歌声が絶妙な味わいを見せている。


 ダイナソーは殺伐とした轟音ギターサウンドと儚く美しいメロディーのアンビバレンツが大きな魅力だったが、ソロ作品もそこは割と踏襲した作品が多かった。しかし今作は、本来のメロディーに思いっきり寄り添ったサウンドプロダクションとなっている。


 つまりは、出来上がった楽曲に対し、素直なアプローチで曲想を表現することに務めているということになる。これが実に新鮮なのだ。荒涼とした地にすっくと立ち上がった、素晴らしいシンガーソングライターのアルバムとなっている。


 Jが素晴らしいソングライターであることは、もうすでに周知の事実である。しかしながら、あのJがこんなにカントリーの香りすら漂わせるくらいフォーキーな音を鳴らすとは思いもしなかったわけで、そこに対する驚きは大きいのだけど、それを差し引いても、実に美しい曲がてんこ盛りである。そして時々静寂を切り裂くように轟くエレクトリック・ギターがたまらない。ヒリヒリとした痛みと包み込むような優しさ、そういう意味では新たな構造の「アンビバレンツ」なロックなのかもしれない。Jに対する予備知識がない人は、真っ当にシンガーソングライターのアルバムだと思って聴いて下さい。傑作。


 ★★★★☆(27/10/11)





Surf’s-Up
 ソロ活動10周年を迎えた曽我部恵一の最新作。リリース日は4月20日。まだ震災の影響で「音楽なんてやってる場合か」という空気が漂っていた頃である。曽我部恵一自身もリリースすべきかどうかかなり迷っていたらしいが、改めて聞き直してみて心から「この歌を届けたい」と思い無事に世に出ることになった。


 前作のソロ「けいちゃん」はアコギ一本でぎりぎりの表現スタイルで勝負した「生身」のアルバムであった。今作はバンド形式での録音であるものの、手触りはアコースティック寄りなものとなっている。


 曽我部恵一というと、呼吸や食事と同じ感覚で音楽を作り続けいるのではないか、というくらい多作な表現者である。きっと今日もどこかで曲を作っているか、またはどこかで歌っているか。どこまでも、音楽にどっぷりつかっている人だ。そんな調子だから、彼の作品からは彼の思想や感性が明確に伝わってくる。そしてそれは年を重ねるごとにダイレクトさを増しているように感じる。


 優しげでありながら、とても透徹とした美しい音楽がここにはある。「春の嵐」という曲で始まるのだが、叙情的に春の情景を描いていても、不思議と伝わってくるのは曽我部恵一がどんな気持ちで春を俯瞰しているのかというパーソナルなものだ。たまたま入ったカレー屋さんでできあがったという「がるそん」、全ての人に平等に訪れるどん底な瞬間を肯定し乗り越えようとする「なにもかもがうまくいかない日の歌」など歌うテーマもいろいろあるが、やはり最終的には曽我部恵一という人間に集約される。


 その集大成的アンセムが「愛と苦しみでいっぱい」だと思う。全ての楽器からミックスまで自分で行ったこの曲では「ぼくらはいつだって愛と苦しみでいっぱい/気づいて傷ついて喜びと悲しみでいっぱい」と歌われる。愛と苦しみ、喜びと悲しみ。これらは表裏の関係にあるのではなく並列的に存在してこそなのだ、ということを教えてくれる。


 季節はもう秋だけど、やっとこのアルバムのレビューを「書いても良いよ」というサインを自分の心がくれた。人生で最も辛いんじゃないかという時期に、自分を支えてくれたアルバムでもある。ライブに行ったときに力強く僕の手を握り返してくれた曽我部さんとの握手を僕は一生忘れないと思う。もちろんこのアルバムも。


 ★★★★☆(27/10/11)



Surf’s-Up
 英スラウ出身の4人組。Brother改めViva Brotherのデビューアルバム。UKロックの新人勢の中でも注目度はかなり高いバンドである。「世界一ビッグなバンドになってやる」というヴォーカルのリーの息巻きぶりを見てもわかるように、そのビッグマウスでリアム・ギャラガーとも舌戦を広げてきた(今は認め合ってるとの情報も)。


 でも、もちろん彼らは単なるビッグマウスではない。それは、このデビューアルバムを聴けば容易にわかる。これはもうビッグマウスに夢を語れるくらいでなければ鳴らすことのできない音なのだ。大いなる野心と確信がなければ、Viva Brotherの音にならないのだ。


 プロデューサーは、あのスティーヴン・ストリート。彼らの曲を聴いたスティーヴンが自らプロデュースを買ってでたそうである。ちなみにメンバーはThe Smithsのファンであり、モリッシーは彼らをツアーの前座に起用している。


 まず耳を引くのが、そのキャッチーなメロディーだ。ど真ん中のブリット・ポップ的メロディーで、Modern Life Is RubbishからParklifeあたりのBlurを彷彿とさせる。明快な歌メロとコーラスのインパクトが強い。そしてリフにもキャッチーさを求めるモッドなギターサウンドはOasisやOCSあたりを想起させる。かなり「おいしいとこどり」のサウンドに聞こえるのは致し方ないところか。


 それでも、個人的には全曲シングルにも出来そうなくらい、キャッチーなメロディーセンスを大きく評価したい。なんだかんだ言っても、今これだけ大きな歌メロを書けるバンドはなかなかないと思うのだ。これからまた音楽的には進化・挑戦をしていかなければならないだろう。でも、このメロディーセンスを鈍らせることだけはしないように、と強くお願いしたい。個人的には彼らは優秀なメロディーメイカーだと思うけど、アルバムがやや一本調子に感じられる点から優秀なトラックメイカーにはなりきれていないように感じる。


 自分のように、とにかくギター・ロックが死ぬほど好きだという人間にとっては、どうにもこの音はツボなのだ。全部とはいかなくても、朝から頭の中をDarling Buds Of Mayのメロディーがぐるぐる回っていたりするのだ。だから、絶対に2ndを出して欲しい。もうちょっとのアイディアとオリジナリティでこのバンドは化ける可能性を持っている。


★★★☆(27/10/11)





Surf’s-Up 山下達郎、6年ぶりの13作目。本来は昨年度リリース予定であったが、レコーディングの遅れによる延期、さらには震災によって、内容の見直しが行われ、今年の夏にやっとリリースとなった。タイトルも当初は「Woo Hoo」というものであったが、「希望という名の光」にちなんで「Ray Of Hope」に変更となった。


 アルバムの構成でも「希望という名の光」がPrelude,Postludeという形で使われている。つまりはこの曲がアルバムのリードトラックだと言える。この曲がシングルとしてリリースされたのは震災の前であったが、震災後にこの曲がラジオで何度も流された。「運命に負けないで/たった一度だけの人生を/何度でも起きあがって/立ち向かえる/力を送ろう」という歌詞があるが、これ以上ないというくらいに傷つき、多くのものを失ってしまった被災者の方々に、一番響くシンプルなメッセージなのかもしれない。


 山下達郎というと、完璧主義者で音楽至上主義なのではというイメージがあるが、ここまで時代性や大衆を意識した作品作りをしたことがあるのだろうか?とにかく、そういう時代感を思慮した上でもあるのだろう、スローナンバーが多く、やや落ち着いた雰囲気を持ったアルバムとなっている。


 シングルやタイアップ曲が大半を占めているので、やや既聴感が強いのが残念ではあるのだが、これだけクオリティーの高い楽曲のそろったアルバムもそうはないだろう。


 アルバム中の純粋な新曲は3曲。これらも全く引けを取らない出来となっている。その中でも「俺の空」でのギタープレイは聞き所の一つである。山下達郎といえばクリーンで正確なカッティングであるが、ここでは粘っこいギターソロを弾いている。


 シングル・タイアップの中では個人的にNew Remixの「街物語」がいい。いかにもなアーバンシティ・ポップスといった感じだが、ファルセット気味のサビがたまらない。愛の終わりや人生の挫折があっても、この先に待っているものがある。決して逃げ出したりはしないという意志がこのサビのファルセットに凝縮されている。


 また、2曲目のNever Glow Oldも最高だ。もはやおなじみとなったプロトゥルーズとシンセ中心のサウンドであるが、不思議と暖かみがあって有機的なサウンドに聞こえる。「時代という名のコスチュームを/脱ぎ捨てた心は/二度と滅びはしない」、強烈なメッセージが開放的なメロディーに乗って歌われる。


 相変わらずの職人ぶりで、徹底したこだわりはアルバムのあちこちで感じることが出来る。達郎は「自分は職人だから、タイアップやドラマなどの注文があった方がありがたい」と謙遜して話すが、フックのあるメロディーラインや洗練されたサウンドの中に、自身のバックグラウンドであるオールディーズのテイストやこだわりを必ず盛り込んでいる。それはまさに、Never Glow Oldなサウンドだろう。そしてそれは、ミュージシャンのある種の理想郷なのかもしれない。


★★★★(27/10/11)



Surf’s-Up
 ノエル兄さん、満を持してのファースト・ソロ・アルバム。Oasisの脱退劇から約2年ちょっと。時々ソロライブを行うくらいで特に目立った行動を取っていなかったが、ロンドンとロサンゼルスで密かにアルバム制作を進めていたようである。


 かねてから、ソロではスタジアム・ロックから離れて、「ノエル・ギャラガー」というシンガーソングライターのアルバムを作りたいと公言していたが、確かにOasisと比べると爆音レベルは下がっている。でも、いわゆるシンガーソングライターのアルバム、というイメージもそれほど湧いてこない。


 というのは、アレンジ面で、非常にゴージャスな音作りをしているからだ。トラックも壮大なスケールになっているものが多く、そこにストリングス、コーラス、ホーンなど重厚な味付けが多用されている。中にはビッグバンド・ジャズ風なものまで。ストリングスはOasis時代から時々使われていたが、今作ではThe Masterplanレベルで使われている曲が幾つもある。


 もちろん稀代のメロディーメイカーらしく、素晴らしい質の楽曲が並ぶ。ただ、音楽性が急に変わると言うことはなく、基本的にはOasis時代のノエル・ヴォーカル曲の延長線上にあるが、今作ではノエルの「歌」が非常に伸びやかに聞こえる。シンガーとしての自己主張が強くなったとでもいうのだろうか。また、所々に男の色香を漂わせていて、ヴォーカリゼーションの進化が見て取れる。


 オアシスのフォーマット、構成上の制約から離れて作られたという意味では今作はすごく興味深い。ラウドなギターもほとんど無いし、ギターソロも2曲だけ。アコースティック・ギターが主体となっているものが多い。固定されたメンバーのバンドでいるとなかなかこういうことはできなかっただろう。


 Oasisでやった方が良い、リアムが歌った方が良い、という曲は皆無。そこは大いに評価したい、というかホッとした。ただ、The Death Of You And Meは漂う哀愁がThe Importance Of Being Idleのようだし・・・とついつい比較してしまうのだが。でも、個人的には後期oasisのノエル・ヴォーカル曲よりはずっと良いと思う。来年また新作がリリースされる予定だそう。この水準はキープしてもらいたいところ。やっぱり好きです。


★★★★(26/10/11)





Surf’s-Up
 レッチリ、ついに10作目のアルバム。ジョン・フルシャンテの脱退後、初のフルアルバムということで、新人バンドのデビューアルバムのような気持ちで聴いた。

偉大な1ピースを埋めようとするのではなく、むしろそこで発生した新しい風を気持ちよく吹かせることに成功している。そこは実に正しい選択だと思う。新メンバーのジョシュ・クリングホッファーはギターだけでなく、数種類の楽器をプレイするマルチ・プレイヤーである。


 つまりは凄腕のギタリストでも、独創的なフレーズやリフを奏でる名手でもない。しかし、年齢的にも若くバランス感覚のあるプレイヤーが入ることによって、バンドのグルーヴに安定感が生まれたと思う。また、フリーのベースがとにかくいい。良い意味で角が取れたというか、すごく有機的な音になったと思う。トム・ヨークがAtoms For Peaceに彼を誘ったのは、あの音が欲しかったのだろう。すごく気持ちがわかる。何か生き物みたいなベースである。


 プロデューサーはおなじみリック・ルービン。まずはオープニングのMonarchy Of Rosesはアクセル8割くらいの軽快なロックナンバー。まずは軽い挨拶を、といったところか。2曲目Factory Of Faithはフリーのベースとアンソニーのヴォーカルの掛け合いがグルーヴィーに展開する1曲。続くBrendan's Death Songは、友人の死について歌った骨太なナンバー。 


 4曲目Ethiopiaはまたフリーの粘っこいプレイが楽しめる。次のAnnie Wants A Babyはメランコリックなメロディーとジョシュの控えめなギター・プレイが絡みを見せる。個人的には6曲目Look AroundとシングルThe Adventures Of Rain Dance Maggieがハイライトだと思う。aアルバム中最もキャッチーかつアグレッシブな瞬間だ。 


 アルバムの後半は、Did I Let You Know、Goodbye Hoorayなどリズムに変化のあるナンバーが並ぶ。軽快なピアノのイントロで始まるHappiness Loves Companyはアルバムの中で、ちょっとした箸休めのようにも聞こえる。


 終盤になるとPolice Station、Even You Brutus?、Meet Me At The Cornerとどこかもの悲しさを湛えたスローナンバーが続く。この辺はいささか渋すぎる感があるが、ラストは祝祭的なDance, Dance, Danceで終わる。


 確かに、まとまりよく落ち着いた印象は否めず、凄みを求めていた人にとっては明らかに物足りないだろう。しかしながら、単純にロックアルバムとしては、非常に優れた作品だと思う。メロディーもよく練られているし、リズムや曲調もバラエティーに富んでいる。「ジョンの不在」という現状に対して、各々のプレイヤーが下を向くことなく音を鳴らすだけで、これだけのものができてしまうのだ。こういうのを「スーパーバンド」と呼ぶのかもしれない。


★★★★☆(26/10/11)








Surf’s-Up
 タイトルが何ともインパクトがある。思わず「The Smithsに対するアメリカからの回答」なのかと勘ぐってしまうのだが、全く違います。 なんと、全米チャートで初登場NO.1.になったという作品です。


The Decemberistsは米ポートランド出身のバンド。2000年に結成され、今作はバンドにとって6枚目の作品となる。これまでは、アメリカンロック・フォークを基調としつつもどこか陰のあるサウンドを作るバンドのようだったが、今作ではだいぶその様相が変わったようである。


1曲目Don't Carry It Allではゆったりとしたビートとおおらかなメロディーが気持ちよさげに流れている。そこにアコーディオンやバイオリン、マンドリンらが加わっていく、まさにアメリカの王道を行くサウンド。2曲目Calamity Songは一転して、ドライブ感のある開放的なナンバー。3曲目Rise To Meはこれまたアメリカンロックの王道的なスローナンバー。

 カントリーやブルースなどのルーツミュージックを下敷きとしたフォークロックであるが、メロディーの質感がとてもいい。どの曲も陽性で柔らかなメロディーを持っている。性質上「保守的」にとらえられても仕方のないところだが、シンガロングできる親しみやすさを持ちつつ、聞き終えたあとに心がチクッとするような切なさを感じてしまうのは僕だけだろうか。


 元(涙・・・)R.E.M.のピーター・バックが参加している。何でもR.E.M.のような曲ができたから、ピーターにギターを弾いてもらおうと軽い気持ちでお願いしたら、快く引き受けてくれたらしい。3曲でギターやマンドリンを弾いている


確かにThis Is Why We Fight(参加してませんが)とか、R.E.M.っぽい。


 R.E.M.が解散した今、アメリカーナの伝承者となっていくのかどうかはわからないが、その素質は十分にある。個人的にはこういうバンドがアメリカで正当な評価を受けていることがうれしい。「いいものはいい」という金科玉条が死んでしまっては、ロックシーンでさえも終わってしまう。


 ★★★★☆(25/10/11)








Surf’s-Up
 英シェフィールド出身の4人組The Crookesのファーストアルバム。音楽通の中ではEPがかなり話題となっていたらしく、あのノエル兄さんも褒めたという。僕はこのアルバムまで全く知りませんでした。


 ジャケットを見ると、渋いAORなんじゃないかと思ってしまうのだが、前に紹介したFrankie&the Heartstringsと似た雰囲気を持っている。自分たちの好きな音楽を等身大の感覚でならすという、ネオアコ・マインドが宿った音だ。


 でも、メロディーのキャッチーさを重視した、この手の音を出すバンドはたくさんいるが、The Crookesは不思議とメロディーに特化しているような印象はない。それよりも、曲の持つ「あの時代」の雰囲気を大事にしようとしているように見える。


  どこかノスタルジックで、アナログな香り。キラキラしているけど、素朴なメロディー。オープニングのGODLESS GIRLやJUST LIKE DREAMERSといった、いかにもネオアコ黄金期のサウンドもあれば、CHORUS OF FOOLSやBLOODSHOT DAYSなどで見られる朗々と気持ちよさそうなヴォーカルとシンプルなギターサウンドは、The Smithsを想起させずにはいられない。


  「まんまじゃないか!」という部分も確かにあるが、ソフトながらも芯の通ったしなやかなギターサウンドは十分に魅力的。個人的にはTHE CROOKES LAUNDRY MURDER, 1922で見せる切ないメロディーラインとイノセントな歌詞には胸が締め付けられた。80年代中盤、UKのギターロックに胸ときめいていた人には、ツボな音だと思いますが。


 ★★★★(24/10/11)






Surf’s-Up
 英国サンダーランド出身の5人組、フランキー&ザ・ハートストリングス(以下フランキーで)のファースト・アルバム。アルバムの帯には「英インディ・ポップに変化を起こすニュー・カマー」と書いてある。

 確かに今また注目を集めつつある英国新人勢の一つである。でもこのバンドを楽しむのに、そんな大げさなキャッチコピーはいらない。むしろ何もないところから聴いて欲しい。


 なぜならば、このアルバムが今のUKロックの時系列から離れたところにある音楽だからだ。目新しさとか、挑戦とかではなく、不変的でタイムレスな魅力を持っているからだ。


 アルバムのプロデューサーはエドウィン・コリンズ。まさに最高の人選であることは、おそらく聴けばわかると思う。


 まさにエドウィン・コリンズが在籍していたネオアコ・バンド、Orange Juiceを思わせるようないかしたポップ・チューンが並ぶ。小気味よいカッティング・ギターに、ちょっとナルがかったヴォーカル。まさにネオアコ直系のサウンドであるが、所々にThe Smithsの残像も浮かんでくる。


 このバンドの大きな武器は、やはりメロディーだろう。どの曲も口ずさみたくなるフックを持っていて、ライブでは合唱必至なんだろうなと容易に想像できる。すでにリリースされていた3枚のEPのインパクトが強くて、ほかの曲とのクオリティーの差が心配だったが、そんなことはなく、しっかりと粒を揃えた印象だ。昔のネオアコ系バンドのアルバムって、どの曲聴いても耳に残るというか、息つかせぬような「メロディーの乱射」があった。彼らもそれに近いくらいのものがある。


 基本シンプルなギターロックが好きな自分にとっては、嫌いなはずがない音。ただ、バンドのアイデンティティを感じるまでにはあと一歩といったところ。でも、そこに逆に将来性を感じる。ある雑誌のインタービューで、最近のUKの新人バンドと同列に取り上げられたことに対して、「絶対に息の長い活動ができるのは僕ら」と答えていたのが印象的だった。確かにそういう素質を感じる。


 あと、歌詞の青臭さがいいですね。


 ★★★★(23/10/11)