「オタクにはスターシードが多い」
と私は思っています。
私の友人も「明らかにおまえスターシードやん」って人、何人もいますが、彼女達にその自覚はありませんし、私も自分から言うつもりはありません。
スピ的な気づきは自発的に起きないと、気づきが自分のものにならないからです。
しかし、オタクの多く、特に昭和から辛酸を舐めてきた世代のインナーチャイルドは深く傷付いていることが多く、私もその1人です。
そんな私が今朝、色んなことに気付いて、癒しコンボが起きたので、今日はその話をします。
★★★
実は1週間程前から、私はある漫画をリトライしたくなって、その創作をここ数日進めていました。
それはいわゆるBLと呼ばれる類の漫画で、10年以上前から描きたいと思っては描かなかった作品でした。
描かなかった理由は、長編なので描き上げるのが大変だとか、自分にできる気がしないとか、自信がないとか、どうせ描いても誰も読んでくれないだろうという不安とか。
同人誌ってページが増えると印刷代が何万円も嵩んで行くものなので、自分にとってページ数の多い本を作ることは、大変勇気のいることでした。
それで、本当に描きたいソレは描かず、描きたい欲求をある程度得られ、ある程度読まれて売れるであろう漫画を描いては、低コストに抑えた無難な同人活動をしていました。
ある程度の欲求は埋められるので、描いてる最中は夢中になれて楽しかったのですが、私の心はいつも渇きを感じていました。
最近、一気に色んな癒しや気づきが起きた影響なのか、5月頃からチョイチョイ、かつて諦めたこの作品に再び挑戦したい欲求が出て来ていました。
多分、6月頃に思いがけず成人向け漫画の仕事を得るチャンスが来たの、この時の想いによって引き寄せられたものだと思います。
その仕事、実は成人向けBLもOKだったのです。
しかし、私は売れることを最優先に編集者と男性向けとして仕事の話を進めてしまった為、すぐに違和感に辿り着き、自らその仕事を降りました。
本来描きたかったものからズレた時点で、それは私にとって偽りの道でしかなかったのです。
6月下旬から7月にかけて、私は本当に描きたいものの1つであるスピ漫画を着手し始めました。
しかし、どうしてだか、なかなか筆が進まず。
まだ時期ではなかったのか?と疑問に思い、オラクルカードを自分で引いたり、オラクルカードの動画を観たりすると、どれも
「その時が来るまで待て」
という内容。
これ以上、何を待つことがあるんだ?と焦りつつもがいていたら、1週間前にまた
「あの漫画が描きたい」
という欲求が出て来て、気付いたら70ページを超えるネームを描き上げていました。
正直、コレを本当に描いて良いものか悩みました。
何せスピ漫画サイトを立ち上げたばかりで、本当ならそちらに集中するつもりでしたから、こんな寄り道をしていていいものか、頭を抱えてしまったのです。
何度も自分のハイヤーセルフやガイドに、どうしたら良いのか尋ねました。
答えはいつも、
「自分で決めなさい」
でした。
カードを引くと、どちらもやると良いという答え。
しかし、それでも私は心に引っ掛かりを感じ、この正体は何なのか、じっくりと自分の内面を見つめてみることにしました。
★★★
何故、描きたいものを描こうとしないのか。
描きたいと思うのに、描くのにこんなにも勇気がいるのか。
そして何故、何度も、この作品を描き上げたいという想いが浮上してしまうのか。
3番目の答えはすぐに出て来ました。
「本当に描きたいものを描くまで、何度もその思いは浮上する」
やり遂げない限り、それは人生の所々で現れるのだと、私のハイヤーセルフは言いました。
創造主は自分に何ができるか知りたくて、この宇宙を創り、人間を創りました。
つまり、人間は人生においてやりたいことをやり尽くさないと、創造主としての経験したい欲求はいつまで経っても満たされず、人生の要所要所でその欲求は頭を出すのだと。
だから、やり切らない限り、いつまで経っても心が満たされないのだと教えられました。
ストン。
しかし、私のエゴがそれに反抗します。
「でも、自分が描きたいのBLですやん、エロ漫画ですやん。
真っ当な仕事もせずにそんなもの描いてて、いいの?
生きられるの?」
私の溝打ちに鋭いパンチが入ります。
これは効く、これは焦る、早く就職しないとと手段を思考し始めます。
ここでカードを切ると、「考え直しなさい」のカード。
焦って手早く収入を得る道を選んでは、今まで通りの生き方になり、また無理をして体調を崩す日々になるのは、日を見るより明らかです。
ここで、あることを思い出しました。
私は母に、同人誌で好きなものを描いて、それを収入源にしたらどうかと言われたことがありました。
しかし、私は同人誌で生活費を稼ぐなんてあり得ないと思い、拒んでしまいました。
昭和世代のオタクならわかる感覚だと思うんですが、
「同人誌で稼ぐことは浅ましい」
と私は思い込んでいて、同人誌で稼ぐことは悪い、罪悪感、その他諸々ネガティブなイメージを持っていました。
しかしその一方で、私は特定の作品の二次創作を商業誌にしたアンソロジーと呼ばれる仕事を多くこなしていて、それを手掛ける度に、商業誌として描くのと、同人誌として描くのと、プロでありながら、「大して違いはないじゃないか」と思っていました。
好きで描く同人誌は、描いていてとても楽しいものだったのですが、
商業誌は、好きな作品であっても仕事である以上、楽しんで描けたことが余りありませんでした。
ですから、好きな思いのまま自由に描ける同人誌の方に魅力を感じ、私が本当に描きたいのは同人誌の方だということもわかっていました。
でも、公式に許可を得て商業ベースに乗せたそちらの方が上と私は判断し、二次創作の同人誌は浅ましいものだと思っていました。
商業誌が上、同人誌が下。
でも、私が本当に描きたいのは同人誌という、矛盾した葛藤を長年繰り返していました。
★★★
ところで、人は本当に描きたいものを描かないでいるとどうなるかと言うと、描くのがだんだん辛くなります。
私は生活費を稼ぐ為に、描きたくない仕事も色々して来ました。
これは仕事だから、お金の為だから、自分の個性を殺すのは当たり前だと、自分のやりたいを殺してでも編集やクライアントの要望するものを描くのは当然だと思って、仕事をしていました。
仕事の合間に描く同人誌は、自由にのびのび描けて、とても楽しいものでした。
しかし、その自由な場所さえも、私は収支を考えて描くようになり、当然、だんだん描くのが辛くなって行きました。
印刷代とイベント参加費、交通費、その他の経費の元を取れるような本作りをするようになり、いつしか私にとって同人活動は、金儲けをする手段にその性質を特化させて行きました。
同人誌で稼ぐことは浅ましいと思っていた私が、同人誌で生活費を稼ごうとする矛盾。
私はいつも本を作る度、罪悪感に苛まれていました。
★★★
私はハイヤーセルフに何度も訊きました。
「どうしてこんなに、同人誌で収入を得ることに対して抵抗を感じるのか?」
「エッチなことはいけないと思います!」
前者の答えは、先述した通りです。
私は漫画を描いて収入を得ることに、貴賎や善悪を付けてジャッジしていました。
今なら、もう少し柔らかい解釈をしたり、罪悪感を手放すことができると思います。
後者は、これは人類の集合意識が抱える罪悪感にも通ずる問題で、ベースケは悪いことだという思いが私にも根強くあります。
その都度、ハイヤーセルフに私は、性行為が何故、
気持ち良い、満たされる、可愛い、カッコイイ、好き、萌える、楽しい
というポジティブな思いが付属するのか、考えてごらんと言われます。
そうなんです、性行為という行動に伴う人の感情は、気持ちいいとか満たされるとか、ポジティブな感情が多いんです。
でも、多くの人が性行為に対して、ネガティブな印象を抱きます。
それは宗教的な影響とか、モラルから派生した過剰な反応とか、色々あるんですが、今回そのポイントの解説は割愛しまして。
私はエッチなBL漫画を描くことに、強い強い罪悪感を今も抱いています。
しかし、そのテーマだからこそ、私は「人の感情の移り変わり」という面白いテーマに、色んなシチュエーションでシミュレートすることを愉しんでいます。
そうやって想像することが大好きで、私は小学生の時からずっと、自分の心の中で展開される物語を発展させたり、派生させたりすることを繰り返していました。
漫画に出会う前からずっとそうでしたから、物語を妄想する癖は、私の魂の性分なのだと思います。
勿論、「エロ漫画でなくてもイイやん」と思って、同じ感情のテーマで作品の構想を練ったこともありますが、それはつまらない物語になりました。
男女の恋愛としても練りましたが、男同士だからこその葛藤という最高の醍醐味がなくなるので、没になりました。
男同士の恋愛だからこそ、ドラマに深みが増し、また私の萌え心を刺激して、時には萌え過ぎて「尊い…!」ってなります。
このモードに入った腐女子の猪突猛進っぷりは、同類の方々ならよくよくご存知のことと思います。
これが最高に楽しいんです。
「エッチなことはいけないと思います」
と思っていても、やめられるものではないのです。
★★★
こんな具合に、描きたいけど描けない自分の心の内に何があるか探っていると、ふとある記憶が蘇って来ました。
それは子供の頃。
私はゲームが好きで、そのゲームのキャラが好きで、よくゲームをし、そのキャラの絵を描いていました。
その頃の私にその自覚はありませんでしたが、私は子供の頃からオタク気質の強い子供でした。
そんな私の様子を見た兄は、私を気持ち悪がり、私を避け、辛く当たったりして来ました。
兄もアニメやゲームが好きなのに、いかにもオタクな見た目、言動の妹を、気持ち悪がったり、引いたり、避けたりしました。
兄は人一倍、外見や世間体を気にする人で、いかにもオタクな妹が気に入らなかったようです。
私は自分が好きなものを、よく兄に馬鹿にされました。
好きなアイドルがいると、アイドルを馬鹿にされ、子供向けのアニメが好きだと、大人向けのアニメの方が上であるように扱われました。
兄に見下される度、私の好きという気持ちは萎縮して行きました。
そして、人からどう見られるかを異様に気にするようになりました。
そして、オタクっぽく見られやしないか、それで人に嫌われやしないかと、恐れるようになりました。
まあ、それで体から滲み出るオタクっぽさがなくなる訳ではありませんでしたが…
幸い、母や父は、私がやりたいことを自由にさせてくれる両親でした。
ですが、兄だけが私のやることなすことに口を挟み、ああしろこうしろと言ってきて、時には殴られることもありました。
私は勉強しなくても成績の良い子だったので、それも兄は気に入らなかったようです。
兄は成績の悪さがコンプレックスで、何もせずとも良い成績を収めて遊び回っている私のことが気に入らないようでした。
また、親が私には甘いのに、長男だからと自分には厳しくしつけられることも気に入らなかったようだと、かなり後になってから気づきました。
私はスターシードの本領発揮しまくった子供でしたから、自由にやりたいまま、思うまま、わがままに過ごす様子が、兄は気に入らなかったのだと思います。
物心ついた頃、繋いだ手を兄が振り払って走って行ってしまった光景を、今でも傷として思い出します。
幼少の頃から、私は兄に嫌われていて、疎まれていて、だから私達兄妹は不仲でした。
だから、仲のいい兄弟を見かける度、羨ましくて、羨ましくて…
★★★
昨日、よゐこチャンネルの鬼滅の刃関連の動画を観漁りました。
そこでは、芸能人とは思えない程のオタク全開の有野さんの姿があって、家族ぐるみで鬼滅を楽しむ様子があり、私はそれが羨ましくて羨ましくて仕方ありませんでした。
私も兄弟や家族と一緒に、好きなものを観て楽しんだり、一緒にゲームをしたりしたかったのです。
しかし、私の両親は盲目でサブカルチャーを楽しめませんでしたし、兄はああでした。
私は有野さんの、好きなものを堂々と好きでいる姿に、動揺と憧れを感じました。
私もあんな風に、堂々と好きなものを、恥ずかしがらずに好きと言いたいと思いました。
私はずっと、オタクであることが恥ずかしいと思っていましたから、カメラの前で堂々とオタク臭を匂わせる、とても芸能人に見えない有野さんの姿を見て驚き、動揺してしまったのです。
そして、憧れと同時に、少し嫉妬も…
嫉妬は、
「自分もそうしたい」
「自分にもそれはできる」
という合図だと、私は思っています。
ですから、有野さんの姿を見てどうして嫉妬したのかも、私は自分の心の動きを内観しました。
わかったのは、
「私も自分の好きなことを、正々堂々、好きだと言いたい、表現したい」
ということでした。
そして、ハイヤーセルフの、やりたいことをやり尽くさない限り、同じことが繰り返されるという言葉。
私はようやくハッキリと、自分がしたいことを理解しました。
「好きなものを好きと言い、それを表現する」
包み隠さず、体裁を繕うことなく、萎縮せず、ありのままの思いを表現する。
言葉にすると、その想いがより自分の心に馴染みます。
★★★
思い起こせば、私は随分と自分の本音を捻じ伏せて来ました。
いかにもオタクという感じの人を気持ち悪がったり、陰口を叩くことも多かったです。
自分がオタクと馬鹿にされ、同級生にも虐められたことから、私もオタクを見下すようになりました。
それは思春期の子供が辛うじてできる自衛の手段で、自分が馬鹿にする側に回ることで、馬鹿にされることを避けようとしました。
しかし、それは自分の本質を、自分で殺すことと同じですから、私はだんだんやりたいことを行動出来なくなりました。
描きたいものがあっても、人の目を気にしたり、批判を恐れたり、馬鹿にされることが怖くて、だんだん描けなくなって行きました。
また、自分の性癖全開な漫画を描くと、同人の友達にすら引かれたり、悪く言われたりしました。
そうして私は、より自信をなくし、自己評価を下げて、罪悪感にいつも苛まれ、人の目を気にしてビクビクして、ますますペンが進まなくなりました。
そして、そんな頃に、私は難病とされる眼病にかかり、ますます自信を失って、自分の生存理由を見失う程に、負のスパイラルにはまって行きました。
今なら、そんな状況を作り出したのは、自分自身の心であることがよく理解できます。
罪悪感に苛まれるままに、自分の作品を自分でダメ出ししまくり、否定し尽くして心を病むまでに自分を追い込んだのは、
子供の頃から蓄積された、自分の中で燻っていた無価値感や罪悪感というネガティブな想念は、私に無価値感や罪悪感で苛む体験をさせる現実を創っていました。
兄は大人になっても私の敵のままで、友達であろうと他人は私の作品を貶す対象でした。
そんな風に思っている私の意識が創る世界が、どんなに生きにくいか…
スピに生きている方なら、よくわかることだろうと思います。
オタクを恥と思う私こそが、その意識が、私を自殺を考えるまで追い詰める程に、オタクが生きにくい世界を創っていました。
エッチなBLはいけないと思います!という思い込みが、私に
「描きたいのにどうしても描けない」
という体験をもたらしました。
私を生き辛くしていたのは、私自身でした。
★★★
不意に思い起こされた、かつて諦めた作品への創作意欲と、
有野さんの羨ましすぎるオタクを満喫する様子に嫉妬する思いから、
私は自分の内側を内観し、以上のような気づきを得ました。
今、滅茶苦茶スッキリしています。
今確信しているのは、自分はやりたいことは何でもできるということ。
気づいて癒しが起きたことから、その辺りのわだかまりがごっそりパージされたことで、やりたい欲求がだいぶシンプルになって来ました。
まだ燻っている部分もあると感じますが、それでも癒しが起こる以前に比べたら、心の軽さは月とスッポンです。
BL漫画は、描き切るつもりで作業を進めています。
そして、結果に期待しない方針で。
自分の魂の満足の為、癒しの為に描くって。
やりたいことをやらないと、欲求不満なままだから、また同じ所をグルグルする羽目になりますしw
まー、エッチな漫画描いて良いんですか?って気持ちもまだ残っていますが、描き進めて行く内に、何か見つけるかもしれません。
行動しない内から、アレが悪い、コレは駄目というやり方は、もう散々やって来て飽きましたからねw
★★★
若い頃、まだ漫画を仕事にしていない頃、私は自分の描く漫画が大好きで、何度も自分が描いた原稿を見返してはクスクス笑っていました。
自由に描くことが楽しくて、何も気にせず描くことが楽しくて、だから、何かネタを思い付いたらすぐに机に向かっていました。
ここ近年の私は、描きたいものがあっても、ネームが頭の中で完成しても、原稿完成図のイメージを鮮明に思い描いても、なかなか机に向かいません。
体調が悪いだの、眠いだの、気分が乗らないだのと理由を付けては、重い腰を上げようとしませんでした。
人間、すっかり心が萎縮してしまうと、やりたいことがあっても、なかなか動こうとしなくなるようです。
それは、失敗への恐れや、自分の力を信用できないこと、そして別にやらなくても生きていけるしというぬるま湯意識があって、自分の本気に向き合うことを避けてしまうからです。
自分の本気に向き合うことは、何とも気恥ずかしく、また怖くて、悪い結末ばかりが脳裏を過ぎります。
しかし、そんな時、心を落ち着けて自分の内に問い掛けると、
「私にはできる」
という答えがいつも返って来ます。
そして、私を恐怖で縛るのは、私のエゴの生存本能が、過去の経験というプロファイルを元に、自分が傷付かないように対処しようとするから起こるのだと知りました。
過去の失敗した経験が、自分の心を恐怖で締め上げ、動けなくしてしまうのです。
しかし、そうと正体がわかれば、過去の経験に基づいた対策はしない方が良いとわかります。
それをして来て動けなくなったなら、しなければ動けるということです。
つまり、私がここで述べた辛い記憶や体験は、一切引きずらずに、シンプルにやりたいことのみに意識を集中すれば良い訳です。
作業中に、辛い記憶がリフレインすることもあるかもしれません。
しかし、それは気付いて手放すものが表面化して来た合図ですから、その作業はきっと楽しいものになると思います。
自分の意識がどんどんアップデートされ、どんどん生活や環境が変わって行くことは、本当に愉しいものです。
人間は本能的に、自分が成長すること大好き過ぎだと思います。
★★★
今回の投稿、長くなりましたが、同じ痛みを抱える同志は多いと思うので、あえて見苦しい点も包み隠さず書きました。
それでも書き足りない部分もありますが、何を伝えたいか、どうすると自分の心が楽になり、好きなものは好きなんだと言って生きられるかの方向性は、どうにか書けたと思います。
そして、人の生き方やポリシーに、正解や間違いはないことも、書き記しておきたいと思います。
同人界隈でも、他人を否定したり、自分を卑下したりのオンパレードです。
むしろ、昭和を生きたオタクさん達の多くは、自分と他者のボーダーライン上で悩まれることが多いと思います。
私に言えることは、自分の敵を作っているのは、自分の無価値感や罪悪感といったネガティブな意識が創り出したものということです。
その辺りの仕組みは、スピリチュアルを深く学んで行くことで気づいて行くことであり、またその答えは十人十色です。
スピリチュアルは、自分の心に真っ直ぐ向き合い、気づき、学んで癒して、自分の生き方に自己責任を持つ、自発的な生の営みに繋げて行くものです。
ですから、自分の心を偽ったり、傷付けたりするような生き方をすれば、それは同人界隈に限らず、日常や仕事においても、偽ったり傷付くような毎日になるという訳です。
自分の毎日を構築しているのは、自分の心だと気づき、向き合わない限り、争いは絶えないし、自分が傷付くことが起き続けます。
コツはただ、自分の心に向き合う、それだけです。
究極な話、それさえできれば、どこかの誰かの有難いお話を聴く必要なんて全くありません。
本来のスピリチュアルは、そういう自立した性質のものです。
自分の内面に隠れた問題を、自分が1番知っているのは、至極当然のことだと思えませんか?
だから、私は自分を内観し、宇宙意識と呼ばれるハイヤーセルフ、高次元の自分に繋がり、胸の内から湧き上がる想いを受信しては、本質の自分が本当にやりたいことに、意識を向けて来ました。
思考を止めて内観すると、私が本当にやりたいことが、しかもシンプルに掴めて来るようになりました。
だから、自分の心に向き合うこと、自分の心の闇すら向き合って、その自発的な心の軌道修正が自分を助けるのは、至極至極、当たり前のことだと私は思います。
★★★
私も、気づきや癒しが本格的に起き始めたのはここ最近で、まだまだな部分も多いですが、この人生、存分に愉しんでやろうとニヤニヤ企んでおります。
最近、本っ当ーにようやく、自分の人生の進む道に光が見えて来たような感じがします。
他人が見ると、何やってんのって感じの生き方ではありますが、当の本人、毎日愉しくて。
毎日、ヤベー愉しいー!って言ってる気がするw
昼食の冷やしラーメンを食べるだけでも、ニヤニヤ愉しいんですよ。
私も心に受けた傷はまだまだ深く、それを癒すのに時間がかかると思います。
でも、少しずつ、万里の道も一歩から。
私のように、傷ついたままのオタクさん、スターシードは多いと思いますが、自分の心をごっそり癒せるのは自分だけです。
愉しんでください。
そして、自分のやることを恥ずかしいことと思わないで。
自分の本心は今、何と言っているのかに、ただ、ただ、耳を傾けてください。
自分の心の声を1番聴いているのは、自分本人ですから。