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"Food for Thought"

日々考えていることを、自分の思考をまとめるためにも書きつづっています。

NHKスペシャルで「追跡! アインシュタインの脳」を放映していました。天才の脳を分析して、何がその要因になるのかを追求したものです。

 

   E=mc2

          (注) E:「エネルギー」、m:「質量」、c:「光速」

 

これは、天才が発表した特殊相対性理論の式です。「エネルギー」と「質量」が「=」で結ばれています。簡単に何を言っているかと言うと、以下です。

 

 エネルギーが質量を形成する

 逆に言うと、質量あるものは全てエネルギーの変形である

 

この式に、角砂糖1個ほどの水の質量、「m=1g」をこの式に入れると、そのエネルギーは町全体を吹き飛ばすほどになります。事実、これをもとに1942年、米国は「マンハッタン計画」を立ち上げ、対日戦線のために原子爆弾の開発を進めました。そして、1945年、73年前の今日、0.7gのウランを全量エネルギーに変換することで広島を、3日後に長崎を崩壊させたのです。

 

のちにアインシュタインは、この式を編み出したことを後悔します。一方、「死後20年は内容を公開しない」とされた娘リーゼル宛の手紙の中で、次のようなことを書き残しています(長いのでポイントのみ)。

 

 相対性理論を発表したとき、ごくわずかの人しか理解できなかった

 いま明かそうとすることも、世界中の誤解と偏見にぶつかるだろう

 世界が次の理論を受け容れるほど進歩するまで、お前にこの手紙を守ってもらいたい

 現段階で科学が説明を発見していない、ある極めて強力な力が存在する

 宇宙で作用するどんな現象の背後にも存在し、まだ特定されていないもの

 その宇宙的な力とは、「愛」と呼ばれるものである

 

重さのあるものすべてがエネルギーの変形であり、そのエネルギーがもし「愛」であるならば、私たちも、すべてのものも、「愛の結晶」と言えるのかもしれません。

母の葬儀後、お坊さんの説法がありました。「お釈迦さまは、笑いながら生まれた(実は私も笑いながら生まれました)。これは瀕死の状態で、その後も順調とは言えなかった。さらに、誕生から一週間後に母親が亡くなり、生涯、罪悪感や無常観も抱えていた。幼少期は、体が小さいことから周囲のイジメにあった。人の心の痛みを問い続け、王位を捨てて出家した」と、お釈迦さまが心のひだをもっていたこと、それが自分のみならず他の人にも共通することから、悟りを得たのち教えを広めたというものです。

 

一般的には、オギャーと生まれて7歩歩いて天と地を指さし、「天上天下唯我独尊」と語ったとされています。「天の上にも天の下にも、俺様より偉い奴はいない!」と生まれてすぐ言うなんて、イヤな奴!と思ったのですが、事実は違っていました。

 

いま、「人口知能」が騒がれています。しかし、どれほど技術が進んでも、人間は微生物一つすらつくることはできません。「命」を人の手でつくりだすことはできないのです。

 

数億個のうちの1つの精子と卵子が「奇跡的に」出会って誕生し、大人になれば約60兆個もの細胞の集合体となります。分子レベルでは3カ月で入れ替わり、細胞も1年でほとんどが入れ替わります。食物は何ら考えることなく体内で消化。勝手に血管を通って体のすみずみに栄養が運ばれます。外敵から身を守るため、免疫細胞は24時間戦っています。こうした動きはそれぞれの細胞の中にあるDNAにプログラム化されています。これほどの機能をもつDNAを世界70億人分集めたとしても、「お米一粒」分の重さにしかなりません。そして、こうした人間の活動を支える一日のエネルギーは、家庭にある100Wの白熱電球1個分。とても人間にできることではありません。

 

毎日外敵と戦い、自分の身を維持しようと頑張っている自分の体や細胞たちには、静かに感謝したくなります。すると、「天上天下唯我独尊」という言葉は、傲慢な響きではなく、次のようにも聞こえてきます。

 

 天の上にも、天の下にも

 ただ独り自分の存在とは

 限りなく尊い存在である

 

そして、このことを理解すると、これがすべての人にも当てはまることが思い起こされるのです。

苦難の人生を送ったベートーベン。40歳で音楽家にとって最も大切な聴覚を失いました。「苦悩を貫き歓喜に至れ」と書き上げた交響曲第9番は、54歳の作品です。いくら天才といっても、実際の音を聞かずに作曲ができるのでしょうか。

 

人が音をとらえるのには、「鼓膜伝導」と「骨伝導」とがあります。鼓膜伝導は鼓膜でとらえる、いわゆる聴覚です。骨伝導は、頭蓋骨全体で感じるもの。自分が聞く自分の声と、録音した自分の声が違うのは、この骨伝導が影響しています。人が聞くより、自分の声を大きく深く感じるのです。聴覚を失ったベートーベンは、指揮棒を口にくわえ、ピアノに当てて、骨伝導で「音を感じて」作曲しました。最近では、鼓膜や頭蓋骨だけではなく内耳で聞く「軟骨伝導」も発見され、すでに補聴器やイヤホンが開発されています。

 

自分の話す言葉は、鼓膜、頭蓋骨、軟骨を通じて、人の言葉より、より大きなインパクトをもって自分の脳に入ります。古来、「読み・書き・そろばん」と言われていますが、「読み」は基本「音読」。黙読より音読の方が、効果が高いと言われているのもこのためです。

 

   射た矢が返るのに時間がかかっても

   矢(言葉)を射た瞬間に

   射手自身に大きな影響を与えるのではないか

 

「射た矢は返る」に関連して、こんなことも思うのです。

母がよく言っていた言葉があります。

 

 「射た矢は返る」

 

幼稚園に入る前、一時、母の実家に預けられたときも、祖母から同じ言葉を聞かされました。誰の言葉かは知りませんが、母の家で言い伝えられたのだと思います。

 

祖母とお風呂に入ると、洗面器にお湯を張り、中心に水を一滴たらします。お湯にあたると、円形の波は広がって洗面器に当り、波はまた中心に戻ってきます。これを何度みたことでしょう。

 

 人に放った矢は、必ず返ってくる

 いいことやいい言葉を放てば、いいことが、

 悪いことや辛い言葉を放てば、その通りのことが、

 すぐにではないけど、必ず返ってくる

 だから、いつでもいい言葉を使いなさい

 

処世術っぽいところもありますが、何十年もたってから、この言葉の重さを感じるようになりました。

5月23日(水)に母が急逝し、7月7日(土)に四十九日の法要を行いました。母は、鳥取(米子市)にいたため、東京に住む自分は色々と手続きなどで大変でした。

 

何度か帰省し、押し入れの中から金庫が出てきて、7月7日(土)の法要前に、業者にあけてもらいました。頑丈な金庫だったので少し期待したのですが、出てきたのは過去の通帳と病院の検査報告書だけでした(本人にとっては大切なものだったのでしょう)。

 

金目のものは何もなく、遺されたものは、息子を愛し続けた存在であったという「記憶」と「言葉」だけとなりました。

 

内村鑑三は、「後世への最大遺物」(薄い本なのでご興味あればご一読ください)という本のなかで、後世に遺すものとして、お金を遺す、事業を遺す、思想を遺す、などをあげています。ただ、これらは、すべての人に可能なものではなく、ごく限られた人だけとなります。

 

「それならば最大遺産とは何であるか。私が考えてみますに人間が後世に遺すことのできる、そうしてこれは誰にも遺すことのできるところの遺物で、利益ばかりあって害のない遺物がある。それは何であるかならば勇ましい高尚なる生涯であると思います。(中略)すなわちこの世の中はこれはけっして悪魔が支配する世の中にあらずして、神が支配する世の中であることを信ずることである。失望の世の中にあらずして、希望の世の中であることを信ずることである。この世の中は悲嘆の世の中でなくして、歓喜の世の中であるという考えをわれわれの生涯を実行して、その生涯を世の中への贈物としてこの世を去るということであります。」(「後世への最大遺物・デンマルク国の物語」、内村鑑三)

 

残念ながら、あまり高尚でもないので、ふと思い立って両親と同様、言葉を残しておこうと思っています。

久しぶりの投稿です。今週、「新入社員に何か話してくれ」と頼まれ、以下を話しました。

 

これから何を目指したいか。これはそれぞれ違う答えがあると思います。お金持ちになる、出世する、自分を成長させる、などなど・・・。でも、これは山の登るコースを言っているようなもの。お金持ちコース、出世コース、自己成長コースです。では、登る山の目指す頂上には何があるのでしょうか。それは「幸せ」ということになると思います。それぞれが色々なコースを登って、最終的には幸福感を得たいと思うのだと思います。しかし、どんなにお金持ちになっても、出世しても、成長しても、誰も祝福してくれなければ、きっと不幸だと思うのではないでしょうか。では、幸福とは何か。

 

最近話題のアドラーは、「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」と言っています。しかし、その裏返しという意味で、「すべての喜びもまた、対人関係の喜びである」とも言えます。よき人間関係を築くことこそが、幸福の原点であると言えるのです。では、誰とよき人間関係を築くのでしょうか。全ての人を対象にしては、八方美人となって自分を見失います。やはり、身近な人となるでしょう。では、最も身近な人は誰なのか? 親、兄弟、子供、配偶者と身近な人は何人かいます。しかし、最も身近な人はと言えば・・・、そう「自分」なのです。ほかの人たちは、24時間自分と一緒にいるわけではありません。しかし、「自分」はどこに行っても、常に「自分」とともにあるのです。

 

まずは「自分」とのよき人間関係を築くことが、最も重要なのです。自分を責めるということは、何かを失敗したときなどに起こりやすい現象です。「どうして、ああなったのだろう。周りの人は笑ってバカにしているのではないか」などと自分を責め続けても、いいことは全くありません。「ヘマをやったけど、まぁ、自分も人間だもんな~。次は、こうしたことをしないようにしよう」という風に考えて、自分で自分を守ってあげなければなりません。ただでさえ、社会に出れば、あれこれ論評する人はたくさんいるのです。放っておいても非難される。そんななかで、自分までが自分を責めていては、自分が可哀そうです。自分を慈しみ、自分とのよい関係を築くことが、実は何より重要なのです。

 

そうして、それぞれが幸せになることは、権利でも偶然でもなく「義務」でもあります。もし、一人の人が幸福感を抱けば、世界72億人いる内の、少なくとも一人は救われます。また、米国での研究によれば、幸福感を抱く人は、そうでない人に比べて31%生産性が高いと言われています。更に、その幸福感は伝播し、周囲の人7%にも幸福感が伝わるとあります。個人だけでなく周りにもよい影響を与えるのです。それはそうです。暗くて不機嫌な人といると、こちらまで暗い気持ちになりますが、明るく朗らかな人といれば、こちらまで気分が明るくなってきますよね。不幸だと感じることは、少し前のPM2.5ではありませんが、周囲の環境に良くない物質を振りまいているのと同じ罪悪なのです。よって、人が幸福となるのは義務であり、それにはまず自分とのよい関係を築かなければならないのです。

先日、日光に出張で出かけた時、「時間があるから、かき氷のお店に行きましょう」と先方の事務所の人が誘ってくれました。何もわざわざ日光でかき氷をと思ったところ、東武日光のパンフのトップに日光のかき氷がトップで紹介。いまや東京でブームなのだそうです。日光の天然氷だと、普通のかき氷と違ってガリガリしておらず、美味しいのだそうです。ただ、結局、打合せがのびて日光でのかき氷はパス。


残念がぬぐいきれず、帰ってネットで検索すれば、近くにやっているところがありました。桜新町の「雪うさき」さん。


いつも長蛇の列のため、ウェイティングリストに名前を書いておくのですが、「待ち時間? これだと、1時間半くらいかな?」とさらっと言われます。ちょっと、用事を済ませて、1時間半後に戻ったものの順番はまだまだ先。結局、書いてから2時間45分後にお店に入りました。


注文したのは「抹茶DX」。大きさにビックリしましたが、氷が綿菓子のようにふわふわです。それに、シロップが中まできちんと溶け込んでいて、これまでのかき氷の概念を覆すものです。店主は、明治創業の日光のかき氷屋「松月」に感動して修業したそうですが、これは長蛇の列がわかります。


お隣に座った方はは「2度目なので別のを頼みました」とおっしゃっていましたが、こちらも次回は別のものを頼もうと思います。

友人の奥様がお亡くなりになり、葬儀に参列しました。長らく闘病されており、さぞかし大変だったと思います。帰りがけに「お顔をご覧になって下さい」と言われ、やつれた姿を想像しつつ拝見すると、昔のまま。何となくほっとしました。


たまたまそんな話をしていたら、取引先の企業がご遺体の処置に関係しているのだそうです。



こうした処置は、古くはエジプト時代からあったそうですが、急速に進んだのは、米国の南北戦争から。西海岸から東海岸方面へ出征した兵士の遺体を、飛行機などがなかった時代、どうご遺族のもとへきれいなまま運ぶかと言う観点で工夫がされたのだそうです。



現在、ホルマリンは発がん性があるため、特別の空調施設がなければ作業できず、また遺体から血液やその他の体液を抜いて処置する際にも、特別な施設が必要。よって、そうした施設を専門に手掛けているのだそうです。いやいや、色々なところにビジネスがあるものです。



ただ、きれいなご遺体を見ることができたのは、友人としても(何故か)安心しました。何となく、そのままの姿で天に召されたのではないかと思ってしまいます。そう考えると、これも立派な社会貢献かもしれませんね。

社内ブログの原稿をこちらに上げていたのですが、システム更新でそちらがなくなることになりました。書き始めたのが2012年4月なので、2年を少し超えたところです。土日に原稿を書いていたので、毎週「う~ん、今週は何を書こうか」と、さながら締切り間近の小説家気分でいましたが、解放されそうです。



こちらでは、個人的にアップしようと思っていますが、社内ブログは最終回になると思うので、たまに振り返る時の言葉を書き残しました。「逆説の10か条」を自分なりに変更し、仕事場である修道院の壁に書き刻み、読み返していたものだそうです。以下です。


~あなたのなかの最良のものを~


人は不合理、非論理、利己的です
気にすることなく、人を愛しなさい

あなたが善を行うと、
利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう
気にすることなく、善を行いなさい

目的を達しようとするとき、
邪魔立てする人に出会うでしょう
気にすることなく、やり遂げなさい

善い行いをしても、
おそらく次の日には忘れられるでしょう
気にすることなく、し続けなさい

あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう
気にすることなく、正直で誠実であり続けなさい

あなたが作り上げたものが、壊されるでしょう
気にすることなく、作り続けなさい

助けた相手から、恩知らずの仕打ちを受けるでしょう
気にすることなく、助け続けなさい

あなたの中の最良のものを、この世界に与えなさい
たとえそれが十分でなくても
気にすることなく、最良のものをこの世界に与え続けなさい

最後に振り返ると、あなたにもわかるはず、
結局は、全てあなたと内なる神との間のことなのです。
あなたと他の人の間のことであったことは一度もなかったのです。

~ マザー・テレサ

前回、冗長な修飾や謝罪など、日本のやり方が必ずしも国際的ではない点について書きました。電子メールもそういう点があります。



I am very sorry for delay in reply, as I was not in my office for some business trip.」と書いたメールに米国人から返信が来ました。詳しい内容は忘れましたが、「どうして日本人はこうも謝ってばかりいるのか。日本人からのメールは謝罪で始まることが多いが、我々は謝罪を求めているのではない。ビジネスの進捗を知りたいだけだ。謝罪はいいから、ポイントのみ教えてくれ」というものです。なるほど合理的です。「sorry」という単語には、感情がこもっていますが、ビジネスは合理性・経済性の追求です。返事がかなり遅れて「申し訳ない」場合でも、「Please accept my apology for delay in reply」と淡々と書くようにしています。また、メールの書き出しは、基本「Thank you …」と(謝罪ではなく)感謝で入ります。


日本では、「と考えられる」「と思われる」などがありますが、受身形は基本ご法度です。「世間様」という漠然としたものではなく、「私」「あなた」は、どう「思う」「考える」と能動的でなければなりません。「莫大な」「かなり大きな」といっても、捉え方が異なるのでできるだけ数値で表す必要があります。「主語と述語と数値で語れ」です。



ワーディングにおいては基本ポジティブに。前向きで明るいワーディングを使うようにします(これは日本語でも同じですが)。どうしても拒絶したい場合以外、「Not」の多用はネガティブな印象を与えます。代わりに、「be unable to」「fail to」「far from」など、「Not」ではない非定形を使うとよいと思います。



まとめると以下でしょうか。個人的な体験からなので、マニュアルでは違うことを言っているかも知れませんが…。ご参考になれば幸いです。


        <日本>              <海外>

         謝罪                感謝

       ネガティブ             ポジティブ

        後ろ向き               前向き

 (誰の責任か、どうしてこうなったか) (これからどうすればいいか)

       主体が不明確            主体が明確

         受動的         能動的(受身形は原則「×」)