先日、心理療法家としての私のキャリアの中で、最年少となるクライアントのセッションを行いました。
なんと、小学6年生。
うちの娘と同い年です。
通常、この年齢のお子さんに現れる症状は、家族の問題を表しているに過ぎないので、
両親のセラピーを行った方が、その子にも良い変化を期待できるものです。
ですが、その子の場合は、本人の身体に残ってしまっている残留エネルギーを開放する必要があったため、小学生本人のセラピーを行うことになりました。
小学生の高学年というのは、面白い年齢ですね。
無邪気さや幼さが残る表情の中に、その子本来が持つ大人の魅力が垣間見えたりします。
変な自意識に汚染されていない分、その魅力が赤裸々なまま現れていて、はっとすることもあります。
それと向き合っていると、相手が子供であることを忘れ、その子に現れているものの大きさ、偉大さ、魅力に対して、無意識に敬意を払っている自分に気づきます。
それはとても不思議な感覚です。
子供と話しているのに、偉人にインタビューしているような気もしています。
41歳の私が無意識に敬意を払っているもの。
それはいったい何でしょうか?
その子が生きた10年足らずの歴史の重みでしょうか?
もちろん、そうではありません。
私が見ているのは、その子の生きた歴史以上の何かです。
その子の存在の中に宿していて、そして立ち現れようとしている何かです。
それは心理学者のユングの言うアーキタイプ(原型)
プラトンの言うイデア。
スピリチュアリストの言うところの魂。
一般的に言うところの才能。魅力。
私は嬉しくなります。
この世に出て来ようとしている才能に貢献できることに、自分の内側はウキウキと喜んでいました。
人間としてこれまで生きた年齢や、大人や子供という概念も超えて、
そこに立ち現れる原型的な存在に敬意を払い、影響し合えることが、貢献できることが、私の魂は嬉しくて仕方が無いようでした。
私は人間の「才能」というものを信じています。
「努力」よりも「才能」を信じています。
努力はもちろん必要なものですが、人間の能力や才能が、努力次第でどのようにもなるものとは考えていません。
「人間の能力の差とはその人が払った努力の差だ。」
「努力と環境によって人は作られる。」
そのように考える時、人は人間というものを空っぽのバケツのように捉えています。
空っぽのバケツに知識や経験や修練を注ぎ込めば、それなりの人間になるのだと。
その注いだものこそその人なのだと。
そう考える時、人はバケツの外側にある多くのリソースを見落としています。
大人が子供を空っぽのバケツのように見る時、子供たちもまた自分自身をバケツの中だけの存在のように感じてしまいます。
努力してバケツに注いだ分しか使えないのだと、自分を小さく見積もります。
そうなると、たかだか10年程度の人生です。
そして多くの子供はそんなに熱心に努力を注いでいないので、
大して何も入っていない空っぽバケツの頼り無さを自分だと思い込みます。
そのようにして私達大人が通俗的に信じている通り、「子供」という概念を生きることとなります。
心の世界は物質の世界と違って、意識すればそのようになります。
自分を空っぽのバケツだと思えば、自分がバケツに注いだものだけしか使えなくなります。
でも、本当はそのバケツには底が無くて、その奥は広大な海とつながっています。
無限のリソース(知恵、能力、魅力、技能、素材)の海です。
私はその豊かで広大な海から、その子のバケツの中に流れ込んできているものの性質を見ています。
その子の声の質、表情、立ち振舞、発している雰囲気には、10年の歴史を超える普遍性を持った力が流れ込んできていて、
幼さを残すその子を通じて立ち現れようとしていました。
小学生の男の子が思慮深く賢者のような表情をして丁寧に言葉を選びながら、話している。
その振る舞いの美しさ。
それは私達が良く知っているもの。
私はその立ち現れようとしている性質に注目し、支持し、言葉を与え、名前を付け、本人に認識させ、それがこの世で形になるように導きます。
そのために必要なものとして、その子の個人的な「努力」があるでしょう。
流れ出ようとする才能を現実世界に引き出し、それをある水準以上に定着させるためには圧倒的な量の鍛錬が必要になります。
でもそれはバケツを満たすための努力ではなく、表れ出ようとする才能を刺激し、開き、定着させるための努力です。
バケツに入れるための努力は単に積み重ねるものですが、
才能は刺激して栄養を与え、開くものです。
それは大人の私達自身にも言えることです。
私たちは子供を持ち、家族を持つことで、自分の内側から「父なるもの」「母なるもの」が立ち現われる経験をします。
「母親になる自信が無いんです…。」
それは自分をバケツのように扱っています。
母なるものは関係性を通じて、あなたの底から立ち現れます。
カウンセリングをしていると、私は時おり自分でも思っていないことを喋って、自分で自分の言った言葉に学ぶことがあります。
クライアントとの関係が私をカウンセラーとして存在させ、カウンセラーという原型エネルギー(老賢者のアーキタイプ)が立ち現われるのです。
今のような文章を書く時もそうです。時折自分が思っていたものと違った広がりを見せ、思いもしないメッセージが出てきて驚くことがあります。
「自分のインプットした知識以外は使えない」という制限を、私はそれほど信じていないのです。
私が仕入れた知識を通じて、何が立ち現れようとしているのか、私はそれを邪魔せずに、出てきたものは止めずに、「人に与える」という点にだけ忠誠を誓っているわけです。
これが、人の能力を開く際の人間理解であり、人間の見方です。
みなさんはいかがでしょうか?
ご自分のお子さんを、自分が育ててきた数年の歴史としてしか見ないことは、とても勿体無いことです。
お子さんの存在の奥底につながった広大な海を見るようにしてみてください。
そして、そこから何が立ち現れようとしているのか、その性質を見てください。そしてそれに敬意を払いましょう。
例えお子さん自身が、自分のバケツの底を見ていたとしても、親である私たちは、その向こうにあるものの大きさを見ていましょう。
人間は、とてつもなく面白い生きものです。
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