小学校の運動会が終わって、久しぶりに日光に当たったからか、見るだけだった親の方が疲れ果ててベッドに横になっていると、
4年生になる娘が近づいて来て言う。
「ととー。10分マッサージするから20円ちょうだい。」
え!?
20円!! 安っ!!!(*´艸`*)
って思ったがそこは黙って、
「ええでー。」と応える(笑)
「やったー(・∀・)」と娘は喜ぶ。
そして肩をもんでもらったり、背中を踏んでもらったり。
ちょうどよい重さと小さな手が気持ち良い。
やがて、10分が終わり、約束の20円を手渡すと、
娘は溢れんばかりの笑みを浮かべ、「ありがとう」と言って、誇らしげに20円を握りしめました。
自分で何かしらの価値を提供し、その対価としてお金を得る。
その交換にある喜びの純粋さを目の当たりにして、なんだか少し感動した。
カウンセリングで人の心を観察していて思うのですが、
私たちはどうやら、交換していなければ淀んで重くなってしまう生き物のようです。
「与える」と「受け取る」が心地よく循環をしている時、人の心はご機嫌に弾んでいられます。
子供は持って生まれた身体の愛らしさ、笑顔、言葉、を使って親に喜びを与え、そして愛やサポートを受け取る。
その循環がスムーズであるため、流れて淀みがないため、邪気が溜まらない。
つまり「無」邪気なのです。
でも、思春期に入り、自我を形成していく段になると苦しい時期が訪れます。
親から離れて自分を確立しなければならない。そのために親を喜ばす可愛いだけの子供ではいられなくなる。
自分の姿かたちも愛玩動物のような愛らしいものではなくなってくる。
つまり親に与えて喜んでもらえるものが無くなってしまう。
でも、それでも自分は扶養され、食事も学費も出してもらっている。
受け取るだけで与えることができない存在。
流れが淀み、下手をするとそこに邪気が溜り、こじれます。
中学生や高校生、大学生の子供達と話していると、感じます。
時おり表情に現れる苛立ち。
不満のような、恥のようなもの。
自分を一生懸命、粗末にするような、自分への軽蔑。
その奥に「ただ受け取るだけの存在であることの、やりきれない苦しみ」が見えます。
(本人は何に苦しんでいるのかも分かっていないのですが)
そしてそんな彼らは、その後、就職すれば与える立場に回れるかといえば、それがなかなか難しく。
供給過多の今の時代。
就職活動においても「与える」のではなく、企業に雇って「もらう」という立場になっていたり、
就職できても、労働力与えて喜んでもらうのではなく、「搾取される(奪われる)」というような経験をしたり、
なかなか「純粋な交換の喜び」には行き着かなかったりします。
大きな意味で私たちはこれから、この「純粋な交換の喜び」へと、経済活動を癒やしていく必要があるのかもしれません。
歴史を見れば分かる通り、経済活動を通じて私達人類の集合的無意識は大いに傷付いています。
それを癒やしていく段階に来ているように思います。
でも、まずは小さな所からですね。
まずは個人の心から。
夫婦や親子、友人、などの人間関係から。
身近な関係が「純粋な交換の喜び」となっているか、
そこに出し惜しみの淀みがないか、
受け取り損ねているものがないか、
与えすぎて搾取されたような恨みになっていないか、
与えることで自分もまた力を得ているか、
そんな視点で人間関係を見直して調節してみましょう。
きっと日常の幸せや喜びについて、新たな可能性が見えてくると思います。
そして、その先には仕事、経済活動における交換を癒やすということにつながっていくのではないかと、希望を込めて私はそんな未来を見ています。
20円を握りしめて誇らしげにしている娘の屈託の無い笑顔に、その原点を見た気がしました。
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