先日、仁淀川町の北部
用居地区を訪問しました。ここは、かつての松山街道の番所もあった土佐藩における交通の要所でもあったところです。
かつては、小学校も中学校もあったのである。人口も多かったようです。
とはいえ、それは藩政時代は100年以上も昔のハナシで
中学校などの学校も10年以上前になくなったそうです。
今では過疎高齢化の著しい地域です。
しかし
いろんなものが残されていて、きっと歴史の産物です。
地域で大切にしてきたのです。
神社はその象徴ですね。
長州から来た大工集団がまず最初に土佐に入ったのは
きっとこの用居エリアではなかったのでしょうか。この神社も彫刻がすばらしく、たいへん豪壮なつくりです。
参道の路面にはこんな石を張りめぐらせています。
なんだか、おもしろいです。小さい石を使っているところが。(‐^▽^‐)
神社内部に目をやると、絵金?
なんとも言えない絵です。ちょっと怖い感じで、高知県香南市赤岡にある絵金のような感じの絵馬です。しかも、たくさんある。
その他、樹齢何年じゃ???
というような巨木の杉があります。下部の幹周りもどでかい!
苔むして、年代を感じます。
おお~ (ノ゚ο゚)ノ
境内への入り口によくあるコマイヌさん。
裏側の石の彫り物がかわっている。この画像の右下のほう。。。
人の顔らしきものが ( ̄▽+ ̄*)
なんか
すこし
アラビア~ンな感じがするのですがね~ ∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
ちょっと不思議。
SEE YOU!