あなたの人生の目的は何ですか?


そう聞かれたら、あなたは何と答えるのでしょうか。あなたは、一体、何のために生きているのでしょうか。どのような目的を達成させることが、あなたの生きる意味なのでしょうか。

 

子供を一人前に育てること。マイホームを買うこと。地方に移住すること。歌手になってヒット曲を飛ばすこと。オリンピックで金メダルを取ること。大手に就職して出世すること。起業して成功すること。一生夢中になれる趣味を見つけること。医者になって多くの人命を救うこと。恵まれない子供達のために支援活動をすること。

 

そのような夢や希望を叶えて自分らしい生き方をすることが、人生の目的だと答える人が多いのではないでしょうか。

 

反対に、明確な夢や希望を見つけられずに、漠然とした不安を抱えながら繰り返しの毎日を生きている人も、決して少なくはないでしょう。

 

人生に目的などない。目的などなくても、今を楽しめばいい。人は今しか生きられないのだから、精一杯、今を生きていればそれでいい。そう言う人もいるでしょう。

 

人生の目的とは、何なのでしょうか。

 

そもそも、人生に目的はあるのでしょうか、ないのでしょうか。

 

もしも人生に目的があるのだとすれば、それはどのようなことなのでしょうか?

 

もしも人生に目的がないのだとすれば、私達は目的もなく過ぎていく時間を、どう生きればいいのでしょうか。

 

人生の目的とは何かという問いに対して、親鸞聖人の答えは明確です。

 

【原文】

煩悩(ぼんのう)具足(ぐそく)凡夫(ぼんぶ)火宅(かたく)無常(むじょう)世界(せかい)は、(よろず)のこと(みな)もって、そらごと・たわごと・真実(まこと)あることなきに、ただ念仏(ねんぶつ)のみぞまことにておわします

歎異抄(たんにしょう)

 

【意訳】

燃えている家の中にいるような不安な世界で、煩悩まみれの人間のすることは、全て、そらごと・たわごとばかりで、真実など何もない。ただ一つ、南無阿弥陀仏の念仏のみが、まことである。

 

親鸞聖人の答えはナイフのように鋭く、人の世界にある全てのことを、嘘、つくりごと、馬鹿げた話、いい加減な偽物、ふざけたものだと切り捨てています。

 

夢や希望を叶えて自分らしい生き方をすることも、漠然とした不安を抱えながら繰り返しの毎日を生きていることも、今を楽しめばいいという生き方も、全てまとめて、真実など一つもないと言い切っているのです。

 

その上で、親鸞聖人は、この世界で真実と呼べるものは、たった一つ、南無阿弥陀仏の念仏だけだと断言しています。

 

これは、現代を生きている私達の価値観からすると、驚くべき発言ではないでしょうか。

 

「人の世界にある全てのことは、偽物です。そんな嘘まみれの世界にあって、たった一つ、南無阿弥陀仏の念仏だけが真実です。たった一つの真実である南無阿弥陀仏の念仏に救われることこそ、人生の目的と呼べるものです」

 

こう答えられたら、あなたは納得することができるでしょうか。

 

ある人は、これは怪しい宗教団体が使う勧誘の言葉だ、気をつけなければいけないと、警戒心をむき出しにするかもしれません。

 

またある人は、自分の生き方を否定されたような気がして、不快感をあらわにし、臨戦態勢を取るかもしれません。

 

いずれにせよ、親鸞聖人の答えは、現代を生きている私達にとって、とても受け入れられる内容ではないのです。

 

親鸞聖人の教えを端的に示した言葉として有名な「煩悩具足の凡夫……」の文言は、歎異抄に書かれています。

 

仏教の知識はなくても、歎異抄というフレーズだけは聞いたことがある。そんな人もいるのではないでしょうか。

 

現代の日本で、最も多くの解説書が出版されている仏教書の一つである歎異抄は、親鸞聖人の直弟子である(ゆい)(えん)が書いたとされています。

 

親鸞聖人が亡くなった後、親鸞聖人の教えを自分たちの都合のいいように解釈して、間違った教えを信じ広める人達が増えていきました。

 

親鸞聖人の教えを誰よりも近くで聞いていた唯円は、そのような現状を悲しんで、親鸞聖人から直接聞いた教えの中から、特に耳に残っている重要な言葉を選び取って書き残したとされています。

 

(こと)なる(おし)えを(なげ)いた注釈書(ちゅうしゃくしょ)

 

それが、歎異抄です。

 

歎異抄に書かれている親鸞聖人の言葉は、その鋭さ、美しさから、一度世に出るや、大変な注目を集めました。

 

その反面、誤解を招きやすい表現も多く、宿善の浅い人が読むには危険な仏教書でもありました。

 

そのような特色を持った歎異抄は、多くの誤解を生みながら、人々の間に広まっていきました。異なる教えを歎いて書いた注釈書が、さらなる誤解を生んでしまうとは、何とも皮肉な話です。

 

それほどに、正しい教えを正しく聞くということは難しいことなのです。どれほど正しい教えが説かれていても、私達の聞く姿勢が正しくなければ、いくらでも聞き間違いは起こるものなのです(参照記事:話を聞けない私達)。

 

人生の目的とは何かという問いに対して、なぜ、親鸞聖人の答えは「南無阿弥陀仏の念仏に救われること」なのでしょうか。

 

「煩悩具足の凡夫……」の言葉を通して、親鸞聖人は、私達に何を伝えようとしたのでしょうか。


その真意について、これから数回に分けて、一つずつお伝えしていこうと思います。