自分に素直に生きることはなんて難しいんだろう、、、。

世の中のことを、周りのことを考えなかったり、目に入らないような人なら、これは簡単なことなのかもしれない。

俺は昔から周りに過敏な人間だったからすごく周りが見えてくる。
俺はその周りの目に異常なまでに過敏に反応し、その自分で作り上げた壁を苦しみとともにぶっ壊して生きてきた。
だから、周りにもたくさん敵はいた。
でも、こう考えると敵を俺はあえて作っていたんだなってことに気がつく。
俺は素直にしていれば真面目すぎるくらい真面目な人間だ。
だからその作用は社会の流れに逆らう時も同じで、極めて真面目に逆らってきた。
俺はあえてそうしてきたんだ。
何も武器を持たない俺が、俺自身を守るために。

でも、今はどうだろうか。
俺はちゃんと俺を守れているだろうか。
絶対に譲ってはいけない核の自分は守れているだろうか。
俺の信念は突き通せているだろうか。

俺は社会にまみれて自分を殺さなければ生きていけない大人達の味方である生き方はしたくないんだ。
俺はもう大人だけど、子供だから育める青臭い想像力やたくさんの失敗の味方でいたい。
間違いなんてこの世にはない。
倫理的に間違っていることだって、それはあくまで倫理的なもの。
全てを受け止める広い海として子供達を包み込んであげる社会でなくてはならない。
今はそんな社会なんかじゃ到底ない。
みんな余裕がなくて自分しかみられない。
心に余裕を持てるものだけが、真に人の海になることができる。
社会がそうでなくても、周りにいる大人がそうでなくても、俺は純粋で個性を爆発させる危なっかしい命たちの海になりたい。
海が包んでくれるからこそ、命は安心して爆発できる強さをもつことが出来るのだと俺は信じている。

俺が必要だった時にそこになかった海。
不安だった記憶が俺から離れることはない。

今、俺は子供達の海になれているだろうか。
まだまだ小さい海かもしれない。
でも、小学生の男の子が先生のこと大好きって言ってくれたり、先生でよかったって笑顔で言ってくれたりすると、俺は泣きそうになってしまう。

いつ俺のことを忘れてしまうかは分からない。
でも、もしもこの時だけでも俺が、そんな未来を担う小さな命の大きな笑顔の海になれていたのなら、俺は本当に生きていてよかったなと心から思う。

そしてそんな笑顔達を俺は守りたい。
守れる人間に俺はなりたい。
将来社会の風にさらされても決して動じる事のないかけがえのない笑顔を。

そんな人間を目指して俺は今生きているはずなんだ。
そうだろ?俺!

その為に乗り越えなければいけない壁はたくさんあるはずなんだ。
楽になんて生きられるはずがないんだ。
自分で自分に大きな壁を作れなくなったら、俺の人生は進んでいない証拠。
今の自分の目の前に大きな大きな壁を作れ!
その壁は自分と社会の両方から塗り固められた矛盾の数々。
俺はそれを苦しんでもがいて、壊した時にまた大きくなれるんだ。
矛盾は嫌いだ。

俺はいつまでも素直に生きたい。
俺はいつまでも素直に生きることをあきらめたくない。

春を向かえ、今様々な出会いと別れの季節がやってきた。


俺はというと、別れはあまりなく、沢山の出会いばかりを春は俺に与えてくれている。

俺は冬が嫌いだ。

俺は春もあまり好きではなかった。

それはただひどい花粉症だったから。

でも、今は俺は春の暖かさに感謝しなければならない。


俺はたくさんの出会いとたくさんの経験をできた。

それは未来に希望を持たせてくれるものばかりであった。


沢山の人間が集まって一つのことに向かうことの素晴らしさ。

難しかったり、揉め事が沢山あればあるほど、成功した時の感動と喜びは言葉には表せない高揚感を味わうことができる。

それが、真剣である証拠でもあると思う。


俺が何を求めて生きているのかもこの春が教えてくれた。

俺は「広がり」を求める人生を歩みたい。

俺が理想とする「広がり」の中から「繋がり」を感じることのできる人生を歩めれば、俺の人生に悔いはない。


俺は4月から大学3年生になった。

ちなみに歳は25歳になった。

時々、俺は自分の歳を忘れてしまいそうになる。

俺は歳なんて忘れてしまえばいい、と思う一方で自分が今大学生をしていられることのありがたさを忘れたくない思いから、歳を噛み締めていなければならないと思う気持ちもある。

ただ、俺がしっかりしていれば、歳なんかに頼らなくてもありがたさは忘れないでいられるのだと思う。


だから俺は歳を捨てようと思う。

積み重ねてきたものは積み重ねてきたものとして、俺は俺で勝負しなければならない。


今学校の友達と壮大なプロジェクトを進めている。

これが成功するかは本当に分からない。

でも、挑戦することに意味があると思うし、今やろうと思えたことが、そしてそいれに挑めることがすでにチャンスなんだと思う。

俺はこのプロジェクトで更なる「広がり」と「繋がり」を感じたい。

たくさんの人の助けをかりて、沢山の人と悩み、苦しみ、新しい光をつくりだしていきたい。


今の俺から湧き上がってくる、限りない挑戦する気持ちに俺自身わくわくしてる。


悲しみと苦しみの先にあるもの、、、


先日なんとなくテレビを見ていて、とても心に響いた言葉があった。

それはお天気キャスターなどで活躍している石原良純さんが言っていた言葉。

「どれだけ無駄だと思う時間を積み重ねられるかが勝負だ」

無駄だと思うことは、普段避けがちだ。

合理主義が当たり前の世の中で、特に俺の中にも合理主義的な考えは強くある。

ただ、遠回りして見た景色には自分の知らない世界がたくさんある。

そこに、成長の種がたくさん隠れている。

俺は人生を遠回りしたことによって成長できた。

俺の遠回りは社会的には決して良しとされるものではなかったけれど、そのおかげで今の俺がある。

俺が成長できる時、それは遠回りしている時であり、無駄だと思われることをしている時。

このことを忘れたくない。

悲しみと苦しみの先にあるもの、、、

今俺はとんでもなくダメな奴になり下がっている。


自分がヤケになってるだけなのに、周りにいる人の悪口を言っている自分に気づく。


とても大切に思っていた、友達や仲間を大切にできなくなっている。


仲間は自分の財産なのに、俺にとっての唯一の財産なのに、それを壊す方向に壊す方向にばかりもっていこうとしている自分がいる。


俺は仲間がいなければ、生きていけない。


俺の本当に宝物だ。


むかつく時もある、気に食わないことがあることだってある。


でも、とても愛おしくて、良いところもそれぞれたくさんもっている仲間たち。


俺は仲間を大切にしないことによって、自分を壊そうとしているのかもしれない。


失望してしまった自分をぶっ壊して、破滅に追いやろうとしているのかもしれない。


結局は自分を一番大切にしていた事実に失望して、自分を壊そうとして、やけを起こしているのかもしれない。


でも、俺は受け入ればならない。


大人になるということは、自分を大切にすることができるようになること。


俺は捨て身で他の誰かを助けられる人間に、誰かを守れる人間に昔からあこがれていた。


ぐれていた十代の頃、そんな人間になりたいと強く願っていた。


しかし、捨て身の生き方は長くは持たない、はかなく散っていくものであり、人生という長さには到底耐えられるものではないものなんだ。


大人になった今、俺は自分が大切であるということを認めなければならない。


悔しいけれど、その事実を認めた上で、周りの人を大切にできるようにならなければならない。


自分を大切にするということは周りの人間を大切にできることに繋がる。


周りの人間を大切にできることは、自分を大切にすることに繋がる。


捨て身な考えでは、その公式は決してあてはまらない。


俺はやっぱり人を大切にしたい。


仲間を大切にしたい。


出会いを大切にしたい。


それが、俺の宝物であり、財産なんだ。


捨て身なモラトリアムを乗り越えて、俺は真に自分を、仲間を大切にしていける人間になりたい。


今、本当に心からそう思う。

俺は世界に一つだけの花になんかなりたくない。


俺は世界でもっともありふれた花になりたい。


そうすればもう少し、人の気持ちが分かる人間になれただろうか。


そうすればもう少し、本当の意味で人にやさしくなれただろうか。


そうすればもう少し、人のやさしさを素直に受け止めることができただろうか。


そうすればもう少し、君を抱きしめていられただろうか。


世界に一つだけの花を目指すあまり、俺は花であることを無視して生きてきてしまった。


世界に一つだけの花を目指すあまり、沢山の花の暖かい温度を感じることができなくなってしまった。


世界に一つだけの花なんてこの世になくていい。


俺らが生まれた場所はみんな一緒。


母なる大地に、母なる海。


母なる宇宙に、母なる銀河。


本当の俺らの母はどこにいるのだろう。


ただいえること、俺らは一つ。


世界に一つだけの花を目指すあまりに壊されてきたものがこの世の中には多すぎる。


世界に一つだけの花を目指すあまりに俺が失ってきたものが多すぎる。


そして今日、また俺から大切な大切なものが失われようとしている。

癒しのないこの小さな世界で俺は今日も生きている


癒しを求め続け、今日も俺は生きている


しかし、癒しが俺の目の前にある現実に遭遇した時、俺がその幸せに足がすくんでしまう


幸せでないことが生きるということ


幸せになってしまったら、俺は俺でいられなくなってしまう


そんな恐怖に俺はおびえて生きている


そして、癒しのない世界で今日も寒さに耐え忍んで生きている


俺は幸せから逃げる


人の本当の暖かさから逃げる


人の本当の暖かさに飛び込む方法が分からないから


俺は幸せからも、人の暖かさからも、今俺が生きている現実からも、この孤独の風吹きしきる寒さからも逃げる


そんな悲しい色に染められたスピード感を持ちながら、今日も生きている

俺の人間力はココ最近でもっとも萎んでいる。


今の俺は自分がかわいくてしょうがなくなってしまっている。


前からそうであったわけではない。


俺自身の自我に揺らぎがあり、まだ未熟であったから、人間力を飲み込まれてしまった。


確かに俺の人間力は花を咲かせることが出来ていたように思う。


しかし、その花は終わることはないと思ってしまっていた部分があったのだろうか。


花も必ず萎むもの。


一つの花が咲いたことに高をくくってしまっていたら、その花を咲かせた木の繁栄はすぐに終わってしまうだろう。


沢山の花を咲かせる為に、常に栄養を取り続け、常に花を咲かせる為に光合成という準備をしていなければならない。


大輪の花を咲かすより、常に小さな花を咲かし続けることのほうがよっぽど難しいことなんだ。


何かの拍子に、自分に栄養を与えることを止めてしまったり、栄養から花を咲かせる為の準備を止めてしまったりしたら、時間差で確実に花は咲かなくなってしまう。


今の俺という木には花は一つもない。


だから一からやり直し。


栄養をたっぷり与えて(知識や経験を積み)、光合成をし(沢山悩み、考えて)、いつか花を再び咲かせることができることを信じて生きていきたい。


花が萎み、なくなっていくのも時間差があるけれど、花を咲かせるのにも時間差が必要なんだ。


今はその準備をしっかりやることが何より大切。

俺にとって心理の勉強をするということは、人への思いやりをもつことができていた証だと思う。

人を思いやるからこそ、勉強は必要なことであった。

ちゃんとした知識と技術を武器に、良い方向へと向かってほしいと願うことが俺の思いやりという心の表れであったように思う。


人を真に思いやるということは簡単なことではない。

俺は人を思いやる心が今なくなってきてしまっているというのを自分自身ですら感じている。

それは、思いやるということがどういうことなのかに気づき、あまりの自分の人間力の乏しさに失望してしまったからだと思う。

俺は、とても小さい人間であった。

俺は俺が結局は一番かわいい偽善者であった。

いままで、自分が自信を持ってやってきたことの裏が偽善のマスクで覆われていたことに、俺自身気づいていなかった。


自分の最低さ具合にほとほとあきれてしまった。

基盤がなければ、知識や技術なんて、使いようのない無意味なものだ。

いや、悪用できる有害なものにすらなってしまう。


だから、俺は整理しなければならない。

自分の中の悪と折り合いをつけて、前へ進まなければならない。

俺の中の悪の根源は根絶できるとは思えない。

俺の中に確実に悪はいる。

だから、それを認めた上で悪、と交渉するんだ。

お前の存在は認めるから、俺の裏にもう隠れないでくれ、と。

悪が常に見えていたのならば、注意しながら物事を進めることができる。

しかし、その存在にすら気づかない時、大腕を振って悪を撒き散らすことになってしまうんだ。


そこと俺は今対峙しなければ、前へすすめない。

そして、それは心理の勉強をする意味や意義すらもてないということ。

つまり、俺のもっとも太い道が滞ってしまっているということ。

なんとかしなければ、なんとか。

なんでこうなってしまうんだろうか、、、

本当は好きな人なのに、、、

俺はどうしても冷たく当たってしまう。

本当は俺が君を守りたいんだ。

俺以外と一緒に過ごしている日々をうれしそうに話す君に俺はそのことを気づいてほしいんだ。

俺を見ようとしていないように俺は感じてしまうから、ふて腐れているんだろう。

ガキの頃となんも変わってないな俺は。


俺は子供の頃、大切な人に見放されるのが怖くて、振り向いてほしくて、いつもふて腐れていたな。

何も、変わってない。

俺の心を動かすのはいつも、道理にかなっていることばかりする礼儀をわきまえた人間ではなくて、俺をむかつかせる、俺を困らせるけど、無邪気で生き生きと生きている人間なんだ。


でも、俺はそんな人間が怖いんだ。

そういう子は気まぐれだから、俺は本気になってしまうのが怖い。

本気になってしまってから、気が変わられるのが怖い。


俺は君と話すと、なぜかイライラしていまう。

冷静に物事を見渡せる自分が壊れていくのが分かる。


でもそれは君を好きになってしまった証拠。

俺はどうしても素直になれない。


俺は君と顔を合わせたくない。

君から俺は逃げたい。


でもそれでいいのだろうか。

好きになった人間から逃げてばかりで、俺は幸せになれるのだろうか。

俺は人をマジで好きになるのが怖い。

まじで好きになったっていうのが怖い。


どうしたら素直になれるんだろう、、、

わかんないや、、、

君に出会ってから、もう2年が経った。

俺は君と出会えたことを自分の中でとても大きなこととして捉えているよ。

前は君の気持ちに素直に答えることができず、今度は俺からの気持ちを君に素直に伝えることができない。

俺は卑怯だって分かってるよ。

でも俺はさ、一生君に素直になれる気がしないんだ。


君のバカなくらい素直に行動するとこや、無邪気に笑う姿や、気まぐれなとこや、情緒不安定なとこが俺は過去のトラウマを思い出してしまう。

なんか書いてて情けないと思うよ。

でも、だめなんだ。


俺がかつて本気で一番愛した子に別れを告げられて以来俺の未来は変わった。

恋によって俺は変わったんだ。

俺の人生が止まりかけ、苦しみ、もがき、もうダメなのかもしれないと思ったときにまた大きく前へ動き出すことができた。


しかし、俺は恋の面ではまだ引きずってるんだ。

もうあれから6年半も経ってるのに、俺は彼女の影を消すことができてない。

俺がほれ込む女の子は自分勝手で決して性格がいいといえる子ではない。

でも、生き生きと生きている、そんな笑顔に俺は幸せを感じる。

そんな笑顔を見ていると、俺は生きていてよかったなって思えてしまう。


でも、俺はその笑顔に裏切られるのが怖い。

俺はもう2度と失いたくないんだ。

死ぬまで失いたくない。

死ぬまで失わないという安心感を得られない限り俺はいくら好きと言われようが、好きと思おうが、そこに飛び込むことはできない。

失うくらいなら俺は平気を装ってでも、狂ってる演技をしてでも、体調が悪いふりをしようとも、何をしようとも君に本当の気持ちは言わない。

苦しいけど言わないんだ。


俺は男と女ってものがそもそも分からない。

なぜ一人の人を愛さなければならないのか、それは種の起源に反してるじゃないか。

人間は社会的な動物だからか。

理性と本能はいつも矛盾ということばの枠にきれいに収まってしまう。


俺はただ君にただ永遠に愛してほしかっただけなのに、、、。

俺はただ君をただ永遠に愛していたかっただけなのに、、、。