礼儀正しく学ぶ
もしセラピストが、社会的に階層の上昇を目指すのならばどうすればいいのか。
それについて「街場の文体論・内田樹著」に一つのヒントがありました。
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僕たちが社会的な上昇を果たしたいと思えば、現実的には方法は「それ」しかないんです。
自分が何を知らないか、何ができないのかを正確に言語化し、自分に欠けている知識や技能や情報を有している人を探し出して、その人から教えを受ける。
「知りません。教えてください。お願いします」。
学びという営みを構成しているのは、ぎりぎりまで削ぎ落として言えば、この三つのセンテンスに集約されます。
①自分の無能の自覚
②「メンター」を探り当てる力
③「メンター」を「教える気」にさせる礼儀正しさ
この三つが整っていれば、人間は成長できる。
一つでも欠けていれば、成長できない。
社会的上昇も同じです。
学ぶ機会をシステマティックに退ける人に階層上昇のチャンスは訪れません。
階層社会の怖いところは、「学ばない」構えが階層下位にのみ選択的に勧奨されていることです。
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私たちセラピストは、学ぶ機会を自ら探し出し、真摯に学ばなければならないと思います。
いまは当然ながら私も勉強中の身ですが、その中でも特に基礎医学の学習は、セラピストとして必須であると考えます。
人の身体に関わる以上、身体のことを勉強することは当たり前のことですが(^。^;)
また、民間療法・代替療法の全体をみたとき、私たちセラピストの地位向上の為にも、「学ぶ」こと、「学ぶ機会をつくる」ことが非常に大切だと思います。
http://sinkyu-ryojutsu.blogspot.jp/2013/02/3.html?m=1
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睡眠と排泄と物忘れと…
昨夜からなんとなく体調が悪くて、今日は半日寝込んでいました。
お陰でというか、たっぷり睡眠を取らせていただきました( ̄∇ ̄)
たびたび睡眠についてアップしてますが、睡眠の重要性について、また違った観点でおっしゃっている外山滋比古氏の著書から一節紹介したいと思います。
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「ライフワークの思想」外山滋比古著 より
知覚の作用は、無意識的に、あるいは意志的に、おびただしい外界の刺激を受けている。
受けとられた刺激がインプレッションである。
逆に知覚作用、その他行動を通じて外界にはたらきかける広義の表現活動エクスプレッションがある。
しかし、インプレッションの方が出て行くエクスプレッションよりも圧倒的に多い。この両者のバランスをとる役割を果たすのが忘却である。
インプレッションが入って来るだけでは精神はたちまち自家中毒を起こしてしまう。
新陳代謝が活発になるには摂取におとらず排泄が重要である。
忘れるのは排泄作用であるといってもよい。
学校では摂取あって排泄なきがごときことが行われやすいために、せっかくの知識そのものが活動の源泉にならず、かえって、精神を毒することすらすくなくない。
ものを覚えることは学校で教えるが、いかにしてうまくものを忘れるかという教育は行われない。
ものを覚えるのも苦労だが、忘れるのはもっと難しいとも言える。
しかし、よくしたもので、自然はわれわれに強力な忘却促進剤を与えてくれている。
促進剤とは『睡眠』である。
眠れなくなると、精神はたちまち異常を呈する。
われわれはものをうまく忘れることが下手である。
刺激のつよすぎる現代生活において、これを処理しきれないで精神的不調を訴える人が急増している昨今、忘れる術を研究することは焦眉の問題でなければならない。
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外山氏の本は、好んで読ませていただいておりますが、「忘れる」ことの重要性を頻繁に書かれています。
物忘れの激しい私は、「また忘れたの?」といわれる度に、精神的に健康な状態と安心したりします(^^;)
今日はたっぷり寝たので、基礎医学の学んだこととか色々たっぷり忘れてしまって、
自家中毒を免れてまた明日から再度インプレッションしたいと思います。
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不良長寿
≪不良長寿・・・≫
関連会社に出版部門がある関係で、たまに仕事で文章を書くことがあります。
大概目いっぱいのダメ出しの校正が入ります^^;
そのため文章力を鍛えるために課題図書などを出されることがあったりします。
そんな中「街場の文体論」(内田樹著)という本を読んでいますが、なるほどと思うことが結構あったのと、「ミシマ社」発刊の本は編集者が優秀なのか、いつもスラスラとストレスなく読めてオススメです。
余談ですが本の感想を送ると、手書きで返信が来ます♪
本のテーマは「響く言葉」「届く言葉」「身体に触れる言葉」とはどういうものか・・・
「読み手」に対する敬意と愛、「自分の中にいる他者」に伝わる言葉・・・で文章を書くこと。
こういう文章は、本で説明されてもなかなか身につかないと思いますが、短い文章であってもウォールやブログに書く以上、訓練したいと思います。
またこの本にも、なぜかその“主旨”と逸れた健康に関する一節がありましたので紹介します。
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「健康に気づかう」ことは健康に良いのか悪いのかという実験。
二つのグループを作り、一つは一切、医者の診断やアドバイスを聞かずに好き勝手に生きる。
もう一つは定期的に健康診断を受けて、医者の専門的アドバイスを聞いて、食生活や日々の生活習慣を変える。
十年後にこの二集団の平均余命を調べたら、前者の方が長生きだった。
これを「不良長寿」と呼ぶとか。
これは健康管理によって増加する生命力よりも、健康管理をしなくてはならないという「メンタルストレス」で減殺される生命力が大きいということ。
「メンタルストレス」を人工的に化学物質があり、これを高い礼金を支払うということで被験者に点滴で送り込む実験を行い、これも二集団に分ける。
一つは最後まで点滴を打たれ続ける。
もう一つは点滴装置にオン・オフスイッチがあり、それをどうしても嫌になったら自分で止めることができる。
後者のグループは結局誰も装置を使わなかった。
「この不快感は自分が止めようと思ったら止められる」と思っている人たちに不快感は発生しなかったのである。
「メンタルストレス」は、それが自存的な不快ではなく、「その状況をどうすることもできない」ときに機能する。
逆に自分で「心身の状態をコントロールできるという確信」があると、メンタルストレスは発症しない。
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作家の基本は体力作りといった一節が、この本にあったので健康のことが少し書かれているのかもしれないですが、
このメンタルストレスの実験は非常に興味深い結果だと思いました。
ストレスを受けた時の逃げ道、打破する方法を常に準備しておけば、ストレス性の病気にかかるリスクは低下するのでしょう。
気の持ちよう・・・病は気から・・・
Take it easyですね( ^^)
睡眠と脳と意志力と…
今朝は久しぶりにたっぷり7時間の睡眠をとりました。
やはり睡眠を取ると体が楽な分、気持ちも晴々しい気がします。
最近どこの書店に行っても平積みされている「スタンフォードの自分を変える教室」という本に、睡眠が及ぼす影響を少し書かれていましたので紹介したいと思います。
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「6時間未満の睡眠」が脳を弱くする
睡眠時間が6時間未満の人は、もしかしたら意志力がみなぎっている感覚を思い出せないかもしれない。
※意志力とは、自己コントロールのこと
睡眠不足が慢性化すると、ストレスや欲求や誘惑に負けやすくなる。
感情のコントロール、意識を集中するなどが困難になる。
なぜ睡眠が足りないと意志力が低下するのか?
睡眠不足の状態では体や脳の主要なエネルギー源であるグルコースを使用することができない。
そのため細胞がエネルギー不足となり疲労を感じる。
体や脳がエネルギーを欲しがるため、甘いものやコーヒーをとりたくなる。
とりわけエネルギーを消費する前頭前皮質が影響をもろに受け、睡眠不足の状態で目を覚ますと、一時的に脳に障害を負ったような状態になる。
そうすると、脳の他の領域に対するコントロールが失われ、日常的なストレスにも過敏に反応し、ストレスホルモンのレベルが高くなる。
よって自制がきかなくなってしまう。
しかし幸い、この状態は元に戻すことができる。
睡眠不足の人でもちゃんと睡眠をとったあとは、脳をスキャンしても前頭前皮質に障害は見られなくなる。
そんなわけで、意志力アップには、さっさと眠ること。
平日はずっと睡眠不足でも、週末にしっかり眠ることで意志力は再びみなぎってくる。
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寝溜めや居眠りも有効と書いてありましたので、日頃少しでも時間があれば寝ることをいとわないことが「脳」にはいいのでしょう。
でも、以前書いた、睡眠不足が「骨」に及ぼす影響を思うと、本来は規則正しいリズムで睡眠を取るべきでしょう。
肉体と脳は別々には扱えないので。
この本では睡眠不足でも、暗にOKと言っているようで、ちょっと危うい気がしました。
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こだわりなく素直な心
前回と同じ『ライフワークの思想』より
私の好きな作家さんで言語学者の外山滋比古氏のコラムに「発見について」というものがある。
最近勉強会に参加する機会がある中で、その心構えとして参考になった一文があるので紹介いたします。
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外山滋比古氏のコラム「発見について」から
「発見」の方法について述べられた後の最後の一節より
さいごに虚心。
これは方法ではない。
心のもちかたである。
発見するには、成心(先入観のこと)があってはならない。
かたくなな心ではだめである。
心を半ば空しくしている必要がある。
純真で、素直でなくてはならない。
ものにおどろく力を失わないようにしなくてはならない。
目をふさいで新しいものを発見しようとしても無理である。
目をあけていても、一つの方向に釘付けされていては充分に見ていることにはならない。
人間にはあるがままに見ることはほとんど不可能であるが、なるべくあるがままに見えるようにする虚心が、発見には大切であろう。
心がかたくなでは、こまかいヒダの間にかくれている真実にはふれられない。
心をやわらかにしていれば、物に即することができる。
「則天去私」の心境にならないと、発見はむつかしい。
偉大なる無知、心を空しくしていて、見えるものが真に新しい発見である。
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「見る」は「聞く」にも当てはまるのではないかと思う。
たとえば、一度勉強した内容の講座を、再度受講し聞くことに意味が有るのか無いのか。。。
受講するとわかるが、案外新鮮に感じたり、新しい発見が有ったりする。
また、無かったりもしますが^^;
無いときの私は、成心だったのか、それとも全く興味がない内容だったのか。
これから勉強する時は、できるだけ「虚心」…こだわりなく素直な気持ちで受講に臨めるように訓練するのがいいかもしれない、と思いました。
僭越ですが、私の講座を10回以上受講している方がいます。
毎回新しい発見があると言ってくれます。
この身近な方の「虚心」を見習わなくては( ^^)
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