diary_20230801_日記(vol.3)、イベントのメモ、高麗博物館、震災画、絵巻 | 都のブログ

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空の写真(日記No.3)

(20230801に書いた日記)

 

ゆるっとした纏め日記(イベント自体は2023/07/31)の、つづき。

【日記_vol.3】
つづいて紹介された萱原白洞さんの絵巻には、河目さんと同じく一体を取り囲む板と、軍人の手に刀が描かれていました。

そして、オークションで手に入れたという淇谷(きこく)さんの絵。
実を言うと、萱原白洞さんの絵巻と共に、入手経緯を伺いながら、縁なのか意図的なのか、なんとも臭う経緯だと感じてしまいました。
この私の疑心の念はどこから来るのだろうか、とも考えながら。
確かなものを得たいのでしょうかね、人は私は。

淇谷の絵は、これまでのものと少し異なり、最初はなんだか下手だな、などという感想で見ていました。
それでも、描かれているものを見ながら、他の絵と同様に板の囲や軍人や自警団や空を覆う炎や燃散り巻き上がる灰…そして虐殺の場面を描き残している様子に、もしかしてこの方は、知識があり、歴史の重さを知る、伝える使命を思って描いた人だろうかと考えました。
教授さんだろうか? と。
お話を聞いていくと、大原彌市さんという教員の方だそうです。好んで絵を描き、その雅号が淇谷だったのですね。

同じくオークションで入手されたという、他の作品もご紹介いただきました。
筆使いで一気に描き切るような、濃淡や線幅で遊ぶデザイン的な、淡い薄い表現を好む水墨画でした。それらの作品では、色彩を入れてもやはり、淡く薄い色合いで仕上げていました。

振り返って震災画の方を見ると、虐殺の場面の”血”だけ、ほぼ原色の赤が使われていました。
伝えるべきはこれだと、言っているようでした。

最初、下手だなと感じていた絵でしたが。私の捉えが、間違っていたのでした。
これは、デザイン的に構図を考えた、絵という作品ではなくて。
記憶を辿って、一つ一つの事柄を描き残そうとした、記録画なのでした。

絵からは、自然災害を背景に、軍人や自警団が誰か特定の市民を追いかけ、刀を振り下ろし、血を溢れさせる場面や、警察が市民を足蹴にする様子が見て取れました。新井氏が解説してくれたように、それは、人目のつかない場所で秘密裏になどでなく、家屋が並ぶ生活の場で公然と行われたのだということが、伝わるものでした。

ふと、宮部みゆきさんの『楽園』という小説を思い出しました。
(映画の『楽園』ではなく、『模倣犯』の登場人物が出てくる作品です)
描画技術に長けた少年が描いた、もう一つの絵。脳裏を埋め尽くす情報の波を捉えようとした絵です。

そして、これらのことを考えるときに、先ほど触れた、自分の中にあった疑念について考えました。
作品の作者が誰で、いつ描かれたものなのか、という確証は、どこか施設が歴史の証明として作品を紹介する際に、その責任として確かに必要でしょう。
そして、作家が伝えたかったものが何かを考えるときに、その背景的情報はとても重要です。

それでも、描かれたものや描き方を通じて、私が震災後に起きた事柄や人間の持つ脅威性や教訓を考えるときに、作品の出所の確証は本当に必要だったのでしょうか。
絵からは、直接的に何かを受け取ったような気がします。

捉え違えてはいけないという以上に、解らないものに対して、それが意図的なものかどうかを警戒する意識が自分にあるのだと思いました。間違ってはいけないという、何か保身のような感覚です。

このことを考えたときに、ふと入管の難民審査についてを思い起こしました。
迫害から逃れてくる者は立場を証明するものを得られるような状況ではなく、そのことを認識した上で、審査は証言の信憑性を吟味し認定する必要があると、国連が示していますよね。
しかし日本では、資料を示せ、として証言に重点を置かない傾向があると。

私が、震災の朝鮮人虐殺を考えるときに必要で重要なことは、疑いの意識は人を殺す、社会を壊すということで、それを繰り返さないために何ができるか、ということ。
想像を絶する恐怖と不安が生じた際に、猜疑心は暴走し、潜んだ差別感情は振り切れて人間は人間を人間と思わなくなるということ。そうならないための、少しでも日常に潜む差別の芽を摘み取る努力をする必要がある、ということなのだろうと。

重要なのは、見て聞いて考えることを怠らず、事実を出来事を、捉えようとする感覚を見失わない、ということだろうかと思いました。

(つづく)