今年最後の 『鉄道』 関連 のBlog更新と参ろう。
ここ最近の鉄道各社に於いて、
耐用年数が限界値に到達した車輌の置き換え が、
目立って多くなって来ている。
特に JRの前身である旧国鉄(JNR)時代から引き継がれてきている、
車輛の淘汰 が目立って増えてきた。
そういった逆風の最中、嘗ては東北線の在来特急列車の全盛期、
花形として上野-仙台を走った 『ひばり』 型 の車輛であった485系。
これを改造した車輛が、先般10月10日を以って全ての運行を終え、
東北から遂に姿を消した。
《昭和53(1978)年09月、旧国鉄(JNR)仙台駅》
東北新幹線が登場するまで一時代を築いた、
言わば在来特急列車の花形 でもある。
485系型電車は、昭和39(1964)年に登場し、
交流、直流の各電化を問わず、
全国の電化区間を走った優等列車である。
当初は西日本の交流60Hz用の481系型電車、
東日本の交流50HzHz用の483系型電車に分かれ、
これに両周波数に対応したのが、
485系に発展し登場した車輛である。
(特急 『やまびこ』 号運行開始を祝い、
花束贈呈を受ける車掌ら。)
《昭和40(1965)年10月01日、旧国鉄(JNR)盛岡駅》
(国鉄のダイヤ改正を前に、昭和40(1965)年09月05日、
地元各紙に掲載された時刻表。
平駅 は現 いわき駅 《常磐線》 、
尻内駅 は現 八戸駅 《青い森鉄道線》 を指す。)
東北地方では昭和40(1965)年10月、
東北線 仙台-盛岡の電化に合わせて運行を始めた。
上野-盛岡の 『やまびこ』 1往復、
上野―仙台の 『ひばり』 2往復で、
『やまびこ』 は7時間10分、
『ひばり』 は4時間35分で走破 した。
昭和42(1967)年10月からは一部の列車が、
東京駅まで乗り入れる様になった。
東北線全区間の複線電化が、
昭和43(1968)年10月《ヨン・サン・トウ》 に完成して、
最高時速が120km/hに上がり、
上野―仙台間は3時間53分に短縮 された。
その後奥羽線や磐越西線の電化が進み、
上野と会津若松、山形を結ぶ 『あいづ』 、 『やまばと』 にも導入 された。
当時は労使間の対立が激しく、
安全確認を理由にした順法闘争やストライキで運休や遅れが頻発。
運賃や特急料金の引き上げ、航空運賃の引き下げ、不況なども重なり、
逆に乗客離れを招いた。
下りの特急 『ひばり1号』 。
「春闘勝利」 などのビラが車体に貼られている。)
《昭和48(1973)年04月24日、旧国鉄(JNR)仙台駅》
《昭和50(1975)年02月03日》
昭和53(1978)年10月には、
平仮名とローマ字だけだった先頭のヘッドマークを、
イラスト入りに刷新した。
当時の記事によると、ひばりの場合、
左下は黄地に麦穂、右上は青地に白の雲雀(ひばり)、
中央に仙台七夕の吹き流しを配(あしら)ったと言う。
左から時計回りに上野―仙台 『ひばり』 、上野―山形 『やまばと』 、
上野―仙台(常磐線経由) 『ひたち』 、上野―会津若松 『あいづ』 )
《昭和53(1978)年09月19日、旧国鉄(JNR)仙台運転所》
主戦場は新幹線に接続する青森行 『はつかり』 、
秋田行 『たざわ』 に移った。
(試運転中の東北新幹線と並走する特急 『ひばり』 号)
《昭和56(1981)年》
《昭和63(1988)年03月、JR盛岡駅》
東北新幹線の八戸、新青森開業で、
新型車両への置き換えで徐々に数を減らした。
平成28(2016)年03月の北海道新幹線開通に伴い、
新青森-函館間の 特急 『白鳥』 が運行を終え、
遂に定期特急としては走らなくなってしまった。
一線を退いた車両は平成02(1990)年代以降、
団体用のお座敷列車や観光列車に摂って替わり、
大型観光キャンペーン 『いわてデスティネーションキャンペーン』
が展開された2012年、リゾート列車 『ジパング』 号 として登場。
週末を中心にJR東北線一ノ関-盛岡を走った。
《令和03(2021)10月02日、JR常磐線 山下―浜吉田》
先頭の2両はお座敷車両、中間2両は、
『白鳥』 で走っていた車輛をそれぞれ改装し、
世界遺産 「平泉の文化遺産」 の、
紹介コーナーや展望席を設けた。
平成30(2018)年12月には、第3セクター・阿武隈急行の、
全線開通30周年記念列車として乗り入れた。
臨時列車としては、岩手県外及びJR以外を走った事もある。
しかし車輛登場から既に57年の年月が経過し老朽化しているため、
先般10月10日の最終ツアー客を乗せて、
一ノ関-盛岡を1往復し、運行の役目を終えた。
同車輌はその後は廃車となり、
残る485系型車輛は、群馬県高崎運転区基地に配備されている、
お座敷車等12輛だけになる。
東北新幹線開通前の在来線特急全盛期で、
正に花形と言われてきた485系型電車。
嘗ては首都圏と東北を結ぶ大動脈として活躍し、
その後新幹線開通によって次第に活躍の場を追われ、
イベント専用の列車に衣替えし耐用を更新しつつ、
今日まで生きながら得てきたが、残る高崎運転区の12輛を残し、
東北管内からは全て姿を消し、
半世紀以上に渡る輸送の歴史に幕を下ろした…。
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JG7MER / Ackee