勝頼伝説アーカイブス(2)没後400年祭、手踊りサミット! | がんばる地上の星たち!高知と松山のまんなか・仁淀川町

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土佐の山間・仁淀川町(によどがわちょう)の(元)地域支援企画員の日記!

仁淀川町の武田勝頼土佐の会
それは
土佐に残された武田信玄は四男の勝頼が
なんとこの土佐に落ち延びたという伝説
を根拠に地域活性化に立ち上がった住民団体
である。2008年10月活動スタートであった。

その活動のこれまでの軌跡を追ってみる
ブログシリーズ!


前回までのブログはここ↓
勝頼伝説アーカイブス(1)没後400年祭、花台復活!


前回の花台復活の記録はこのイベントのためだったのだ。
2009年10月に開催した
武田勝頼没後400年祭 大崎・秋の陣!

土佐、この仁淀川町大崎地区には戦国末期に
あの武田信玄の4男で後継者である勝頼が
甲斐より落ち延び、そしてここで64歳で亡くなるまで
生きたという伝説がある。
武田勝頼土佐落人伝説
である。

同会の結成のきっかけともなった、この没後400年の
イベントはこの2009年の夏の陣イベント、そしてこの
秋の陣イベントとして具現化したのだった。

この基本コンセプトは、勝頼公はきっと、「玄蕃踊り」という
くらいだから、文化芸能好きの人だったと推定し、このイベントも
賑やかに太鼓合戦や手踊りの秋祭りにしようと1年ほど前から企画
準備を進めてきたものだった。





さて、今回のブログでは

このイベントの中枢ともなっている
手踊りサミット
について当時の画像とともに書いてみます。

「手踊り」というのは、まあ言うと「盆踊り」である。
しかも、この広い仁淀川流域には複数の異なる、しかし似た
手踊りが各地に残されている。仁淀川町、越知町、佐川町、
日高村、いの町。。。。。

今回はイベントに先立ち、それらエリアにいまも細々と存続/保存
されている手踊り団体に呼びかけ、今後の保存・発展につなげて
いこうと集まり、結束を固め、また披露しようというものである♪
6団体が集結してくれたのだ。
こうして、始まった「秋の陣」手踊りサミット!!

秋の夕暮れにそよぐ爽やかな風とともに!





まずは
仁淀川町の
「大崎玄蕃踊り保存会」の皆さん。
武田勝頼土佐の会のメンバーも会員も兼ねている。

ついでに、このイベントでのPRポイントは

昭和52年に大崎八幡宮氏子達で結成した「大崎玄蕃踊り保存会」です。踊りは天正14年6月15 日、武田勝頼(変名大崎玄蕃)が大崎八幡宮を建立したとき踊ったとされる踊りで、近世では毎年旧暦の 8月28日に行う「玄蕃祭」の時、地域の若者が中心に祭りを行ってきました。昭和58年に「花台」を建 てて行ったのが最後で、玄蕃祭の時、境内で有志が細々と踊りを受け継いで行ってきました。今年は26 年ぶりに花台を建てての踊りが出来ることを誇りに思います。





演目は「コリャセ」、「マンザイ」である。


昔はこうやって、花台の周りを踊ったという。







つづいては
佐川町の尾川地区から
「尾川地区活性化協議会」の皆さん!
演目はこりゃせ、千本、絵島、シャリトテ、まんざい。

協議会は、尾川地区全体の活性化や地域づくりのために「ふれあいの里・尾川」を拠点として活動し ています。現在、会員は61名となっています。






尾川地区は、今でも毎年10月に「尾川まつり」で舞を
披露していると聞いていますよ。ヾ(@^▽^@)ノ




そして、
3番目は
いの町柳野地区から
「柳野農年踊り保存会」の皆さん。
演目は「コリャセ」「マンザイ」。

柳野豊年踊りは800年の歴史があるといわれ、壇の浦の戦いに敗れ落ち延びた安徳天皇を慰める為に始まったものとされています。毎年、旧暦の9月8日に青年団を中心に行ってきたが、踊り子も高齢になり、しばらく休止としていたが、平成9年に24年ぶりに復活させることがで きました。






おお、だんだんといい感じに宵闇が。。。。




さらに
4番目は
佐川町の
「瑞応の盆おどり保存会」の皆さんだ。
たしか、県の無形文化財にも指定されている。
演目は「コリャセ」「マンザイ」だった。


当時のPRコメントは
400年以上も毎年かかさず踊ってきました。戦争の時も踊っていたそうです。今になり、踊り手も若者 が少なくなりましたが、黒岩中学校の生徒さんが毎年、運動会で踊ってくれます。この踊りは、瑞応寺に あります薫的和尚と理春尼という尼さんを弔うためものものであり、豊年踊りとしても踊っています。
毎年、8月16日が祭日となっており、この日も遠路からも参拝に詣でてくれ、たくさんの人たちでにぎ やかになります。毎年、いろいろな所にも踊りに行っておりますが、今年は佐川中学校の落成に披露さ せていただきました。






会場周辺はすっかり日が暮れて、いい雰囲気になってきた!




5番目は地元仁淀川町は池川エリアから
「狩山豊年踊り保存会」の皆さん。
演目は「コリャセ」「千本」「絵島」「マンザイ」「ヨサコイ」「甚句」。

狩山豊年踊り􏰁、昔、地区􏰀神社でそ􏰀年􏰀豊作を祝い踊っていたようで、住人も少なくなり消えて行くような時に、途絶えてはけないと狩山地区住民で平成11年11月に狩山豊年踊り保存会を結成しました。







仁淀川町の池川の夏祭りでも踊っていましたね。





本当に仁淀川流域は素晴らしき文化が残っていると感心する。
ココまで聞いてきて、楽曲は似ているが、踊り自体は微妙に
違いながらもほとんど同じ演題である。


さあ、サミットのラストは
日高村から
「紅葉会」
演目は「じんく」「マンザイ」「日高安来節」。

この踊りの起源は、今から半世紀余り前に、豊年踊りのすべてが手踊りであったので、何か変わった踊りにし てみてはどうかということで、当時の先輩が考え、振りを付け、姿を工夫し練りに練った末に出来た􏰀がこの泥鰌 (どじょう)すくいでした。
衣装もこの踊りにマッチした小意気で粋な構え、どこか土の匂がする中に清純さを感じる 踊り姿は見る人の心を奪って大変な人気でありました。 






日高の紅葉会さんはとってもユニークだったなあ♪


そして、サミットのしめくくりは
この花台の周りで一斉に踊り舞うのだ!
こんなことができるのも
この仁淀川流域のなせる技じゃ!









こうして、武田勝頼土佐の会主催の
勝頼没後400年祭、秋の陣
手踊りサミット
の夜は、皆の脳裏にある記憶となって残ることと
なったのである。


武田勝頼土佐の会は
たんなる歴史伝説のグループではなく
歴史と文化は、伝説は地域に一体的なものとして
大きなネットワークづくりへ活動のを広げて行く。




SEE YOU!