それは
土佐に残された武田信玄は四男の勝頼が
なんとこの土佐に落ち延びたという伝説
を根拠に地域活性化に立ち上がった住民団体
である。2008年10月活動スタートであった。
その活動のこれまでの軌跡を追ってみる
ブログシリーズ!
時は会の結成から約1年後の2009年9月である。
10月に開催される勝頼没後400年祭イベントへ向けた
準備をしていた。
これは、そのイベント・ポスター!
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20130912/21/sup2410/60/00/j/o0600085112681445121.jpg?caw=800)
スタッフの岡林誠君のデザインによるもの。
なかなかカッコイイ!今見てもGOODだ!
そして、今回のイベントのステージは大崎八幡宮の境内。
勝頼建立といわれる場所で、1609年、64歳で亡くなったという
勝頼を偲ぶイベントである。
きっと賑やかな、文化芸能を好んだと思われる勝頼さんに
ちなんだ取組である。
なかでも、その準備が素晴らしい!
勝頼はここ、仁淀川町大崎地区では、昔より「玄蕃さま」として
あがめ祀られてきたのだ。
そして、毎年、「玄蕃まつり」をここ、大崎地区では開催されてきたという。
祭りのシンボルはこの花台。
地区の人たちはこの花台の周りで受け継がれた踊り「玄蕃踊り」(手踊り)を舞うのである。
現在では、玄蕃踊り保存会の皆さんが受け継いでいる。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20130912/21/sup2410/23/52/j/o0600041912681452771.jpg?caw=800)
写真はおそらく昭和50年代ごろのものか。
しかし、この祭り自体絶えて久しいという。。。。。
とにかく、あの時、なんと!その花台設置を
26年ぶりの復活しよう!
となったのだ!
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20130912/21/sup2410/ec/8a/j/o0600040312681445122.jpg?caw=800)
境内の隅にある小屋にバラバラになっていた部材をかき集め
ああでもない、こうでもないと当時に記憶を頼りに、大崎地区の
みんなが花台の組み立てに一致団結した!
部材に書きこまれたナンバー、記載がヒントになって少しづつ組み上がっていく。
なんという住民パワーじゃ!
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20130912/21/sup2410/c7/16/j/o0600040312681445123.jpg?caw=800)
しかし、これがけっこう手間取った。
なかなかうまいこと行かなかったが、ついに。。。。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20130912/21/sup2410/10/00/j/o0600089412681445124.jpg?caw=800)
すこしづつ姿が現れてきて、
手伝っていた手を休めて俺もぼ~っとなった!
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20130912/21/sup2410/5d/9e/j/o0600089412681459928.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20130912/21/sup2410/52/62/j/o0600040312681459926.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20130912/21/sup2410/d0/00/j/o0600089412681459927.jpg?caw=800)
ついに
完成を見たのだ。
仁淀川町大崎地区の皆さんにとっては感慨深いものであろうなあ。
しかし
巨大であった!
その後、イベントの10月になり、飾りつけを終えると
さらにかっこよくなって
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20130912/21/sup2410/1a/73/j/o0600089412681459929.jpg?caw=800)
イベント当日は
秋の夜に浮かび上がり
とっても美しかった!
今でも忘れない!
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20130912/21/sup2410/78/9d/j/o0600040312681460182.jpg?caw=800)
祭りのシンボル
完成である!
どうだ、まいったか的にすごい!
さらに続きます!( ̄▽+ ̄*)
つづきはこちら
SEE YOU!