恋し、こがれたインドの染織 大倉集古館 | sunshineのブログ

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布や手仕事好きなので行って来ました。

以下は私のメモです。

ブログにあげるような内容ではないのですが

とりあえずのノートです。

 

 

掛布(部分)」(コロマンデール・コースト〈インド〉、18世紀後期、手描染、媒染、防染/木綿

 

 

 

第1章:ヨーロッパに渡ったインド布とその展開

かつて植物繊維である木綿に美しい色を染めることは難しい技術で

17世紀以前に赤や黄色を鮮やかに発色させ、

さらに洗っても色落ちしない布を作る技法をもつ国はインドだけで

その美しい発色と色落ちしないインド布は

特にヨーロッパの上流階級に大きな影響を与えました。

1498年、ヴァスコ・ダ・ガマがアフリカ最南端を経て、インド航路を開拓すると、

ヨーロッパの列強の国々は宝石や香辛料、綿を目的にインドを目指しました。

インドの上質な布の多くはヨーロッパに渡り、

美しい色彩でエキゾチック、しかも色落ちもしない布として人々を魅了しました。

ヨーロッパ向けに作られた豊かな色彩で、

エキゾチックな柄のパランポールと呼ばれる捺染布(なっせんふ)をはじめ、

1枚作るのに最低3年はかかるといわれる繊細なカシミヤ山羊の毛で織られたショールなど、

インドとヨーロッパとの関係の中で作られた様々な布が展示されていました。

 

特にカシミアでおられたショールの裏側が展示されていましたが

なぜ3年かかるのかが分かる、細かい手作業で模様を紡がれていました。

(編み物の編み込みをする時に、きちっと糸を渡さなければヨレになり、

糸がタブレば布に張りがなくなり、だらしない印象になるので

その配分が難しいですが、緻密な作業で構成されていました。)

ここでは裏を展示することで素晴らしい手仕事がわかり勉強になりました。

 

インドで作られた作品を模倣して

イギリス製やフランス製のジャガード織なども展示されていましたが

イギリスやフランスでは自国の繊維業界との競合を避けるために、

インドの捺染布の輸入と使用の禁止令が出るほどでしたが、

その効果もなくヨーロッパ中に広まっていきます。

しかし、18世紀初めにイギリスのランカシャーで、

機械織の綿織物が発明(産業革命の発端)されると、

今度は機械織の安価な綿製品がインドに流入するようになり、

インドの綿織物工業は打撃を受けて衰退していきます。

 

だた作品を比べて展示されているのを見ると、明らかに違いがわかります。

本家本元インドのカシミアで作られた作品は光沢が違いました。

そして機械織は布に味わいがないですが

手で紡いだ布には味わいがあって、ふんわりと優しい雰囲気が漂っていました。

機械織の模様はいかにも、判で押したような感じがしました。

(リバティプリントや、プロバンス生地の原型でしょうか)

 

 

インドの木綿モスリンやカシミヤの織物は17世紀後半からヨーロッパへ輸出され、

19世紀初めには、

モスリンに美しいチカン刺繍を施して、仕立てたドレスにカシミアのショールを羽織るのが

ヨーロッパの貴婦人に流行したようです。

チカン刺繍の中でも特に熟練の技が必要な、

花やペイズリーを縁取る楕円形の刺繍であるファンダや

生地に穴を開けて網目状にするジャリ、

と呼ばれる技法を駆使したドレスはとても素敵です。

イギリス映画(高慢と偏見やテスなどを見ると、

モスリンを着ている中産階級以上の女性が出て来ますが、

寒いイギリスでどうしてこのような服装なんだろうかと思っていましたが、

あの薄いモスリンの上にカシミアのショールを合わせるのが流行だったとは新たな発見です。


カシミールショールは、カシミヤヤギの毛で作られた糸を染め、

たくさんの色糸をトジリと呼ばれる木管に巻き、

つづれ織で文様を織り出します。

複雑な文様を織り出すため、

1枚作るのに3年間かかる大変手間のかかる高価なものもありました。

 

しかし、産業革命によって、18世紀終わり頃から、

カシミールショールを模造した機械織(ジャカード織)がイギリスやフランスで量産されると、

手間がかかるカシミールショールは競合できず、

19世紀末には消滅してしまいました

 

作品はこんな感じです

《ショール》 (部分)、カシミール(インド) 、1850~70年代、綾地綴織/羊毛

《掛布》(部分)、ヨーロッパ、 19世紀初期、凸版ローラーによる加彩/木綿

《倣 カシミールショール》 (部分)、フランス、19世紀中期、ジャカード織

 

 

第2章:東南アジア、ペルシャ、日本へ渡ったインド布とその展開

インド布は中東やアジア圏へと渡り、さらに各地で模倣され、

インドネシアには、日本では「更紗」の名で知られる捺染布をはじめ、

族長だけが所持することができた、

不思議な力を持つとされる絹絣「パトラ」などが伝わりました。

また、インド東海岸のマスリパタム産の「ペルシャ更紗」は

イスラム教徒が礼拝の際に敷く布として使用されました。

「更紗」だけではない中東やアジアへ展開した布を展示していました。

 

インドネシアに輸出した捺染布はスリランカ産のものもあり

ヨーロッパにない象徴的な紋様が多く用いられていました。

パトラ 絹絣 富と吉祥の象徴

ハート型の葉 菩提樹

蓮の花 聖性と豊穣

 

ペルシャ更紗は全てがマカリパタム産で、

デザインの多くはモスクなどイスラム風のモチーフが用いられていました。

 

ジャワ更紗は、藍色と茶褐色が多く用いられていました。

 

日本にも江戸時代には、オランダを通じてインドの捺染布が伝わりました。

加賀藩前田家のような大大名や

堺の商人などはオランダ商館を通じて

インドに独自のデザインを発注しました。

大変高価だったのでで、茶道具の仕覆や帛紗や煙草入れといった小物に使われました。
捺染の技術が導入された江戸時代後期には、

鍋島藩、天草藩、堺や京都などで、顔料を型染めする「模倣捺染布」が作られるようになりました。

しかし、インド布のように美しい発色を再現することはかなり難しかったようです。

 

前田藩に伝承する布には

捺染布に上から箔を施してありました。

 

作品はこんな感じ

《儀礼用布》(部分)、グジャラート州(インド) 、 18世紀後期、手描染、木版捺染、 媒染、防染/木綿

《儀式用被布、パトラ(絣織)模様》(部分)、グジャラート州(インド) 、19世紀中期、木版捺染 /木綿

《礼拝用敷布》(部分)、アンドラ・プラデッシュ州、マスリパタム(インド)、19世紀末、木版捺染、媒染、防染/木綿

 

 

第3章:インド国内で使用された布

王侯貴族用や寺院の荘厳や儀礼用を中心とした、現在に残る貴重なインドの布を紹介されていました。

今では技法さえわからないほどの複雑な絞り染めのターバンや

(これは入り口中央に展示されていましたが、

色とりどりのターバンがそよそよととても美しかったです)

上質の木綿モスリンをはじめ、

絹地に金銀糸を織り込んだ金銀糸織など、

インド染織の幅広さや奥深さを味わうことが出来ました。

 

被布(かつぎぬの)と呼ばれる布は、モスリンに金の縫取織で宮廷の女性が使用していたそうです。

ジャムダニ織は 透し織です。

 

キンカブは縦糸絹、緯糸木綿、で金銀をふんだんに織り込んだ緯浮織(よこうきおり)

インド布の中で最も豪華で華麗な織物です

 

ミシュリューは縦糸に絹、緯糸に木綿をもちい

イスラムの伝統で繭の中の幼虫を殺して作られた絹糸を肌に直接つけないようにする

技法です。紋様の出る表面は光沢のある美しい発色の絹で

現在ではカッチ地方にある一軒のみで作られているそうです。

白と緑の縞の布でした。

 

牛くん用の掛布とかもありました

《牛用掛布》(部分)、グジャラート州(インド)、19世紀前期、縫取織/絹、金糸、銀糸

 

全て撮影禁止なので脳内で記憶するしかなく

とても残念です。文字だけで表現する難しさってありますね。

以上メモでした。

 

良いお天気だったので、アメリカ大使館方面をパチリ

 

インド美術研究者でもある日本画家、畠中光享氏が約半世紀かけて調査研究し、

収集したコレクション展。

「恋し、こがれたインドの染織」展では、主に18世紀以降の約120点が展示されています。

インドの布が熱烈に受け入れられたのは欧州だった。色鮮やかな文様染めは上流階級に求められ支持された。やがて輸入だけではなく、ローラー捺染(なっせん)や機械織りによる技術革新を経て大量生産品が出回るようになり、インドの手工業を没落させるまでになる。

東南アジアや日本にとってもインドの布は憧れだった。日本では、江戸時代にオランダを通じてインドの捺染布が入ってくると、加賀藩前田家などが茶人に広め、模倣されるようになる。展示品からは、世界を魅了したインド布の魅力が伝わってくる

 

古くより綿の国であったインドの布に着目し、その広がりと展開が紹介される展覧会「恋し、こがれたインドの染織 ―世界にはばたいた布たち―」が、大倉集古館で、8月8日から10月22日まで開催されます。

植物繊維である木綿に美しい色を染めることは難しい技術でした。17世紀以前に赤や黄色を鮮やかに発色させ、さらに洗っても色落ちしない布を作る技法をもつ国はインドだけでした。インドの布は、交易によりヨーロッパをはじめ、インドネシア、タイ、 ペルシャ 、日本などへもたらされ、それぞれの地で変化を遂げていきました。本展では、畠中光享氏のコレクションを通じて、インドから世界へと渡った布の展開を紹介します。(画像の作品はすべて畠中光享氏所蔵)