diary_20230801_日記(vol.2)、イベントのメモ、高麗博物館、震災画、水彩画 | 都のブログ

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空の写真(日記No.2)

(20230801に書いた日記)

 

日記を長く書くクセがあり、何回かに分けて投稿するの術。(古い)

『関東大震災から100年の今を問う ~過去に学び、未来の共生社会を作るレッスン~』(2023/07/31)
を聞いてきての、ゆるっとした纏め日記。

【日記_vol.2】
つづいて、河目悌二さんの絵とされる描画を拝見しました。
黄色の制服の軍人と(これは小学生の配色と同様)、白い制服の人物がいました。
白い制服は、警察の夏服だそうです。
この絵には画面左に、虐殺の場面が描かれていました。殺害された方が横たわる様子と、後手に手を縛られ引きずられている様子も。鉢巻を巻いた自警団も描かれ、一体を囲い込む板も。

挿絵作家であった河目さんの普段の作品も紹介していただき。デフォルメしたデザイン的なラインを使ったイラストもあり、スポットでビビットな色を置く表現もデザイン的で。身体の形の捉えも、とても巧い人だなと思いました。
御本人の作品かの確証は100%ではないそうですが。その身体の形の捉えと、スポットで色を置く表現が、震災画と共通しているなと思いました。

小学生の絵とは、軍人の帽子の帯の色が違っていたのですが。(小学生は白に、河目さんは赤に)
強烈な赤い炎の光で、現場で”赤”は認識され難くても(白に見えても)不思議ではないことと、知識的なところで河目さんは制服の帽子の色(赤色)を認識していた可能性もあるだろうかと想像しました。

追記: 誰何の場面を見た機会は震災翌日以降と思われ、クレヨン画では提灯が描かれていたので夜の場面と考えると、炎の影響ではなく夜の闇に提灯の灯りが頼りだったことで色彩認識が落ちたということかも知れません。或いは、帯の色が複数あったのか、詳細は調べていません、ごめんなさい。


気に留まったのが。
虐殺の場面も確かに印象的に描かれていましたが。
スポット配色として鮮やかな色を置いているのが、画面右側であることでした。

特定の市民を取り囲む軍人の制服と、警察の白い制服の部分的な青が、比較的にはっきりと濃く塗られていました。
そこに、作家が強烈な何かを見ていた、ということだろうかと思いました。

市民を疑う威圧的な権力と、虐殺を見守る権力と、それらの感情的な意識的な何かに、強烈なものを見たのかもしれない、と思いました。

(つづく)