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TAKの部屋

ムラムラくんという、よく分からない人がよく分からないことを書くブログです。

ある程度、長く生きていれば、良くも悪くも思い出がたくさんある。

俺にもある。

俺の心に棲むセンチメンタリズムがそうさせるのか、それとも皆がだいたいそうなのかは分からないが、往々にして悪い、悲しい思い出の方が思い出しやすい気がする。

二度と会えないような別れ方をした初めての恋人だったり、10年間を共にしたくせにあっけなく終わった今でも大切なパートナーだったり、心も体も深く傷つけた幼き子であったり、何故か初めて夜を共にした直後にフラれた最後にとても大好きになった子であったり。

でも、俺にも美しい思い出だってある。

悪い瞬間からもたくさんのことを学んだが、素敵な一瞬が俺にくれた自信だって山ほどある。

人生の価値が、人生の善し悪しの差であるのならば、きっと俺はプラスマイナスゼロくらいにはなるだろう。

そしてそこに「他者との比較」という無意味な外的要因まで加えれば、意外と大きくプラスになるのではないかとさえ思っている。

俺より人間的に真っ当で素晴らしく生きている人は数多くいるものの、俺より波乱万丈かつ自由気ままに生きている人はそれほど多くないと思っているからだ。

今の自分の状況を冷静に考えれば大きく反省しなければならないのだが、同時にそれでも昼から酒を飲みつつ生きていられることを幸せに思わなければならないのだとも思う。

そのことだけは、忘れてはいけない。

自分に謙虚にと思いつつも、同時にいい部分についてもせめて自分くらいは認めてあげなければ、と思っているのだ。

ただし。こんな生き方しかできないから、その途中でたくさんの人を傷つけてきた。それも忘れてはいけないのだが。

前回の記事で書いたように、俺は結局たった2ヶ月で新しい職場を辞めた。

そして今は、次の会社への入社準備中である。その職場は念願かなって愛知県かお隣の三重県になる。

俺はそのためにムラムラを捨てたのだ。

6年間付き合ってきて、多くの人に助けられて、人生で初めて見たこともない人に応援してもらうなんていう不相応な幸せまでもらった名前。

それを捨ててまで叶えたい夢。

それがやっと叶うのだ。

俺の思い描いていたタイミングからはかなり遅くなってしまったが、それでもやっと叶う。

だから今は、東京で少しばかり自由に遊ばせてもらっている。昼から飲んだり、野球を見たり。チャンスがあればライブやお笑いにも足を運びたい。

別にいつでも東京に来ることはできるけれど、なんとなく俺はこういう時に「やり残したこと」を探してしまうのだ。

1997年にアイルランドへ向かう直前にも、同じことをした記憶がある。

あの時は浅草の三社祭に行ったり、全日本プロレスを見に行ったり、だった。

そう考えると、本質的に俺はあの頃のままなのだろう。

東京に暮らすのもあとわずか。

ただただ純粋に楽しもう。

その気持ちもやはり、忘れたくないことのひとつだ。
仕事を辞める。会社にそう伝えた。

37にもなったくせに、1ヶ月ちょいで仕事を辞めるってのはどうなんだ。

自分でもそう思う。

でも、仕方がない。37だからこそ、俺には時間がない。信用できない場所に、長居はできない。

大丈夫。こんなこと、過去に何度となく経験してる。

俺は元々が同じホールに毎日通い続ける「ジグマ」スタイルのパチプロだった。でも、そのネグラを決めるまでは何軒もの店で打ち、そして俺に合わないホールを早々に見切ることで、生き延びてきたんだ。

入社1ヶ月で何が分かる?

そう言う人もいるだろう。全体論としてなら、それは確実に正しい。

だが、逆もまた真なり。

1ヶ月でも辞める決断をするほどの会社にしがみつくことが、残り少ない人生において有益とは思えない。

大昔、本当に大昔と言ってもいいほど前、具体的には7年前。俺はこのブログにこんなようなことを書いていた。

「俺にあって皆にないものは、才能や能力なんかではなく『 逃げるコマンドを選択する勇気』だけ」

「アイルランド時代に『人間、そう簡単にくたばりゃしない 』って学んだ」

信じられないほど下手くそな昔の文章を読み返して思い出した。俺はアホなんだ。だから逃げるんだ。逃げ続けてきたから、今日まで死なずにすんだんだ。

37といえば立派なおっさんだ。

でも俺は、まだ足掻き続ける。

名古屋で楽しく生きる、そのためだけに。

何故ならそれは、俺が大切なパートナーと別れてから初めて見つけた「こうでありたい姿」だからだ。

人はそれを夢と呼ぶ。

そして、夢を追う時代を青春と呼ぶ。

俺はまだ、青春時代を生きている。

日本の音楽史上、最高の名曲のひとつだと思っている曲がある。

 
ユニコーンが1993年に発表した「すばらしい日々」。
 
その曲のAメロに、こういう歌詞がある。
 
いつの間にか僕らも
若いつもりが歳をとった
 
転職をして1ヶ月弱。37歳という年齢を思い知らされる、そんな日々を送っている。
 
昔からはるか歳上に間違われた俺からすると、外見はそこまで変わっていない気がするし、クリエイティブかつ無責任な職場にいたからか精神的にもそれほど変化したとは、少なくとも本人的には思っていなかった。
 
それでも、すべてが新しい職場というものは、覚悟や予想以上に疲れるものであった。
 
不満があるとか辞めたいとか、そういうものは違うのだけれどね。
 
37歳とはいえ業界未経験の新人だから、時間的にも内容的にも難度の高いものは今のところやっていない。勤務時間だって編集時代と比べたらはるかに短い。
 
それでも気が張っているからか、ものすごく疲れている。主に精神面が。
 
夜10時ともなれば眠くなり、11時を迎える前に寝落ちする。そんな日々を送っている。
 
体力の衰えを痛感するばかりだ。
 
業務的にもそうだ。できる・できないとは別の次元として、柔軟性がないなぁ、そんな感想を毎日持っている。
 
周りには覚えるのが早いと言ってもらえるが、それは過去の経験で誤魔化しているだけ。別業の経験を流用しているだけ。
 
中身の伴わない「誤魔化し」だから、スタートダッシュはよくてもすぐに貯金を使い果たすだろう。そのあと、どういう評価をされるのか、少し怖いと思っている。
 
そんなことより。
 
普通に過ごしているつもりなのに心も身体も疲れていて、早い時間に体力が尽きてしまう。この感触、どこかで味わったことがある。そんな気がずっとしていた。そして、思い出した。
 
そうだ。1997年末~1998年始にかけて、初めて長期のホームステイをした時に味わったんだ。
 
同じアイルランドでの生活でも、日本人学校での寮生活とホームステイは大きく違った。当たり前だが飛び交う言葉はすべて英語だし、生活サイクルもアイルランド風のそれだ。
 
とても優しいアイルランド人の気性のおかげで生活に不自由はなかったし、ホームステイをやめたいなんて考えなかったが、それとは別次元でものすごく疲れていた。
 
当時はそれなりの英語力があったと思うけど、それでも
 
●英語で話しかけられる
●その英語の意味を把握する
●そして対応する言葉を英語で返す
●「会話」だからそれを瞬時にこなす
 
こんなことをずっと繰り返していれば、そりゃあ疲れるだろう。
 
あの頃も不思議と夜10時過ぎには眠くなっていたものだ。
 
ただ、結局のところそういう経験が過去にあるから、今普通に生きていけるのかもしれない。
 
だって17歳で外国で、それでも楽しく生きられたんだ。37歳という大人でしかも日本なのに、この状況で楽しく生きられないのだとしたら、それは俺自身が劣化(老化)したということ、そしてそれを認めることになってしまう気がする。
 
もしかしたら既に劣化しているかもしれないが、まだ俺は認めていない。抗うだけの気持ちは残っている。
 
仕事を辞めることを決めた時に周りの仲間に言われた。
 
「勇気、ありますね」
 
でも俺としては、16でアイルランドに行くという選択をしたあの時以上に勇気を試されるシチュエーションは、きっと人生でもうないと思っている。
 
あの時。具体的には、1997年5月25日。
 
親と別れ成田空港の出国ゲートをくぐったあのタイミング以上に心細くなることは、もう、ない。
 
あれは俺にとって人生最高の経験だった。
 
「普段なら絶対にやらないこと」をすること。それが経験だ。
 
経験を得るということは
●人生が変わる
もしくは
●人生の選択肢が増える
そのどちらかが付随してくるものだと思っている。
 
俺は幸いなことに周りのみんなのおかげで、たくさんの経験を積ませてもらった。だからね、大丈夫。
 
来週からは大阪暮らしだ。
 
心構えとしては、ただひとつ。
 
楽しく暮らそう。楽しく酒を飲もう。
 
それが俺なりの「すばらしい日々」だから。