diary_20230801_日記(vol.1)、イベントのメモ、高麗博物館、震災画、クレヨン画 | 都のブログ

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空の写真(日記No.1)

(20230801に書いた日記)

 

台風は西北西に進むそうですね。今日明日で沖縄地方に影響が出そうとか。皆さんお気を付けて。
しかし昨夜の雨と風のおかげで、久し振りに涼しい…ありがたい..
でも気を付けて。

絵を見ると、色々思うのだな、と、自分の思考に気付いた昨日でした。
学習会というか、公演を聞いてきたのでした。

『関東大震災から100年の今を問う ~過去に学び、未来の共生社会を作るレッスン~』(2023/07/31)

ゆるりと、長々と、日記として纏めます。

【日記_vol.1】
(イベント前半) 
新井勝紘さん(高麗博物館前館長)『関東大震災 描かれた朝鮮人虐殺を読み解く』

自分がどう受け止めるかを知りたい部分もあったので、構えずに拝聴したつもりで。
絵を拝見していくうちに、色々と考えました。

震災後、校舎は倒壊したが、少しずつ通学が再開され始めた頃に小学生が描いたという絵。
本横小学校4年生が授業で描いたものだそう。
作品のほとんどが赤と黒の配色だったと。
それらは家屋や橋など黒いシルエットに、赤い炎が上全体を覆うように描かれた絵でした。

その中でも幾つか、人物を大きく描いた絵があったと紹介された絵は…
制服を着た軍人が通行人を尋問(”誰何(すいか)”というそうです)する様子が描かれていました。軍人は1人提灯を持って、3人全員が銃を手にしていました。
提灯の明かりが地面に映り、その一角を明るくしている様子も描かれていました。
もう一枚の絵は軍人が5人、同じ尋問(誰何)の場面で、こちらも全員の手に銃が描かれていました。

全ての絵は、”震災で一番恐いと思った場面を描く”というテーマで描かれたものだそうです。
空全域を赤く炎で描いた絵は、自然災害の脅威を描いていますが。
この絵の作者である松山達夫さんは、尋問(誰何)を、最も恐いと感じたのですね。

他に、一面に芋の丸い大きな葉が広がる畑で、逃れようとする紺色の服の人物と、長い棒のようなものを振りかざし捕まえ取り囲もうとする軍人を描いた絵がありました。
同じ本横小学校4年生の山崎巌さんの絵だそうです。

恐ろしい場面を描いているのに、変な感想ですが、とても上手な絵だと思いました。
クレヨンを使っているのに、制服の帽子やボタンが細かく描かれていて、全体にムラなく描き込んでいるなと思って見ていました。松尾さんの絵と制服のボタン位置などが一致していました。
こちらの絵には、軍人の他に、鉢巻を巻いた自警団の姿も描かれていました。

そういえば、その後に見た絵にも、その多くに提灯があったことや、家屋など一体が真っ黒に描かれていたことに、ふと気になって後に時刻を確認。
震災が起きたのは正午。9月1日の昼間。それでも、空一帯が赤くなるほどに街全体が炎に包まれる状況で、立ち込めた煙で日差しが遮られ、且、強烈な炎が放つ光が、その対照の黒い影を生み出していたということかもしれない、など想像しました。この時代の秋の日の入りは何時頃だったんでしょう。日が落ちるにつれ、不安が高まり噂が広がっていった状況を想像しました。そういえば、弾き語りで歌われていた事件は夜でしたよね。

追記: 自警団発足や虐殺が起きてしまったのは震災の翌日、9月2日以降だそうです。各地で数日間つづいてしまったのですね。体力なくてヨボヨボとはいえ、何も調べずにいてごめんなさい。

その強烈な炎より、尋問(誰何)を、そして軍人や自警団が市民を追い込む様子を、恐いと感じた小学生がいたのですね。

(つづく)