心理カウンセラーの魔法の子育て -10ページ目

心理カウンセラーの魔法の子育て

心理カウンセラーから見た子育てのポイントと、ただの日記。NLPやコーチング、潜在意識など、最新の心理学理論を子育てに活用しましょう。

先日のクリスマスイブのこと。


もうウチの娘も小5に小3と大きくなりまして、

そろそろサンタクロースのファンタジー過ぎる世界観を信じるのにも無理があるだろうなと思って、

子供たちにサンタを卒業する流れに持って行きました。


『サンタさんも小さい子達にプレゼント渡すのに忙しいからな。もうそろそろあんたらは卒業し。

サンタさんを卒業したらお母さんが買ってあげるから。みんなそうやってサンタさんを卒業して大人になっていくんや。』

そう妻が伝えたそうです。

すると「そっかー。何買ってくれるん?」となって、

クリスマス前に、お目当てのオモチャを買ってあげたのでした。


それでサンタ的なイベントは終わるはずだったのですが、


ですが、


クリスマスイブの夕方になって、小3の娘が部屋に一人で黒板にメッセージを書きだしたのです。



見えにくいですけど内容は以下。


「サンタさんへ♡

メリークリスマス!!

わたしはこんかいでプレゼントをもらうのをやめます。

いろいろな子どもにプレゼントをあげてください。

さいごにドラえもん人形がほしいです。

急でごめんなさい。もしもこれを読んだならドアをしめわすれないようにね。

これまでありがと。

ひなより」



いやいや…汗 何ちょっと良い子っぽいこと書きつつ、プレゼントねだってるねん…(笑)

娘の強かさに笑いました。

そして言いました。


「ひな。ひなはサンタさん卒業してオモチャもらったやんな? サンタさんにお願いしたらアカンやん。」


「え~? (´・ω・`) でもサンタさんちょっと寄ってくれるかもしれへんし、ついでにくれるかもしれへんやん?」


「でもお母さんからも貰ったやん? サンタさんからも貰うのおかしくない?」


「え~。」


「それに急に言うてもサンタさん、もう宇宙から出発してるやろ。ドラえもんの人形とか無いで…。」


「え~(´・ω・`) でも四次元ポケットやから、ポッと出して来るんちゃう?」


「いや、それ。サンタとドラえもん混ざってもうてるやん…汗


みたいなやり取りをしていたのですが、寝る時になっても、


「とと~。サンタさんが来るかもしれへんから早く寝てな~。」とか言ってくるわけです。


なんか健気でかわいいではないですか。


そう来られると僕もファンタジスタとして考える訳です。


何かこの子の想像を超えるような、記憶に残るような何かが出来ないだろうか?と。


ドラえもんの人形は今更どこにも売ってないだろうし。約束を破って買い与えるのも違う気がするし。


ドラえもん人形…。作るか…。


いや無理…。


とか。


あ、そうだ!

サンタからの手紙とかどうだろう。


『ひなちゃんへ。

今日はドラえもんの人形を持って来れなくてごめんね。

でも、ひなちゃんの心の中には無限の可能性とつながったドラえもんのポケットがあるのだよ。

サンタより』



いや…。何言ってるか分からん…(笑)


とか考えてるうちに夜は更けて、結局、現実を知ってもらうことも大事だろうというところに落ち着いて、何もしないことにしました。


そして翌朝、

起きてきた娘に「プレゼントあったか?」と聞くと、

「無かったで」と言って、事も無げにお姉ちゃんと楽しそうに遊んでいました。


そのあまりにさらりとした有り様に、僕は軽い衝撃を受けました。


この子はもう昨日お願いなどとっくに過去にして、今を生きてるんだと。

なんだろうこの素晴らしい有り様は。


サンタに感謝しつつ、あわよくばとお願いもしつつ、でも全く期待はせずに今に集中するという高度な在り方。

すごいですね、子供は。


感謝があったら伝える。可能性が少しでもあれば求める。


でも、期待はしないから失望も無い。


終わったことはすぐ過去にして今を楽しむ。


いや~。すごいなー。ひな。おまえはすごいな。


お父さん、変な手紙書かなくて本当に良かったと思ってる(笑)

昨日はリビングのほかほかカーペットの上で寝てしまってたのだけど、

朝になって妻が言う。

「あんた寝言で誰かに甘い声で『オーケー、オーケー』ってささやいてたで。誰にささやいてたん?」って。

いや。その夢は触れたらあかんやつや。

「おーけー。おーけーやって。気持ち悪っ!」てモノマネしながら言われ、子供たちもギャハギャハ笑いながら「おーけー。おーけー。」って面白がって真似をする。

そして「今日の日記に書こっと(・∀・)」て屈託のない笑顔で小3の娘が言う。

「え? 何を書くん?」

「ととがおーけー。おーけー言ってたってこと。」

「いや。書かんでええわ。」

そう言うと嬉しそうに笑って。

「おーけー。おーけー。」言いながら元気よく学校に行ってしまいました。

止めてください…。
みなさん、こんにちは。

カウンセラーの佐原です。

今日は学級崩壊についてのお話しです。


先日、小5の娘の学年が学級崩壊しているということで、緊急の保護者会が開催されました。


テーマが学級崩壊ということで、カウンセラーとして私も興味津々です。


「ぜひとも見ておきたい! 何が起こっているのか肌で感じておきたい!」と不謹慎な程のワクワクを携えて(笑)参加して参りました。


娘からは軽く現状を聞いていのたですが、

隣のクラスの男子生徒が授業中に騒いだり、勝手に外に出てしまって、授業が成り立たなくなっているそうです。


保護者会の会場はテレビで見る記者会見みたいな形で、学年の先生が一同が前の席につき、保護者達と向き合っておられました。


最初に校長や教頭から現状の説明があったのですが、歯に衣を着せまくった先生方の物言いと、

子供の親であるということもあって遠慮して発言しにくい保護者達の、なんともすっきりしないモヤっとした対話がしばらく続きました。


ですが、ぽつりぽつりと保護者から本音が出だすと徐々にヒートアップして行き、最後には炎上して終わりました(笑)


私もしっかり伝えるべきところは伝えてきました。


でも先生方も大変ですね。


やはり体罰無しでの指導というのはかなり無理がある。


全体として父性と母性のバランスが崩れていて、母性の教育に偏ってしまっている印象でした。


今回先生方が提示した解決策は、


一人ひとりに声がけして、

見守って、

話を聞いて、

何かあったらみんなで話し合うように心がけます、ということでした。


大声で授業を妨害したり、授業中に歩きまわったり、外に出て隣のクラスの邪魔をする生徒に対しての対策がこれです。


そっちじゃないんですね。


ガツン!!と目を覚ますくらいに清々しい雷を落とすこと。


はっきりとしたペナルティーを与えること。


大人達に見てもらえている安心感、分かってもらえる安心感ではなく、分かり合えないかもしれない大人が放つ畏れと緊張感の方が必要なのですね。


今なぜ全国的に学級崩壊がこれほど起こっているのか?


座ってじっとしていられない子がこれほど増えているのか?


今回、保護者会を通じて私が自分の目で見た限りで言えば、その原因は単なる父性の欠如でした。 (心理療法の現場では、非常にデリケートな家族の問題が原因として浮かび上がってきていますが、ここでは言及しません)


今回の5名の先生のうち2名が男性でしたが、5名の先生の集合意識として発している気質は完全に母性でした。


それもとてもとてもやさしい母性でした。


これだと小学生時代の私でもふざけたくなるだろうなぁ。安全だもんなぁと、そう感じました。


子供たちにとって先生は安全な存在で、授業を妨害している子たちは自分に危害を加えるかもしれない危険な存在です。


そうなると自分の安全を守るためには、先生よりも授業を妨害している子たちの目を優先します。


自分一人が良い子ぶって仲間はずれにされないだろうか?と。


授業を妨害する子との関係によって、自分の行動が規定されるようになります。


クラスの無意識の中でリーダーは先生ではなく、危険と安全を掌握しているそこ子達なのです。


それがこの学年が学級崩壊している理由に見えました。


とは言え生徒の一人ひとりに個性があるように、先生方にも個性があります。


優しい先生が一朝一夕に雷おやじに変わるものではありません。


更に「体罰はダメ」とか「子供の人権」とか、そういった時代的な縛りの中で仕事してらっしゃるわけです。


そう思うと、本当に先生方もつくづく大変ですね。


保護者会の話し合いにも関わらず、強面の先生に入ってもらうくらいしか有効な解決策が見えませんでした。


正直なところ今回は改善は難しそうです。学年が変わって先生方が入れ替わるのを待つしか無さそうです。


ですが、今後の小学校の教育を考えた時に解決策として提案しておきたいのは、

教員採用の際に警察官の採用のように、ヤバいくらい貫禄がある男を多めに雇うことですね(笑)


武道を通じて養えるような凛とした武の氣を、採用の大切な基準の1つとする。


そうやって学校の先生の何割かは強面の先生でないと、全体として父性と母性のバランスが保てないのですね。


先生たちの集合意識に父性がしっかり配合されていれば、それほど怒らなくても子供の無意識は勝手に抑制されます。


それは集団の力学として、自動的にそう働くのです。


職員室に行くのはなんか恐れ多くて緊張する…と思われるくらいで調度良いのです。


そうすると女性の先生も頑張って怒鳴ったりしなくても、注意するくらいで子供は抑止されます。


集団の力学に怖い先生が入るだけで、全体のバランスが変わるのです。


子供たちの無意識から出てくるものが変わるのです。


とは言え、この提案を誰に伝えて良いのかわからないので…(笑)どなたか近くに関係者の方がいらしたら伝えておいてくださいね。


以上が、保護者会が終わってすぐの私の雑感でしたが、それからしばらく時間が経ってもう1つ上の次元からこの現象を見るようになると、また違った思いを持つようになりました。


それは、


学級崩壊って果たして本当に悪いことなのだろうか?


ということです。


人間の意識というのは、マクロで起こってることはミクロでも起こります。


国や地域社会という縛りが弱まり、逆に個としての権利が尊重される時代。


企業での仕事の仕方も縛りが徐々に解体され、時間や場所に縛られず、創造性の最大化される環境を自由にデザインして働くことが善とされる時代。


組織ではなく個人でフリーエージェントとして会社と関わる人が多くなった時代。


そういったマクロ(社会)で起こっていることの割合に応じて、ミクロ(学級・家族)でも起こってきます。


学級崩壊というのは単にそれが起こっているだけで、


実はじっとしていられずに自分の衝動を持て余して歩き回っている彼らこそが、次の時代の担い手ではないかと。


新しい社会の在り方を提示するようなイノベーションは、クラスの縛りを出たがる彼らの衝動の中から生まれるのではないかと。


そんなことを思ったりもしました。


もしかすると、見直しを迫られているのは私達が前提としている「あるべきクラス像」の方なのかもしれませんね。


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日曜日が小学校の運動会だったので、翌日の月曜日が代休に。


そうなるとユニバ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)に行こう!と、なるのが関西人特有の流れであるようでして、

うちも例に漏れず、「行こう!!」となっており、

父である僕は「ほう。そうか…。」と考えうる限り最も熱量の低い返事をして、夕方から合流することにしました。


はい。並ぶの嫌いなんです(笑)


でも秋のこの時期にやっている「ゾンビナイト」は一度行ってみたかったから、夜だけは行くことにしました。


仕事を終えて夕方からユニバに向かったのですが、すごいですね。


大阪駅のユニバ行きのホームに着いた時点で、なんかもう別次元のテンションの若者がたくさんいる(笑)


あんたら絶対ユニバ行くやろ!って感じで、そのワクワク感が伝染してこっちもなんかめっちゃウキウキしてくる(・∀・)(伝染りやすい…。)


で、電車の中で一人だしiPhoneのKindleで読書でもしようと、釈迦の教えを読みながら乗っていたわけです。


「この世の全ては苦である…」と…。


うん。完全にチョイス間違ってる…(笑)


こうして釈迦の世界観と外側の現実の落差にクラクラしながらユニバに着くと、


どこが「苦」だよお釈迦さん。





ここは桃源郷じゃないか!!


ってなりますね(笑)


いや~。いい時代になりました。


王族として贅の限りをつくしていた青年期のブッダよりも、今の時代の一般人に過ぎない僕らの生活の方が遥かに豊かで快楽に満ちています。


あー。自撮り棒持って来たら良かったなあ(嘘)


すぐに家族と合流して、人混みをかき分けて子供たちが遊んでいるのを眺めていました。


そして、念願のゾンビナイト!




「ぎゃー!」って、逃げてるお客もゾンビ仮装してるから、それ見て「ぎゃー!」ってなって、なんかわからんけど楽しい(笑)


静かにすれ違うゾンビに「うわ!!」ってなってるけどそれ顔色の悪い普通のおっちゃんやん!めちゃ失礼やぞ!とか(笑)





この方の迫真のゾンビ感にプロの仕事を見た。


ハリーポッターの街に行ったり。




結局、僕は1つもアトラクションに乗らずに(ある意味凄い!)雰囲気だけ味わってワクワクエネルギーを充電して帰ってきました。


神社仏閣は御神気を充電できるパワースポットだけど、ユニバは人のワクワクの氣を充電できるパワースポットですね。


「苦をいかに超えるか」という釈迦の時代のパラダイムと違って今の時代は、

「快を素直に受け取って、それをまた真っ直ぐに愛を持って誰かに与えていく」というような、意図を澄みきらせていく純度こそが問われていて、そこに新しい時代の『道』がありますね。


ユニバのスタッフのみなさんはとても良い仕事をされていて、気持ちが良かったです。


子供たちも大満足だったようです。ありがとうございました。
みなさん、こんにちは。

今日は若干、唐突な感じは否めませんが『離婚』をテーマにお話したいと思います。

「お? どうした?」と思われるかもしれませんが、

これは私の家族の問題ということでは(今のところ私の知る限りでは…)なくてですね。

日々のカウンセリングを通じて、多くの人の心の傷の原因として現れる「離婚」について、

今、子育て中の親御さんに読んでいただけるこのブログに、しっかりと書き記しておきたいと思った次第です。

もし、どうしても離婚という選択をせざるを得なくなった時に参考にして頂ければ幸いです。

また、

離婚とは縁遠い親御さんにも、「夫婦の仲」というものがどのように子供の人生に影響を与えるのかを知っていただける良い機会になればと願っています。


【離婚が子供たちに与えるダメージ】


先日10歳の娘に「お父さんとお母さんが別れて別々に暮らしだしたらどうする?」と意地悪な質問をしてみました。


すると「うーん。」と悩んだ後「のんの身体をびりびりっと真ん中で破って2人になって、お父さんとお母さんの両方と暮らすわ。」と答えました。


この回答は本当にその通りで、私達カウンセラーはクライアントの悩みの中に、この引き裂かれた心を見ます。


症状の現れ方やメカニズムは様々ですが、

例えば、心が2つに引き裂かれた痛みによって無感覚になって、表情や情緒が乏しい子供になっていたり、

一緒に住んでいる母への忠誠心から、離婚した父への愛を無意識に抑圧して、この抑圧によって心の半分が力を失い、それが不登校の原因になっていたりします。


また多くの子供たちは、両親の離婚を無意識に自分のせいだと捉え、罪悪感を持ちます。

両親が仲違いするという現実を受け入れるより、自分が悪いと思ったほうが子供にとっては楽なのです。

それ以外にも、例えば30代女性の「結婚したいのに結婚できない…。」という悩みの原因を紐解いていくと、離婚した元夫を恨む母親との絆があり、


「お母さん、私も男達と敵対して生きていくね。

 お母さんだけを1人になんかしない…。」



という無意識の決断に行き着くことがあります。

つまりこの女性にとって男性を愛したり結婚することは、お母さんへの裏切りを意味していたのですね。どうりで恋愛が進まない訳です。

こういったケースは悩みに直面するまで、本人さえも原因に気付いていません。

まさか自分が両親の離婚の影響を受けているとは思ってもいないのです。

でも、表面化しないままに「離婚」は子供達の人生に重い影響を与えています。

親としてはそれは耐え難いことですね。

自分の人生の選択がどうであろうと、子供たちには自由な人生を生きて欲しいと望むのが親心です。

そこで今日は、子供たちに与える離婚の悪影響を最小限に抑えるための7つのポイントをお伝えしたいと思います。


【離婚の悪影響を抑える7つのポイント】



1)離婚の原因はあなた(子供)には関係のないこととしっかり伝えましょう。


子供は無意識に離婚の原因は自分にあると考えます。

子供には両親は神のような存在であり「正しい人であって欲しい」「愛し合っていて欲しい」」という強い望みがあります。

そのため「お父さんお母さんが仲違いしている…」という現実を受け入れるよりも、自分が悪いと思ったほうが楽なのです。

ですので、子供は無意識にそのように解釈して、自己否定感を強めてしまいます。

そうならないためにも「これはお父さんとお母さんの2人の問題で(理由は話す必要はありません)二人で決めたことだから、あなたは何も悪くない」としっかり伝えましょう。



2)離婚によって別れるのは夫婦であって、親子関係は永遠に変わらないということを伝えましょう。

離婚は夫婦のカップルを解消することであって、母子、父子の関係は変わりませんし、それを解消する権利は親にはありません。

たとえ会える機会が減るとしても(あるいは全く会わせないとしても)

「お前は、これからもお父さんの大切な息子だよ。お父さんがお前のお父さんということには変わりが無いんだよ。」と、直接伝えましょう。

そして、養育する側の親も、子供の父子関係(母子関係)は、尊いものとして尊重しましょう。

子供にとって父子関係、母子関係の絆が壊れることは恐怖であり、身体が裂かれるような痛みを伴います。

だから、解消するのは夫婦のパートナーシップであり、父子関係や母子関係は何も損なわれないことを伝えてください。



3)子供に「どっちと暮らしたい?」と聞かないでください。


これは非常に大切なことです。

「お父さんとお母さんのどっちと暮らしたい?」と子供に聞くことは、子供の意志を尊重することにはなりません。

どちらを選んでも、子供は自分で選んだという事実によって、もう一方の親を裏切った…という重い罪悪感を背負うことになります。

それは子供の心を深く傷つけます。

例え子供が激しく嫌がったとしても、選択は親が行ってください。



4)別れた相手を否定しないでください。

これは離婚していなくても同じことですが、親がもう片方の親を否定したり攻撃したりすることは、子供をとても深く傷つけます。

子供はお母さんとお父さんの半分づつを合わせ持って存在しています。

ですので、例えばお父さんを否定することは、子供の半分を否定することになり、子ども自身が傷を受けるのです。

お父さんの血を半分持っている自分を自分で嫌うようになります。

「お母さん、お母さんが可愛そうだから私は私の半分を嫌い否定します。」

自己否定感に悩まされたりリストカットするクライアントの心にはしばしばこういった想いが隠れています。


また、もし母親が別れた夫の悪口を言ったり心のなかで嫌っていたりすると、子供は母親への忠誠心から、一緒になって父親を嫌うことになります。

それは、その子自身も気づいていないのですが、その子にとって『父親を愛する権利を奪われた』ということに他なりません。

子供は親から愛されないと心に悲しみを背負いますが、親を愛せない(愛することを禁止される)こともまた子供の心を深く傷つくのです。

そこで次のテーマにつながります。



5)子供が別れたパートナーを親として慕う権利を尊重して下さい。

別れた相手がどんなに酷い人だったとしても、子供にとってかけがえのない親であることには変わりありません。

子が親を思う愛は非常に深く強いものです。

真の意味で無条件な愛です。(親が子を思う愛は、時に条件付きです。)

でも子供が親を思う愛は、健気なほど自己犠牲的で無条件です。

それほど強い愛の表出を禁止されると、子供の心は行き場を無くした愛によって歪みます。

何度も言いますが、親から愛されないことのみならず、『親への愛を捧げられないこと』もまた子供の心にダメージを与えます。

その子に親を愛する自由を与えてください。

会える機会は減っても構いません。心のなかで神様を思うように、お父さん(お母さん)を慕うことができれば、子供の心はバランスします。



6)子どもと暮らすのは、別れたパートナーを肯定できる方にしましょう。


もしかしたらこれは受け入れ難いかもしれませんが、心理学的な法則として真実なのでそのまま書きます。

お父さんとお母さんのどちらと暮らすとその子の心は健康でいられるのか?

その答えは、『離婚後も別れた相手のことを否定せずに尊重できる方の親』です。


つまり相手に恨みを持っていない方です。(そして多くの場合はそれは父親であることが多いと言われています)

どちらと暮らすかという問題には、それ以外にも様々な要因を考慮する必要がありますが、

心理学的に子供の心の健康という観点から見ると、ここが重要になります。



7)子供をパートナーの代わりをさせないでください。


子供に別れた妻の役割をさせたり、別れた夫の代わりをさせないでください。

これはもちろん精神的な意味においてですが、パートナーのポジションに子供を置くことは一見、家族としてとてもバランスしたように見えるものです。

家族が調和したように感じられるかもしれません。

ですが、それは子供の『子供として存在する権利』を犠牲にしています。

それによって子供の心が発達するプロセスが阻害されるのです。

人に甘えることが出来なかったり、過剰に人の世話を焼いて生きづらさを感じている人たちのセラピーを進めていくと、このような役割を求められた家族関係が明らかになってきます。

「あなたは子供。私は大人。」というメッセージを暗に込めながら、子供は子供のポジションに置いて育てるように意識してください。


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以上7点です。

いかがでしたでしょうか。

これらを意識して頂ければ、離婚が与えるお子さんへの悪影響を最小限に抑えることができます。

そうは言っても離婚へ向けてのまっただ中にいると、ご自分の心の痛みに耐えることに精一杯になっているかもしれません。

それは無理もないことです。

親であるあなた自身の心も、子供の心と同じくらい大切に尊重してくださいね。


そしてそれもやがては癒えて、その決断があなたにとっても子供たちにとってもより良いものとなることを祈っています。


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みなさん、こんにちは。

今日は、誰の心の中にも存在するイヤイヤ心との付き合い方についてのお話しです。

先日、夕食の後に小5になる娘が「あ~。もう嫌や~」と唐突に言い出しました。


「ん? どうした?」と聞くと、

「明日も学校やろ、帰ったらすぐ宿題やろ、その後ピアノやろ。チャレンジやろ。もうなんか全部嫌や~」とのこと。


詳しく聞くと、特に学校やピアノで嫌なことがあるわけではなく、スケジュールに追われる日々に嫌気がさしてきたようです。


「そっかー」と、ちょっと感慨深く思いました。

5年生でこういう感覚が出て来るのか。

あと数年したら盗んだバイクで走り出したり、校舎の窓ガラス割って回ったりするんやろな…。とはもちろん冗談ですが(笑)


「そっかー。嫌かー。分かるわー。それやったらととももう仕事嫌やわ。」と、ちょっと乗っかってみました。


「のんも嫌やわ。もう行かへん。もう全部やめたい。ぜーーんぶ。嫌になってきた。」


「おう、そうかー。それやったら、ととももう明日から仕事辞める。もうぜーーんぶ辞める!あー。嫌や嫌や。」更に悪ふざけしてみました。


「そんなんやったらちゃーちゃん(お母さん)もやめる!もう御飯作るのやめる。掃除とか嫌や!」嫁も乗ってきました…(笑)


娘はまだ続ける。


「あー嫌や。嫌や。嫌や。嫌や。」


しばらく3人で、嫌や嫌や、と言い合いました。


「じゃあ、のん、寝よか。布団にゴロンとなろ」布団に入るように促す。

下の娘は特に嫌なことが無いようだが、一緒に3人で横になる。


「のん。その嫌な気持ちと一体化して。思いっきりここで表現してみ。ええか。ととがやってみせるからな。見とき。」


そう言って横になったまま心を静かにして、自分の中の嫌だと言っている感覚に意識を合わせ、そしてそのエネルギーに身体を使わせる。


「……。うーーー。しゃーーー。ふぁぁーー。」


身体を力ませて、顔をしかめて、ぐぐぐぐぐとイキんで、


「いやや、いやや、いやや」そう言って布団の上をゴロゴロ~
と転がりました(40歳、父です…(笑))


すると娘も「嫌やー。」と言って、ゴロゴロし始めました。


「シャーー」と怒ったケモノみたいな声を出しながらお互いに戦ったり噛み合ったり。


そしてしばらくして、バカらしくなって寝ました(笑)


それから数日が経ちましたがその後、娘の口から「嫌や」は出てきておらず、機嫌よく学校にもピアノにも行っているようです。


【フレッセンエネルギーの運用について】


私達の心には様々な自分がいます。

学校に行って宿題して良い子でありたい自分。友達と楽しみたい自分。ピアノを上手くなりたい自分。秩序を守りたい自分。

そういった社会の中で認められる自分もいれば、

「もう全部嫌だ!」というような社会化されていない獰猛な自分も存在しています。

それも真実の自分です。

そういった社会化されていないエネルギーを心理療法家のS・ギリガンは『フレッセンエネルギー』と呼びました。

要するにロックミュージックやパンクが代弁しているエネルギーですね。


「もう全部嫌だ。行きたくない。全部止めてやる。全部壊してやる!」


そんな気持ちが誰しも時折、腹の底からムクムクと湧き上がり、何かへと駆り立てます。

その気持を我慢して抑圧して頑張るのが良いことだと思われるかもしれません。

みんなそれを我慢してやってるんだ。それこそが努力なんだと、そう思われるかもしれません。

ですが、この戦略はあまり上手く行かないのです。


自分の中の生命力の現れであるフレッセンエネルギーを、理性と我慢で抑えて頑張るので、


フレッセンエネルギーーー→☓←ーー理性と我慢


とぶつかり合うことになります。

衝動を抑えることに大半のエネルギーを使い果たし、その残りのエネルギーで勉強や仕事をすることになります。

ですので使えるエネルギーが小さいのですね。

人生の旅も、あまり遠くまでは行けません。

下手すると心が固まって無感覚になったり、うつになったりします。

では、どうすれば良いのか?

フレッセンエネルギーに表現を与えて、変容させるのです。


今、子供とのやり取りで見てきたように、

まずその衝動は「嫌だ~!」と言葉に表現され、そして受け止められました。


更にお互いが「嫌や!」と言い合うことで、それは冗談に変わっていきました。微妙にエネルギーの変容が起こっています。


そしてゴロゴロしたり戦ったりすることで、身体表現に変わっていきました。


そのようにして、フレッセンエネルギーは抑圧されることなく表現が与えられ、一通り暴れると発散されてまた秩序が取り戻されていきました。


これは自分の扱いをマスターする上での大切なポイントです。

私たちは大人になると義務や責任をたくさん引き受けることになります。

そんな中でも心が死ぬことなく、活き活きとご機嫌に自分自身でいられる人達がいます。

子供のようなフレッシュな生命力を余すこと無く仕事に注ぎ込める人がいます。

そういう人はフレッセンエネルギーを我慢で抑圧したりしないのですね。

フレッセンエネルギーに豊かな遊び心を加え、表現を与え、エネルギーの質を変容させて自分の仕事に再利用していくのです。

これが、エネルギー運用の勘所です。


ギュッと身体を固めて真面目に我慢して進むよりも、フレッセンエネルギーに歌を謳わせダンスを踊らせ、仲良く一緒にご機嫌で進んでいく。

長期的に見ると、人生の旅はこちらの方が遠くまで行けます。


それは、自分の内側の真実と外側の役割とが調和した道です。

抑圧の無い素の自分自身でいながら、社会的でもいられる。

そういうことがどこまで可能かは、今その人が生きている社会の枠組みによるかもしれませんが、フレッセンエネルギーという自分の中の真実を出来る限り隠さずに生きようとする中に、

我慢することとも爆発することとも違った第三の道があります。


【大人になるということ】


私達(1970年代生まれ)の青年期には、フレッセンエネルギーを抑圧して我慢して責任を果たすことが大人になることだと思われていましたし、教育とはそのようなものでした。

でも、それは違うのではないかと今の私は思っています。

実際に大人になって社会に出てみると、フレッセンエネルギーの抑圧を頑張ってきた真面目な人たちほど、「創造性が無い!」「もっと主体的に!」「もっとクリエイティブに!」「もっと雑談力を!」と、これまでと違ったものを求められることに戸惑いを感じて、人生に躓いているように感じます。


工業社会の人材育成のための教育を受けてきたけど、いざ社会に出てみると高度情報化社会(知価社会)だった。ルールが違った。


なのにまだ教育は新しい「大人像」を示せていないのではないかと、私はそう感じています。


新しい時代の大人像。

それは、子供たちの中に今元気よく暴れているフレッセンエネルギーを抑圧するのではなく、

そのエネルギーと器用に遊び、更に豊かに、更に巧みに、表現を与えていくことで、それを社会に還元していく力を持った人間のことです。


自分の中から立ち現れる衝動と巧みに戯れ、それをユーモアや遊びや芸術やアイデアやモチベーションに変容させて社会へ価値として与えていける。

そのようなエネルギーの運用をマスターしている。

心に抑圧が少なく、自分の全体性を生きている。

それが新しい時代の大人像であり、私はこれからの子供たちにそうあって欲しいと願っています。


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今、小学3年の娘に読書感想文の書き方を教えているのですが、

何かを説明して、それを聞いた娘が頭の中で情報を整理して腑に落として行く様子を間近で見ていて思うのは、これはとても繊細なプロセスなんだなということ。

昆虫の孵化に立ち会っているようなデリケートな空気感が伝わってきます。

少し力を込めると簡単に壊してしまいそうなくらいに脆くて柔らかい。


そのため、教えが娘の中に心地よく入って深くに浸透していくためには、伝える言葉に怒気を乗せないように注意する必要があるし、

娘の内側で起こっているプロセスを尊重して「待つこと」も大切になります。


この「脆さ」は子供の気質によって違うのでしょうけど、

子供が持つ内圧と同じ圧力で返すことが、その子を育てるコツなのでしょう。

それは「鏡になる」ということです。

荒々しい圧力がある子にはこちらも荒々しく、押し返す力が弱い子には同じように柔らかく。

そうしないと、その子の内側から主体的に出て来る思考プロセスが壊されてしまって、自分で考えることができない(禁止された)子になってしまいます。

(ある心理療法の流派では、それを「考えてはいけない」というビリーフ(信念)を持っていると表現します)


心理療法の仕事を通じて私は、こういった思考プロセスを壊されてしまった子供たちのその後というものをたくさん見てきました。

例えば、

・自分で好奇心を持つことが出来ない。

・何をしたいかが分からない。

・主体性が持てず流されて生きてしまう。

・自分で深く思考しようとするとモヤがかかる。


などなど。

現れ方は様々ですが、大人になって仕事をする段になって問題が顕在化し、心理療法で原因を掘り下げてみると、

今私が娘と経験しているような場面が出てくることが多いのです。


親にまくし立てるように勉强を教えられ、頭が混乱して真っ白になっているのに、「なんで何度言ってもわからないの!!」と怒鳴られてダメージを受けてしまっている。


そうやって何度も混乱しては恐怖とダメージを与えられることで、

自分につながってじっくりと考えて答えを出したり、自分の腹の感覚で正解かどうかを確認する、という内的プロセスが破壊されてしまっているのです。


それを解消するプロセスでは、

「お母さん!今わたし考えてるからちょっと黙ってて!!」と、時に本人でさえ驚くような激しい怒鳴り声が出て来ることがあります。

そうやって、押し込められた内圧を復活させ、自分を取り戻していくのですね。


子供に何かを教えるというのは、大人にとってとても根気がいる作業です。

本当に「なぜそれが分からないの!」っと驚くようなことも子供はわからない。

そのため前提から伝えないといけないのだけど、それを聞く根気もまだ育っていなかったりする。


教える側はとても大変ですね。


でも、それでも子供と同じ圧力で押し返すことで、その子の中から芽吹こうとしている好奇心や思考の力を握りつぶさないように心がけたいですね。


親の教育への情熱が圧力となり、子供の思考プロセスを破壊してしまって、逆効果になっているケースが案外多いのです。


特に幼いうちは新芽のようにデリケートなので、幼い子の思考プロセスは優しく扱ってくださいね。


鏡のように同じ強さで返す中で、その子の内側から出て来る思考の圧力を感じ取る。

そんな要領で行きましょう。


***とか偉そうなことを書いてる途中で起こったのが、以下のやり取り***


娘(感想文の下書きを見せながら)
「なあ、とと、ここな。『見つけられた』って書いてるのに、こっちにも『見つけられた』ってあるんやんか。これ同じこと書くことになるけど大丈夫なん?」


私「う~ん。まあ正確には良くないんやけどな。まあ3年生やしええんちゃう!?っていう、ととの判断や。」


娘「ええ~!!(´・ω・`)」


私「じゃあ、どっちか選び。3年やからまあええんちゃう?っていう感じのやり方と、3年生でもしっかり出来る限りやる!っていうやり方と、ひなはどっち選ぶ?」


娘「ちゃんとやる方。」


私「ええ~~(´Д`) 真面目か!(誰に似たんや!) わかった。じゃあ、どっち消したらええと思う?」


娘「う~ん」


ってな感じで、親が適当だと、子供は「自分がしっかりしないと!」となるようです。


それを心理の世界では『逆説的介入』と言います(笑)


うむ。


思考プロセス。


自律的に育って行っておる…。

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お盆休み。

久しぶりの連休(といっても2連休だけど…。)を取って田舎に帰省していました。


帰るとたくさんの甥っ子姪っ子達がいて、がちゃがちゃして賑やか。


ザリガニを捕りたかったのに、さすがにここは子供優先。網を奪われる…。




まだ言葉を喋らない甥っ子との身体だけのコミュニケーションも楽しい。



満面の笑みで乗っかって来る。


言葉を使わなくてもつながり合える感覚は新鮮。


そうやって全身で遊んでいたらすぐに疲れて(笑)


1人になりたくなって、二階の部屋で静かに本でも読もうと、子供たちに気付かれないようにそっと1人退散した。


誰もいない二階の部屋のエアコンを付けてごろんと横になって本を開いたら、それはもう至福。


静かな時間を堪能していたら、しばらくして上の娘が1人でやって来た。


僕と同じで静かな時間が欲しくなったのだろう。


「ここで宿題しよっと。」と言う。勉強道具を脇に抱えている。


「うん」


僕は横になって本を読み、娘は勉強をする。


しばらくして、ふと思い浮かんでこう言った。


「なあ。のん。勉強ができるようになって、頭が良くなる方法教えたろか?」


「え? なに?」


「うん。勉强ができて頭が良くなるにはな、勉強することを通じて自分自身になることなんや。」


「え??」


「うん。あんな。のんはな。勉強をする時に、嫌やなー。ほんまは遊びたいけど、勉強せなあかんし~って感じで。勉强と本当の自分が分離してるねん。」


「?」


「勉強せなあかんから自分の一部分だけで勉強して、残りの自分は自由になりたいし逃げたい!って思ってる。2人になってるねん。わかるか?」


「うん。」


「勉強をすることでのんは2人に分裂して、本当ののんじゃなくなってるってことや。それやと上手くいかへん。

大切なのは、勉强をすることを通じてのんが自分自身になることや。

勉强することでどれだけ自分自身でいられるかや。」


「うん~。 分からへん。」


「うん。そらそうやな。ととも今のんに分かるとは思ってない。でもそういうことなんや。覚えとき。いつか分かる時が来る。」


「ふーん」


そしてまた僕は本を読み始め、娘は勉强に向かった。


しばらくして「終わった~!」と娘が言って、ごろんと僕の横に寝転がった。


「自分自身になれたか?」


「わからへん。」


「うん。このへんがな。」そう言って娘のみぞおちと胸辺りをさすった。「このへんに静かな充足感がな、気持ち良い感覚がな、出て来るんや。それが自分自身でいる感覚や。」


「ふーん。分からへん。」


「うん。いつか分かる。」


「ふーん。」


そう言ってから、娘はふざけてゴロゴロと転がった。


僕はまた本を読みだした。


娘はぼーっと天井を見ている。


2人とも自分自身だった。


今振り返ると、この時間がお盆休みの豊かなひと時だったんだなと思う。
先日テレビを見ていると、10代の少年3人のリンチによって、また一人の若い命が奪われたと報道されていました。

そしてテレビではいつものように「命の大切さを教えていかなければならない…。」というような論調で締めくくられていたわけですが、

それはまあ、その通りですね。

命の尊さはいくら教えても、教え過ぎということは無いでしょう。

でも教育という観点からすると、子供達に知っておいてほしいことがもう1つあります。

おそらくその少年達も命の大切さは知っていたでしょう。

でも彼らが知らなかったことがあります。

それが問題でした。


それは何か。


それは、集団というものに生まれる人間の力動についてです。


人間が集まって皆が同じ1つの意図を持った時、そこには個を超えた大きな心が形成されます。

グループマインドと呼ばれるものです。


そしてそれが形成されると、そのグループマインドの意図(こいつを痛めつける!)は個人の良心(人を傷つけてはダメだし、そもそもこいつは友達だ)よりも優先されるのです。

これは法則であり、良い悪いの問題ではありません。


個人の心よりも集団の心は優先されるのです。


だから私達は集団で悪巧みをすると、いとも簡単に自分の良心とのつながりを失い、集合的無意識に潜む悪に乗っ取られる生き物だということを知っておく必要があります。


自我の形成が未熟な未成年ならなおさらですが、大人だってそうですね。

少し歴史を紐解くと、そんな例がたくさん見つかります。


第二次世界大戦時、大義のために戦う日本軍の一部が海外で行ったことの残虐さ(その多くには捏造も含まれますが)はどこから来たのか。

連合赤軍を集団リンチに向かわせた力はなんだったのか。

いくつかの新興宗教はなぜ明らかに奇妙な教義を、疑問を持たずに受け入れていくのか。

収益と効率を意図する会社の中で、パワハラ上司はいかにして自分のやっている暴力を許しているのか。

明らかなブラック企業で実際にうつで壊れていく社員が多い中、なぜそこから自分の意志で抜け出すことは難しいのか。

それら全てに、


『グループマインドの意図は、個人の良心より優先される。』


というシンプルな法則が働いています。

もう一度言いますが、これは良し悪しの問題ではなく、全ての人間に等しく働く法則なのです。


だから私達は、自分自身もまたそんな力が働く人間であることを知り、それを超える知恵を得ていかねばなりません。

グループマインド、集合意識、マスターマインドなどと呼ばれるこの集団の心は、一人では決して引き出せないような大きな力を発揮します。

それは時に神がかり的な強さとなります。

だから成功哲学やビジネスの世界では、その力を意図的に引き出そうとします。

でも一方でこの力は巨大であるがゆえに、暴走すると扱いが難しいものです。


【小学生のいじめから】


随分前の話ですが、私の身近にもこんなことがありました。

小学生の娘が学校から泣きながら帰ってきたそうです。(私は後で妻から聞きました)

学校の帰り道、男の子の友達の一人が冗談で娘のことを叩いて来たそうです。

そしてそれを見た別の男の子が、また冗談で叩いて、それを見た別の男の子がもう少し強めに叩いて…。

そうやってエスカレートして行き、最初は冗談だったものが「どこまで酷いことができるか?」というような意図を孕み、暴走して行ったようです。

そしてついには娘は泣きだしました。

それでも男の子たちは謝ることもせず、むしろ泣いている娘に対して敵をやっつけたような満足感を表しながら各自の家に帰って行ったそうです。


そしてこの話が面白いのはここからです。


男の子たちは別々に家に帰って一人になりました。つまり一時的に生み出されたグループマインドは消失しました。

個人に戻ったのです。

そうすると、泣かしてしまった…。悪いことしたな…。という個人の良心が力を持ち始めます。


1人の男の子はうちの家の近くまで来て、でも家に来て謝る勇気は無いのでちょっと離れたところでずっとモジモジとうちの家を見ていたそうです。


可愛いではないですか(笑)


その他の男の子も、親に自分のやったことを話し、ご両親にこっぴどく叱られながら私の家に謝りに来られたそうです。

私はその場に居合わせてなかったので、後で妻から話を聞きながらお詫びのシュークリームを頂いただけなのですが…。

もし居合わせていたら伝えたかったなと思うことが2つあります。


1つは、この子たちは決して悪い子ではないということです。

良心のある優しい子です。その証拠に、良心が痛んで反省の行動を起こしています。

だから親御さんにもその子たち自身にも、「本当は酷い子だった」などと思ってほしくないのです。

そしてもう1点は、それにも関わらず、これからもずっとグループマインドの魔に簡単に乗っ取られる危うさはつきまとうということです。

だからこの経験を学びに、注意して欲しいということ。


『君達はとても優しい子なんだけど、それでも今回と同じように友達と悪ふざけをしていると、簡単に酷いことができるようになるんだよ。

人間とはそういう力が働くもの。

だからグループで悪さをしている時には、時々冷静になって自分が何をやっているかを見て欲しい。

自分の良心につながり直して欲しい。

そして悪いことをしていると気付いた時に、そこから抜け出すのはとても勇気がいるよ。

でも本当の強さとはそこにあるんだよ。

君たちには強い人間になって欲しい。』


【集団の心と個の心】


私達は個人として自分の中心深くにある良心と対話をしながら、時に志を同じくするグループマインドに属することで大きな仕事を成し遂げて行きます。

個の心も集団の心も等しく重要で、そのどちらも育てていく必要があります。

そして、集団の心の暴走に気付けるように、集団に属していながら個の良心につながる力を育てていかなければなりません。


それは、集団の熱狂の中で一歩身を引いて自分を見る「自覚」という力を育てることと、

センタリングと呼ばれる身体技術によって可能になります。


そして気づくだけでなく、それを実行するには「勇気」と「コミュニケーション力」を鍛えておく必要があります。


これらは決して「命は大切」というような知識のレベルで超えられる問題ではないのですね。


集団に押しつぶされる個ではなく、集団の力を扱える個になるということ。

自由により良く生きていくためには、いろいろとマスターするものがあるのですね。

でも行き先を知らせ、地図を持たせてあげれば人生の冒険は楽しいものです。

みなさんのお子さんにも是非、伝えてあげてくださいね。


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「子供がわがままで困ってます。癇癪が凄いんです。これって異常なのでしょうか?」

カウンセラーという仕事柄、こういうご相談を受けることがよくあります。

お母さんにどんな接し方をしているのかを聞いてみると、非常に熱心に子育ての勉強をされていて、料理や教育にも力を入れておられて、ご自身の感情もセルフコントロールできている。


つまり、かなり模範的なお母さんです。


子供のわがままに対しても無碍に否定せず、まずはそれを受け止めてから、なぜそれがダメなのかを丁寧に伝えていると言います。

育児本に書いてある通りにやっている。

なのに子供は癇癪をぶつけてくる。


これは一体どういうことなのでしょうか?


お話として聞いていると確かに謎なのですが、実際にお子さんと接しているやり取りを電話越しに聞かせてもらうと、何が起こっているのかが一瞬で分かります。

やりとりしている言葉そのものよりも、お母さんの声の響きや、そこに作用しているエネルギーのやり取りから分かります。

お子さんの不満そうな声を聞くと、その奥で訴えているものの本質が見えてきます。

それは何なのか?

こんな模範的なお母さんの子育てで起こっていた本当の問題とは?


それは


お母さんが良いお母さん過ぎる


という問題です。


私はお母さんにこう尋ねました。

「お母さんは、○○ちゃんにそんなに癇癪を起こされて、鬱陶しくないですか? もうイヤだ!!!ってなりません?」

そう聞くと、

「え!!?」と驚かれます。

「僕だったら、うっさいわー!もーー。いややーー!ってなりますけど…。」と言うと、余計に驚かれます。

「そんなこと言って良いのですか?」


「良い悪いではなくて、それがお母さんに起こっていることの真実であれば、当然それを表現する権利がありますね。

お子さんが癇癪を起こす権利があるのと同じことです。

娘さんを攻撃したり傷つけるのではありませんよ。」


「はい。もちろん…。」


「自分の感情に嘘をついていると、お子さんは嘘で取り繕ったお母さんと一緒にいることになります。

お子さんはそれが物足りないと言っているように聞こえます。

その癇癪はお母さんが隠している怒りを、娘さんが見せてくれているのです。」


子供は目の前にいるお母さんと触れ合ってぶつかり合って、その存在を感じて、安心を得たいのです。

そのぶつかり合いを通じて、子供は自分の存在が受け止められるのだという安心を確認しようとします。

でもその時、受け止めて守られるのがリアルな生身のお母さんではなく、模範的な受け答えをする作り物のお母さんでしかないことの物足りなさ、

淋しさ、

虚しさ、

そして、その不満を言葉で表現できないことのもどかしさ。

お子さんは自分の存在のありったけのエネルギーでそれを訴えているようでした。


生身のお母さんに触れたい。


ぶつかりたい。


そう言っているようでした。


【良いお母さんという病】


私達は本やテレビなどのいろんな情報に触れて、理想的なお母さん像や理想的な子育てを学びます。

・傾聴して、気持ちを受け止めてあげると良い。

・無条件の愛を与えて、子供のありのままを受け入れてあげる。

・叱る時は理由を言って叱る。

などなど。

それはもちろん大切なことですが、

それは子育ての光の部分ですね。


真に光を扱えるようになるには、影も扱えなければなりません。


自分の中のネガティブ感情にも存在する許可を与えて、それを安全な形で表現することができないと、

光はむしろ、その奥に隠した陰の存在を際立たせるものです。

つまり光は力を持たないのです。


だからまずはお母さん自身が、お子さんの感情を大切にしてあげているのと同程度に、自分自身のネガティブ感情を大切に扱ってください。


自分の中にある影の感情を隠さずに認めてあげましょう。

そしてそれを害のない形で家族の中に表しましょう。


私などは、カウンセラー目線で偉そうにこんなブログを書いていますが、子供のお菓子を食べてしまってまじめに怒られています…。

だって、お父さんは食べたいから。


今日もチョコレートを食べてたら、「3つだけやで!」と娘に釘をさされて、

「えええええーーーーーーーー!!!」と真剣に抗議しました(笑)


私は私の中にある「お菓子食べたい!」という気持ちにも、それを生きる権利を認めているのです。

自分の真実を生きているのです。


バカみたいな話ですが(実際けっこうバカですが…)これは大切なことなのです。

こういう親の姿を見せることを通じて、子供は生身の親と触れ合っている実感を得ます。

そして、そんな親の在り方を見て、自分の内的な真実を肯定しても良いのだ…ということを学びます。


その意味でこれは、自分自身との付き合い方を教育しているとも言えるのです。(半分以上は単にお菓子を食べたいだけですが…。)

そして、そんな本音で生きている親の

「のん。大好きやぞ!」には真実の響きが宿ります。

影を扱えるからこそ、光が力を持つのです。


影がない光は奇妙です。


ネガティブ感情の無いお母さんは作り物です。

好き嫌いがあって、「嫌だー!!」と言えるお母さんであって初めて「好き」が力を持ちます。

『今日はしんどいから受け止めない』という選択が出来て初めて、生身の自分として『受け止める』ができるようになります。

影が光に力を与えているのです。


ということで、お母さん。

時には子供と真剣にお菓子の取り合いをしましょう。

お母さんの真実を生きて、お母さんの真実を通じて子供と向き合いましょう。

それが真に触れ合うということですね。


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