明治から大正時代にかけて、神戸に
鈴木商店という巨大企業があったことをご存じ?
鈴木商店(すずきしょうてん)は、かつて存在した戦前の日本の財閥、商社。樟脳、砂糖貿易商として世界的な拠点網を確立するとともに、製糖・製粉・製鋼・タバコ・ビールなどの事業を展開。さらに保険・海運・造船などの分野にも進出し、ロンドン・バルティック取引所で日本企業として2番目のメンバーとなる。
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この総合商社を作り上げたのが
土佐の偉人・金子直吉さんであり、大番頭としてその商才をふるった。
大正7年、一介の商店から三井・三菱と並ぶ大商社に成長した鈴木商店は、米の買い占めを噂され折から起こった米騒動の群集の焼き討ちにあった。第一次大戦による好況から戦後の不況へ、そして昭和初頭の恐慌に至る激動の時代に諸悪の根源と指弾された同店の盛衰とその
大番頭・金子直吉さんの劇的な生涯を描いた作品だ。
城山三郎さんの「鼠」である。
しかし、ネズミは1匹も出てこない(笑)直吉さんの俳号が「白鼠」だったことからこういうタイトルにしたという。
この作品の中で、作者の緻密な調査に基づき、鈴木商店の米の買い占めなどしていない、その濡れ衣が判明している!というか、むしろ時の政府に協力して、米価の安定に寄与しているのだ。
もともと、国がやらないことをやろう、工業立国をかかげ、煙突男とまで言われて起業してきた大番頭である。
なんと、仁淀川町の生まれであり、高知で育ち、
貧乏ゆえ学校へも行けず、質草の本を読みまくり勉強したという。
土佐の偉人・金子直吉さんのことがよくわかる一冊です!
これは、オススメです。
こんな企業・鈴木商店があったことを、いまこそ知ってほしい。
金子直吉さんという人物が土佐人だということを知ってほしい。
金子直吉さんとは
慶応2年(1866年)、高知県吾川郡仁淀川町(旧名野川村)で商家の子として生まれ、丁稚奉公から身を起こし、神戸・鈴木商店の「大番頭」として大正時代には三井・三菱財閥をしのぐ規模の企業グループに拡大させ、財界のナポレオンとも言われ、鈴木商店を世界的な「総合商社」にまでした実質的な経営者でありました。昭和2年の金融恐慌で市場から退陣していますが、「帝人」や「神戸製鋼」など、多くの企業群は現在でも第一線で活躍しています。
また、金子直吉は、そうした数多くの企業を創業する一方、私財を費やして多くの企業人を育成し、さらに、比類なき主家に対する忠誠心の高さや私生活における無欲恬淡な人でもあり、彼の企業者活動は高く評価されています。
城山三郎さんの肉声による
金子直吉論はここ☆
2016年10月10日は
仁淀川町で金子直吉生誕150年記念イベントがあります!
SEE YOU!