と思ったので、ブログを更新します。
ここ最近、ずっとオリジナル漫画(BL)を描いてます。
取り掛かる前は、仕事探さずにこんなことしてていいのかなあとかやっぱ出てきたんですけど、描き進めている内に色々わかって来たことがたくさん。
まず、描くことをどうしてあんなに避けてたのかというと、
「下手だから」
ということもありました。
自分の下手さを直視するのを避けてたんだなーと、描き進めることでようやくしっかり認めることが出来ました。
自分の技術にちゃんと向き合うと、ここを直したいとか、ここはもっと上手く描けるはずだとか、ポジティブに意識が動くようになるみたいです。
恐怖を感じながら描いてた時は、もっと上手くならなきゃ!とか、どうしてこれぐらい描けないんだ!とか、ネガティブな気持ちを元に上達しようとしてたから、焦りとか、自己否定とかで、本当に苦しかったんです。
だから、描くのが怖くなって、嫌になって。
でも、好きという気持ちを元に描くと、ここはこう描きたいとか、ここをこう描いたらもっと可愛いぞとか、したい欲求が自然に上達を目指すようになるのだなあと思いました。
そうすると、日常生活の中で目に入る全てが作画資料に見えて来て、人間の体を見ては参考にし、景色を見ては参考にするということを、無意識に行うようになって。
この、無意識にとか、自然とっていうのが、絵を楽しく描いて、しかもシンプルで簡単な上達方法だったんじゃないか?と思えます。
方法とか手段とかを狭めてしまうのも、絵を辛くする要因だったな〜。
デッサンをたくさんこなさないと上手くならない!という思い込みとか。
描くのが楽しくて、自分の絵が好きになったら、自然ともっと良くしようと欲求が出て来て、身の周りにあるもの全部が資料になるんだよ、きっと。
★★★
あと、何で今、昔描こうとして描かなかった作品を再着手してるんだろう?と思ってたけど、これもよりわかって来ました。
20代の頃、私には同人誌で描きたいネタがあったんですね。
でも、技術が足りないとか、描くのに時間がかかるとか、太い本を作るだけの印刷代がないとかで描くのを諦めて、仕事の漫画を選んだんです。
でも、仕事は描いてても楽しくなくて…
義務感とか、生活費の為にって思って描いてたから、向上心とかもなかったんです。
だから、好きな仕事とそうでない仕事の時のクオリティの差が酷くて。
今、描きたいものに向き合ってひしひし感じるのは、昔の私がやりたかったけど諦めたことを、今消化しているのだということ。
昔だけじゃなくて、ここ近年の描きたいもの、諦めたものに、やっと本気で向き合っているんだなあ、と。
そして、同人誌は所詮自己満足だからと、仕事の方が上だとおかしな貴賎を付けて、長年描きたいことに本気で向き合って来なかったからこそ、今。
あれやこれやと仕事をやめて、でも何故かお金が入ってきて、長編を描ける時間ができたこと。
もう、今やんなきゃ嘘でしょ!?って状況ですね。
あと、いちいち作品の内容に貴賎や善悪を付けて、やりたいことにブレーキかけるの無意味だなって。
BLだから恥ずかしいものとか、ギャグだから下とか、そんなのどうだっていいんです。
人には描きたいものはそれぞれ違ってて、例え人類には早すぎる性癖全開の作品でも、それはその人にとって最高のワクワクだったり、魂の学びがあったりする訳です。
それがどんなテーマだろうと、欲求は上達に繋がり、それは絵の魅力となって人を惹きつける。
最近、ツイッターでたまたま見かけた好みの絵が、尻フェチの人が描いた絵で、線とか体のラインとか、技術も、こだわりも、好きという思いも、滅茶苦茶凄かったんです。
好きが高じて技術になってて、その技術力がそんじょそこらの絵描きとは次元が違うんすよ!
私はその人の絵を見て、こんなに心を揺さぶられる尻を描く人は、桂正和以外にこの人しかいないッ!と思ったぐらいです。
そして、桂正和とは違う次元で、尻を極めし者なんですよ。
それに出会った私の感動、わかっていただけますか!?
もうなー、アレですよ。
良いものは良い。
★★★
興奮して話がズレました。
ともあれ、一次創作でとか、BLでとか、仕事じゃないとかで、色々ブロックがわんさか出てきました。
だって、無名の作家が一次創作で本を作ることが、どんなに高いハードルか、知っている人は知っているじゃないですか。
何度も、
「どうせ本作るなら、確実に手に取って貰える二次創作の方が…」
とか出てきましたもん。
不安なんですね、自信ないから、誰にも見て貰えなかったらどうしよう、長時間かけて描いたものが水の泡になったら嫌だ、って。
コレ、過去何度も味わった感情で、描きたいものを描かずに、確実に手に取って貰える方へ妥協して来たポイントなんです。
ココ、進路変更せず突き進む、ちゃんと描きたいものに向き合うポイント。
不安や恐怖を軸に決めるのではなく、本気のワクワクに向き合うポイント。
長年蓄積されたやり残したことが、胸の内で燻ってるから、今出してしまいたい。
そして、ここを通過せずに、次の仕事なり、創作なりに繋げようとしても、また残心に燻る日々になるだけだとわかるじゃないですか。
心が燻ったまま、別の何かを目指すなんて、今は出来ないです。
描き手として、本気でやりたいことに向き合って、自分の下手さに向き合って、それでも好きなものは好きだと再確認して、1コマずつ進む。
それが結構楽しくてw
本当はこれを描き始めた時、途中で飽きるなり、他にやりたいことが出て来て、どうせまた形にできないんだろうなと思っていました。
正直今も、本当に形にできるのか疑問に思っています。
けど、昨晩不意に降りて来た
「自分のエネルギーを、世界に流しなさい」
という言葉があって、それは自分の作品を公開しなさいという意味。
そして、私だけでなく、色んな人が自分の作品を公開しなさい、作品にこもるあなたのエネルギーを世界中に流しなさいという意味でした。
エネルギーを流して、動くエネルギーに自分が乗る、みたいな。
そういう発想はなかった!
私としては、「作品を世に発表する」より、「自分のエネルギーを世界に流す」って言葉の方が、
「それそれ!私がやりたかったの、それ!!!」
って感じがします。
★★★
正直、どういう結末になるか全く見えて来ない挑戦ですけど、やる価値は十分にあるし、何より楽しいので、苦がないのがいいですね。
好きなことやってるんだから、楽しくて当たり前じゃんって思います?
私もそう思います。
人の心は素直なもので、嫌なことは苦になるようにできてるんですね。
魂はそういう仕組みで成っていて、魂の行きたい方向からズレると、苦しいと感じるように出来ている。
魂にそういう性質を持たせた宇宙の創作は、つくづくよく出来ているし、面白いなと思います。
私が今挑戦しているのも感情表現で、今まで恥ずかしいとか、自分の作風じゃないと本気で向き合って来なかった表現に挑戦しています。
あとまあ、昔仕事で感情表現に挑戦したら、某掲示板でボロクソに叩かれてトラウマになったとかw
そういうのもひっくるめて、自分の弱さにも、良い所にも、不思議と平坦な気持ちで、向き合う日々を送っています。
自分の行いにジャッジすることをやめると、本当に楽で、不思議〜。
絵の下手な所も、下手だから直さなくては!じゃなくて、もっとこういう風に描きたいよ〜!に変わるんです。
ハタから見れば、同じ向上を目指す姿に映るかもしれないけれど、心では真逆のことが起きている。
こう描きたい!ワクワク!と思って向上を目指すのと、
上手くならなければ!こう描くべきだ!と思って向上を目指すのと、
どちらが心にとってヘルシーか、一目瞭然じゃないですか。
つまり、私が目指している生き方って、心がヘルシー方面なんです。
だから、好きなことやって幸せなの、当たり前なんだよな〜。