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"Food for Thought"

日々考えていることを、自分の思考をまとめるためにも書きつづっています。

<公共料金・停止編>

さらに、公共料金(電気、ガス、水道、NHK)の停止や固定・携帯電話の解約も個別にやらなくてはいけません。企業では、人事データベースに入力すれば、後の処理は全部やってくれますが、公的機関でも、一か所にデータをインプットすると全て自動でやってくれるビジネスがあればヒットするのではないでしょうか(信託銀行が数百万円で富裕層向けにサービスをしているそうですが、とてもそんなお金は出せない)。こうした料金体系でほかと違うのは電話関係。固定電話は、権利関係が絡むので、除籍謄本などの書類を送るか提示が必要です。年金のためだけに除籍謄本を取ると、後からどんどん必要になってくるので、多めに取っておいた方がよいと思います。携帯電話の場合には、日本全国どこでもショップに行けばやってくれますが、やはり除籍謄本の提示を求められます。役所に出向かないといけない(ネットで取ることができない)ので、場所によっては結構体力がいります。

 

<ゆうちょ銀行・解約編>

もうひとつ重要なのは銀行預金。地方では、よく死亡公告を出しますが、あれをやると銀行口座がすぐに凍結されます。葬儀の手続きをするときにも、斎場から「死亡公告を出しますか?」と聞かれたのですが、これは「NO」。公共料金なども1月から2月遅れて口座引き落としとなるので、凍結されると大変です。一方、ゆうちょ銀行は、役所に死亡通知を出すと、どういう手回しか凍結されてしまい、相続人が手続きをしないと口座にある現金を引き出せません(ただ、これは鳥取だけの特性かもしれず、確認が必要です)。

 

手続きのために、またまた除籍謄本などが必要ですが、ゆうちょ銀行の口座凍結を解約すると、自動的に相続人とみなされるので、相続放棄を考えている場合には慎重さが必要です。尚、公共料金系も良かれと思って肩代わりして支払うと、相続したとみなされるのでこちらも要注意。手続きに、鳥取の郵便局に行ったら、そこの局長が小学校の同級生でした。奇遇と言うのはこのことで、おかげで職員さんがとても丁寧に応対してくれました。

 

<運転免許・マイナンバーカード・返却編>

運転免許も返却が必要ですが、母は既に運転を諦め返却済みでした(免許証は、本人証明書として一番身近なものですが、存命中に免許証を返却すると、本人証明用に「運転経歴証明書」というものを発給してもらえます)。また、マイナンバーカード(または個人通知書)も、市町村役所に返却します(何かあったときのために、コピーのみ保管しておく)。

葬儀も終わると、これからがまた大変です。まず何よりも急がないといけないのは、年金の受給停止。忘れて年金を受け取ると「不正受給」となり罰せられます。受け取ってしまった年金は単に返金すればいいだろうと思いますが、手続きが大変らしく、まずは何より受給停止手続きです。年金事務所に電話をして、仮停止をお願いします(正式には、書類を年金事務所に送らなければなりません)。鳥取から自宅のある東京に帰ってからこの手続きをやるのはまた大変。年金証書、除籍謄本、住民票、死亡診断書などなど、取るだけでもそこら中の役所を回らなければなりません。仕方なく、鳥取の知人に代行をお願いしても、「血縁関係のある人でなければだめ」と書類を返送され、やむなく委任状を発行して取り寄せたりで一苦労です。

 

また、年金は2カ月分が偶数月の15日支払われますが、母の死後の支払い日は6月15日。別居していると、4・5月分の年金も支給停止となります(この間は存命していたので、支給停止はおかしいと思いますが…)。この期間での年金受給を得るためには、「生計を同一にしていたという申告(別居であっても金銭面などで面倒を見ていた)」と、このことを立証する「第三者証明」が必要となります。こちらも鳥取側とやり取りをするので、これまた大変です。

ここで、肝心なのはお坊さん。浄土真宗の檀家に入っていたので、お寺さんは決まっています。斎場からは「お布施の金額は直接聞いてください(斎場からは答えられない)」とのことで、電話で聞いてみると、「通夜・告別式で20万円、お食事代で5千円、お車代で5千円」でした。時給に換算すれば、大谷選手並みではないでしょうか(しかも無税)。既に、母が戒名は自分の費用(40万円)で作ってあったので、そのことも話したのですが、それ抜きでも20万円(地域差があるので、これはあくまでも参考値)。

 

お経が終わると、「説教」です。お釈迦様は笑いながら生まれたとのことながら、これは仮死状態で(瀕死で生まれた)、その後、お母さんが1週間後に死亡。生まれながらに罪悪感をしょっており、体も小さくて幼いころから周囲にいじめられ、人の心の痛みや無常が分かったのだとか。また、「朝は紅顔なれど、明日は白骨」(人はいつ死ぬかわからない存在である)という有り難い昔話もされたが、高齢者の参列が多いなか、「自分も明日は白骨か」と溜息がもれる説教でした。

 

告別式のお経が終わると、早速、次の四十九日の打合せです(日程調整)。死後49日前までに済ます必要があり、日程を調整。お寺か自宅かの二択となりますが、お寺にしていただきました。その際には、供物と花が必要。大きさや数などはお寺と事前に相談が必要です。浄土真宗では、その日は位牌はいらないようで、「過去帳があればいいです」とのことですが、「過去帳って何?」(「仏壇にあります」とか)で、早速捜すこととなります。

 

通夜・告別式は斎場のご協力で、とてもスムースにいきました。担当についていただいた方が、「一級葬祭ディレクター」。何と国家資格で、一級と二級があり、一級は取得がとても難しいのだそうです。確かに、壺の柄の言われから宗派の違いやお線香の上げ方の儀式まで、細部にわたってきめ細かな知識をもっています。また、何より言葉遣いが素晴らしい。こうした「商売」であれば、恐らくものの言い方ひとつで切れる人も多いと思いますが、それを踏まえてか、とても静かで鄭重に話されます。また、察する力というか、こちらが何を期待しているかを瞬時に察して手を打ってもらえるところなど、これから資格を取るなら絶対「葬祭ディレクター」です。斎場スタッフは全体的に言葉遣いもよく、「わが社の研修にも取り入れたい」と思うほど、教育が行き届いていました。

 

もう一つは、話題の納棺師。遺体の裸体を見せることなく、奥ゆかしく着替えを行い、化粧をうっすらと施すところは、これぞ日本の奥義といったところです。こちらも、宗派での違い(浄土真宗ではお迎えが来るので杖はいらないなど)や、化粧の色合い・やり方まで本当に細部にまで行き届いて、正直、感動しました。6万円コース(湯煎付き)と3万円コース(湯煎なし)のふたつのパッケージがあって、3万円コースにしましたが、一見の価値ありです。

 

最後に焼き場で焼いてもらいますが、これが斎場から車で5分。恭しく霊柩車の移動で、また1万3千円の請求となりました(霊柩車にもデラックスからコンパクトまで多数揃えています)。焼き場では、火葬のボタンを押すよう促されたのですが、さすがにこれには一瞬ためらい。待合室で約1時間待って「出来上がり」。骨を拾って、骨壺に入れて終了です。骨壺は、自宅で四十九日まで供養とのことでしたが、「こちらは東京に戻るので…」と話したところ、お寺で預かってくれました。葬儀代金、〆て90万円(斎場費用のみ)。

 

どこの斎場もやっているのかはわかりませんが、一通り終わってから、この後の手配についてのパンフをもらいました。香典返し、届け出る手続き、仏壇・位牌の手配、墓の設置や窓口、相続などが書かれており、ついでに行政書士まで紹介してもらったのは有難かったです。

1955年、米国・アラバマ州・モンゴメリー市。黒人女性ローザ・パークスは、デパートでの仕事を終え、いつものバスで帰途につきました。当時、バスの座席は、白人と黒人とで座る席は別々。すいているときは白人席に座ってよいのですが、やがて混み始め、白人席に座ったローザは、白人のために立つよう運転手に命じられます。これを拒んだ彼女は、そのまま人種分離法違反で逮捕。即日、保釈されるものの罰金刑を言い渡されました。のちに、仕事で疲れていたからではないか、高齢で疲れて立てなかったのではないか、という問いに対して、彼女はこう答えています。

 

 唯一疲れていたことは、屈服することです

 

これに端を発し、モンゴメリー市の黒人はバスの乗車をボイコット。最高裁の違憲判決が出される1年以上、黒人たちはバスの乗車を拒否して歩き続けました。この指揮にあたったのが、キング牧師。英国相手にインド独立を勝ち取ったガンジーの手法を取り入れ、徹底した「非暴力主義」(如何なる暴力行為を受けようと、こちらは決して暴力に訴えない)で活動を展開しました。

 

この運動は大きなうねりとなり、人種差別撤廃をうたった米国・公民権法に大統領が署名。キング牧師もノーベル平和賞を受賞し、彼の誕生日である1月15日は、民間人の誕生日として初の全米祝日となっています(スティービ・ワンダーに「Happy Birthday」という曲がありますが、キング牧師の誕生日を祝う歌です)。たった一人の行動が、これほど大きな影響を与えるとはローザ本人も予想しなかったことでしょう。

 

先日、ある人が、以下の言葉を語っていましたが、まさにその通りなのかもしれません。

 

 我々は

 微力であるが

 無力ではない

その後は葬儀の手配です。3日後が「友引」でもあり、みなこの日を避けた数日間に通夜・葬儀が集中。お坊さんの手配もままならずで、日程をずらさざるを得ません。浄土真宗は自分で三途の川を渡るのではなく、「阿弥陀仏がお迎えに来るので『友引』でも葬祭は可」とのことなので、友引の日に通夜、翌日を告別式に設定。そして、それからは葬儀の準備。斎場からは、花、納棺手配、棺・着物・骨壺などの道具類の手配、火葬手配、と矢継ぎ早に提示され、しかも10万円単位のものが次々に請求されます。せめて葬儀はしっかりというこちら(遺族)側の気持ちもあり、また、ほかとの価格比較もできず、ハイハイと受けざるを得ません。

 

行動経済学という分野では、例えば、A定食、B定食、C定食と値段を高い順に並べ、A定食の価格を少し高めに設定すると、「一番高いのは何だし、安いのものな…」と多くの人がB定食を選ぶとされています。「棺・着物・骨壺パック」も、20万円、15万円、13万円とあって、「15万円コースを選ぶ方が多い」とまで言われると、「では、15万円パックで」と言ってしまいます。言われるままもしゃくなので、最後に「出精値引きとかありますか」と聞いても、「そうしたことはやっていない」とのことで全て定価ベース。高齢化社会で、次なる産業をどうするかとの議論が喧伝されていますが、葬祭ビジネスは明らかに、今後成長が期待できる産業です(これは本シリーズの後半で記述予定)。

警察の取り調べも受け、今度は遺体をどうするかを決めなければなりません。葬儀まで病院の霊安室で安置してもらえるかと思ったのですが、家族がいる場合には自宅または斎場に遺体搬送が「お決まり」なのだそうです。といっても、普通のセダンの車で来たので、横になった遺体を入れるスペースはありません。そもそも、葬儀がいつになるかも決まっていないので、遺体の保管方法などもわかりません(よく死臭がするとも言われています)。病院には葬儀屋が詰めているらしく、そこにお願いして斎場に搬送してもらいました。

 

「お知り合いの斎場・葬儀屋があればそちらでも結構です」と言われたものの、急に帰省してそこまで捜す時間もなし(ネットで検索する時間もなし)。アワアワしているうちに霊柩車が来て、斎場まで行くのですが、病院からは約10分の移動。あとでわかったですが、斎場から「輸送費(霊柩車)」として、1万3千円請求されていました。タクシーならワンコイン範囲でもあり、これは事前に言って欲しかった点です。

 

運び込まれた斎場は、とても豪華でキレイです。安置する部屋が、「1泊6万円」の部屋しかないと言われ、これまた飲まざるを得ません。ただ、ここは通夜にも使える部屋らしく、お風呂からキッチン・アメニティーまで全て揃った部屋で、グッズも超一流のものばかり。「1泊6万円って、リッツ・カールトン並みじゃない?」と言いつつ、ほかの選択肢もなく、そこを使わせてもらうことにしました。母は生きている間に1泊6万円もの部屋に泊まったことはないのですが、亡くなってそこに安置とは皮肉なものです。一見して、斎場は絶対儲かる商売だと思いました。

母の死亡確認が終わり、まだ実感もないまま立ち尽くしていると、死後10分後、早朝にも関わらず、警察の方が4人も病院にやってきました。母はケア・マネージャーさんとの食事中に意識を失いましたが、病院以外での死亡の場合、事件性(殺人の可能性)を疑うのだそうです。名刺を見ると「強行犯課」の方。母の生まれから、父との結婚、その後の生活状況から死に至るまで、事細かに事情聴取されました。怨恨や生命保険などの資産・権利関係を把握するのだそうです。おおよそ2時間に亘って色々と聞かれ、その後は実家での写真撮影。冷蔵庫の中身、通帳、ベッドや生活範囲、亡くなった場所などを「激写」していきました。それから特にお呼び出しもないので、「無罪放免」になったものと思います。早朝に2時間も拘束されたのは少々きつかったですが、こうして警察がシッカリ調査していることを知って、日本の治安という観点では安心しました。

 

という話を友人にしたところ、彼は別の「警察沙汰」に巻き込まれたそうです。彼のお母さまは、ご自身で救急車を呼ばれたのですが、救急隊が到着した時には既に意識なし。救急隊は、ベランダの窓ガラスを割って内部に侵入・救出したのですが、法律上は「器物損壊罪」。あとになって、警察が友人と救急隊員の立会いのもと実地検分し、隊員の器物損壊罪は免れたようです。こう考えると、日本の警察って、やっぱり凄いです。

仕事をしていると携帯電話の呼び出し。出ると救急車の音。母が救急車で病院に搬送されるところでした。長らく認知症を患い、要介護3でケア・サービスを受けているときに、急に脈が止まったとのことです。たまたまその場にいた知人が救急車を呼んで人工呼吸。その搬送中の電話でした。やがて、病院の救急センターの医師からも電話。「心臓はいつ止まってもおかしくない状況。延命治療について相談したい」とのことです。まずは、カテーテル。脚から心臓に向けて、カテーテルを導入して栄養剤などを注入するものです。これで生命維持は可能となるものの、いったんカテーテルを入れると法的にこれを抜くことはできず、命運尽きるまで装着しなければなりません。

 

実は、母は翌月から施設に入れることで契約間近の状態でした。そんな話を会社の先輩に話したところ、「施設といってもすべての面倒をみないところもある。何かあると救急車を呼んで病院に搬送しちゃう。うちもオフクロを救急車で搬送したんだけど、そのあとカテーテルを入れるかと聞かれて大変だった。家族だから『お願いします!』って言うけど、それから脳死状態で2年間」という話を聞いていました。電話口に出た医師も「ご高齢なので…」と暗にそのことをほのめかしてくれました。以前から延命はしないでほしいと母にも言われており、結局、突発対応で人口呼吸はお願いするも、カテーテルは使わないということでお願いしました。

 

それから、仕事も途中で放り出して実家の鳥取へ。夜7時過ぎ、病院についたときは、まだ心臓は動いていましたが、器具をつけられて呼吸も人工的に行っています。意識はなく、見舞いに来た息子も認識できない状況です。暫くして、また延命措置についての確認です。自然な命の状態を維持することでお願いしました。

 

いったん実家に戻って休んでいると、午前4時に病院から電話。「もういつ心臓が止まってもおかしくない状況なので、すぐに来てほしい」とのことで慌てて車で駆け付けました。到着したのは30分後。既に心電図は「0」を表示しています。目にもテープが貼ってあって閉じた後はあるのですが、医師が脈と瞳孔の確認をして、亡くなったことを告げました。時刻は4時42分。既に命は尽きていたのでしょうが、家族に配慮してくれたものと思います。

 

かつて歌手の登竜門として、「全日本歌謡選手権」というTV番組がありました。10週勝ち抜くとプロになれるという番組です。天才少女と呼ばれた「吉田よしみ」は、みごと連続10週勝ち抜き、演歌歌手としてデビュー。ずば抜けた歌唱力で期待されたところ、なぜか何年たっても芽が出ません。やがて人の記憶からも忘れさられ、アルバイトで生活する日々。それでも歌うことを諦め切れずに、夜の酒場で歌うことを始めました。場末の飲み屋で流しのギターという、コテコテの昭和の世界です。しかし、いくら一生懸命歌い続けても、聞く相手は飲んだくれの客ばかり。まともに歌を聴く客はほとんどいません。

 

ある日、本当に歌うことを辞めようと泣きながら家に帰ったとき、お母さんがこう言いました。

 

 酔っ払いの客が相手やゆうて

 歌が荒れたらあかん

 誰かが見てなさる

 誰も見とらんと

 神様が見てなさる

 

思いなおして歌い続け、やがて歌手「天童よしみ」は、紅白歌合戦の大舞台に立ちました。デビューしてから24年もの歳月がたっていました。

 

歌の神様は、「歌唱力だけではダメなんだよ。人の気持ちに寄り添えるようになりなさい」とこれほど長く不遇の時代を与えたのかもしれません。そして彼女の人生は、技量だけではなく共感の重要性を、周りの環境に拘らず最善を尽くすことの大切さを、私たちに教えてくれるのです。