2002年の三沢光晴 | 川崎チャーのブログ

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映画、(特に007シリーズ)、プロレス、特撮、芸能人等の思い出や出来事を中心に書いていきます。その他にカレー、あと、どーでもいい話も含む(笑)。


「お前は怒ってるか!」


「怒ってますよ!」

「誰にだ!?」

「全日本に行った武藤にです!」

「そうか…お前はそれでいいや」(観客・笑)


プロレスファンには有名な “猪木問答” といわれてるアントニオ猪木と中西学との会話だ。



特に鈴木健想との会話は有名になってるよね。 



「僕は自分の明るい未来が見えません!」



「見つけろ、テメエで!」(観客・爆笑!)



そもそも猪木さんをリング上に招いたのは蝶野正洋だ。


当時、PRIDEやK-1がイケイケだった時期で、迷走してた新日本に対して蝶野選手は「ストロングスタイル(プロレス)は俺たちで守る!」ってなセリフを猪木さんに期待してたそうだ。



そんな蝶野の甘い思惑は外れ、猪木さんから「お前が現場を仕切れ!」的な発言に一瞬、愕然とする蝶野…(その後、瞬時に「俺が現場責任全てを俺が全部やりますよ!」と切り返した蝶野選手も凄い!)



このグダグダの展開の数ヶ月先にはに5・2東京ドームを控える新日本。



武藤敬司が新日スタッフ数名と全日本へ移籍してしまい、ほとんどドームの対戦プランも何も無い状態の時に蝶野選手はNOAHの三沢社長に連絡して「俺と戦ってください」とドーム参戦を依頼したら、なんと、30分後には「いいよ」と返事が来たらしい。


この三沢社長の決断に蝶野選手はあの時の恩は忘れないと語ってた。


三沢さんはやっぱり男気があってカッコいいと、こういうところがプロレスファンに慕われるんだよなぁ!




かくして5・2東京ドーム大会は無事に開催された。




5万人以上の観客を集めて蝶野正洋vs三沢光晴のドリームマッチのゴングが鳴る!



しかし、蝶野選手はバックヤードでは現場プロデューサーとして忙しく動き、とてもコンディションを整えるどころではなかったとの事。



まともなトレーニングも出来なかった蝶野選手を試合前の裏方で三沢さんが「蝶野も大変だな…」と言うような目で蝶野選手を見て、この人は自分の苦労を分かってくれてるんだなと感じたそうだ。






試合はベストから程遠い蝶野選手に合わせるかのような三沢社長の思いやりを感じる試合内容に見えたね。





それでも必殺のエルボーは容赦なく連発して、






蝶野選手はかなり意識が飛んでるように見える。






途中、苦し紛れか頭脳プレーなのか、試合途中で蝶野はセコンド陣にトップロープを外させるよう指示を出す。





その時の三沢さんの頭の中は…「?」



これは空中殺法の得意な相手の動きを封じ込める作戦だったかな?




後半には三沢さんは猪木さんの新日を意識して卍固め、




逆に蝶野選手はG馬場さんの全日本を意識して河津落としを、それぞれに決める場面がファンを喜ばせていた。






蝶野はあの日、もし三沢光晴が新日本のリングに登場しなかったら、東京ドームの日程をキャンセルしなければならない可能性があったかもしれないと、回想してた。






新日本、全日本、NOAH関係なく、まさにあの時業界のピンチを救ったのが三沢さんであったとも語ってた。





やっぱり三沢さんは器の大きい存在だな。



オレも少しはあやかりたい(ムリムリ…笑?)



そして、その1年後には蝶野正洋vs小橋健太のドリームマッチが東京ドームで実現!!



試合の方は、





もう体力的には下り坂でボロボロの蝶野に対して、時のGHC王者、鉄人小橋がハーフネルソンスープレックス6連発で蝶野に完勝。




試合を観てた三沢さんが呟いた、、、



「小橋は非情だな…」



たしかに三沢さんなら性格的にこういう試合はやらないだろうね(川田戦は別として…苦笑)?



そんな本日は6月13日は三沢光晴さんの命日。



一年、一年があっという間に過ぎて行く。。。