戦国土佐講演会 | がんばる地上の星たち!高知と松山のまんなか・仁淀川町

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土佐の山間・仁淀川町(によどがわちょう)の(元)地域支援企画員の日記!

さて、高知県には武田勝頼にまつわる伝説がある。

武田勝頼を知らない?

武田勝頼は戦国武将であり、武田信玄の四男であり、武田家最後の当主である。
わからない人はちょっとググッてみて下さい。

さて、私は今となっては、その武田勝頼伝説が残る仁淀川町に本拠を置く
武田勝頼土佐の会のメンバーなんであるからして、今後の活動については知恵を出さなくてはならない(^^;;

そもそも、武田勝頼の土佐での伝説ってのは、戦国時代末期に武田家が滅び、つまり、武田勝頼も自刃したのが定説なんだが、

なんと!

はるか、かなたの土佐の、それも
高知県仁淀川町大崎地区まで落ち延び、64歳まで生き、墓まである。
しかも、しかも、同町内や周辺の町などに武田家、勝頼を示すゆかりの史跡や伝承が今に残されている。
まあ、簡単に言うとそういう感じである。定説でなく逆説なんである。

武田勝頼土佐の会はあくまで当地に残るこの伝承、伝説をもとに地域活性化を目指す民間有志の任意団体であります。

基本、世界平和を目指している(^_^)

結成から8年ほど経過したし、そろそろ活動自体に喝を入れなきゃいかん時期かもしらん。
まあ、近くはホームページをリニューアルする計画も有るが、今一度、この伝説を知ってもらう機会が必要だ。また、来季は歴史博イベントもあるので、勝頼か生きたどあろう
土佐の戦国時代
にも光をあてていきたいと勝手に思うところである。せっかく作ったキャラ「かつよりくん」の出番も少ないし。

しかし、土佐の戦国時代は最終的には長宗我部元親が統一したが、それまでは数多の城が築かれ、主要な豪族としては他に七氏族が跋扈したという。
一体、どんな状況だったのだろう?
とても気になるし、当時の民衆の暮らしや文化はどんなだったろう。


それらを知ることができれば、高知県の観光、ガイドも厚みと個性を持ち、土佐の街歩きも楽しくなるに違いないと、これまた妄想してしまう(^^;;


だから、武田勝頼土佐の会で
戦国土佐講演会 
なんていうものを企画し、歴史家や各種団体とかと連携して、この多様な土佐をカタチ作った歴史を紐解き合いして、高知を盛り上げていこうではないか(=゚ω゚)ノ



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あ、そういえば、台風13号なんてのが接近中だ。


SEE YOU!