月・木・土に投稿予定です飛び出すハート

 

 

二人で残業していたある日の夜

きっかけは些細なことだった。

 

 

耀がたしなめるような

口のきき方をしたことが

気にくわないとか

そんなことだったのじゃないだろうか。

 

 

日和田はカチンときて

「なんだ、君だって職場で浮いているくせに」

と本音を言った。

 

 

 

確かにそうだ。

中島はもめ事が起きても我関せずで

中立的立場を貫いている。

若手2人は生意気で

面倒なことを押しつけられないように

結託している。

所長は部屋にずっとこもって

頼りにはならない。

 

 

 

自分は若い時からコツコツ勉強を続けて来た。

この事務所では誰よりも有能だ。

ただ大学で勉強したっていうだけの

若いやつと組むのはもうやめよう。

日和田はそう思ったに違いない。

 

 

 

次の日から日和田は具体的に

行動に移した。

自分から鰐口に歩み寄っていったのだ。

「僕が間違っていました。

鰐口さんに教えてもらわないと

何もわかりません。

指示どおりにしますから教えてください。

お願いします」

 

 

 

鰐口は急に言われても

額面通り受け取れず困惑していたが

周りの目があるので

突っぱねるわけにもいかない。

 

 

その日の夜も、耀と日和田は残業した。

「あんなこと言って大丈夫ですか。

彼のこと信用できますか。

これまでのこともあるし

いいように仕事を押し付けられる

だけじゃないんですか」

 

 

「もう君は黙っていてくれないか」

と日和田は強い口調で言った。

「『負けるが勝ち』っていうだろう。

自分のことは自分で決めるから

口を出さないでくれ」

 

 

そう言ってだんまりを決め込んだ。

もう話しかけても答えないだろう。

耀はそっとため息をついた。

 

 

日和田は大人なのにわかってないな。

どんなにこちらが誠意を尽くしても

届かない相手がいるということを。

耀は伯父さんが中華街で

商売をやっているから知っている。

子供の頃からそばにいて

見てるから知っている。

常識的な方法が通用しない者が

いることを。

 

 

 

日和田は鰐口の懐に飛び込むため

告げ口もしたようだ。

「聞いたぞ。

俺のことずいぶんボロクソに

言ってくれたそうじゃないか」

と鰐口に言われた。

 

 

二人で残業しているとき

どちらかというと

日和田が愚痴やぼやきを言い

耀が聞く側だったのに

どんな風に脚色して

悪口に仕立て上げたのだろう。

 

 

「明日も頑張ろうね。ファイト」

と励ましあって二人で夜道を帰ったのは

つい最近のことだ。

 

 

 

 
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あいつは

この事務所を踏み台にしようとしている。

 

 

日和田が所長室に呼ばれ

席を外したタイミングで

鰐口が皆を集めて言った。

 

 

この事務所は単なる踏み台。

税理士試験に受かったらすぐに独立し

この事務所とはきっぱり縁を切る。

 

日和だがそう言ったそうだ。

 

 

中島は「まさか」と

悲しそうな顔をした。

鰐口の前では、遠慮していたが

内心では実直な日和田に

好感を持っていたからだ。

 

 

若手二人も「えーっ」と驚いた。

 

 

もちろん耀は

日和田がそんな事を言うとは

思えなかった。

そんな宣戦布告をしても

何の役にも立たない。

鰐口の作り話だと思った。

 

たぶん他のメンバーも

鰐口の言うことを真に受けていないだろう。

 

 

休みの日にわざわざ出てきたのも

日和田への純粋な親切心からではなく

周りに誰もいないところで

さまざまな情報を聞き出すためのものだった。

 

 

その卑怯さに心底あきれてしまい

一瞬でも鰐口のことを見直した自分が

馬鹿らしくなってきた。

 

 

念のため、残業して

日和田と二人になったとき

鰐口の言葉を引用して訊いてみた。

「本当にそんなこと言ったのですか?」

 

 

 

「言ってないですよ」

日和田は即座に否定した。

 

 

「僕はこの事務所で、所長の下で

できる限り長く勤めたいと

思っていますから。それなのに」

日和田は、ほとほと困ったような顔をした。

 

 

「どうしてそんな話になるのか

わからないな」

 

 

鰐口が時には親切に振る舞い

時には裏で陰口を言う。

その真意を図りかねているようだった。

 

 

日和田を悩ませているのは

それだけではない。

 

 

 

中島は年上だし言葉は少ないが

適切に仕事を教えてくれるので

信頼しているようだが

33歳の日和田は10歳年下の23歳の耀に

頼らざるをえない状況を

不甲斐なく感じているようだった。

 

 

若手の二人にしても

心を許せる相手ではない。

さらに、耀がいないところでは

鰐口が耀の悪口を言ってるので

日和田は、「なぜ自分がこんな目に」

という気持ちが募っているようだ。

 

 

 
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実は、日和田と同じ理由で

鰐口が耀に苦手意識を抱いていることも

薄々わかっていた。

 

 

耀を見る目が冷ややかで

耀がいないところで

若手二人を誘って

手なずけていることにも気づいていた。

 

 

耀は大学で経営学を専攻し

簿記や税法を学んでいたので

職場に容易に馴染むことができた。

 

 

先輩たちの手を煩わせずにすんだのは

良かったと思うのだが

鰐口はそれが気に食わなかったんだろうか。

 

 

もっとダメな後輩のほうが

叱りがいがあって

可愛げがあったのかもしれない。

 

 

耀は最終的には

家業を継ぐことを考えていたし

(これはもちろん内緒)

日和田のように

税理士を目指す気などなかったが

その気になれば比較的短期間で

なることはできるだろう。

 

 

鰐口にとって、日和田と耀は

自分のポジションを脅かす存在なのだ。

 

 

 

鰐口と中島は家庭持ちなので

たいてい早く帰っていた。

若手二人は

雑件を押しつけられそうになると

徒党を組んで「僕たち何もわかりませ~ん」

と巧みに回避していた。

 

 

それで中堅の日和田と耀が

残業することが多くなった。

日和田は所長の期待もあって

多くの仕事を抱えている。

 

 

いつも残業している二人の間には

連帯感のようなものが芽生えてきた。

 

 

「もうそろそろ帰りませんか?」

黙々と資料に向かう日和田に

耀は頃合いを見計らって声をかけた。

 

 

「ああ、もうこんな時間ですね」

日和田は耀より10歳年上だが

まだ敬語を使っていた。

 

 

「今日も終わらなかったな……

明日また出てきます」

「えっ、明日は祝日ですよ」

「大丈夫です。鍵は鰐口さんが

開けてくれるそうですから」

(鰐口も!!)

 

 

所長は職員が休日出勤を申し出れば

鍵を貸し出すことにしていた。

 

Image by AJS1 from Pixabay

 

 

「僕の仕事を手伝ってくれるそうです。

パソコン操作もそのときに

教えてもらいますよ」

 

 

(へー、意外だな。

どういう風の吹き回しか)

耀は思ったけれども次の瞬間

鰐口のことを素直に見直し

感動したのだった。

 

 

なんだかんだ言っても

所長代理としての自覚があるんだ。

最初のころは日和田の有能さを警戒していたが

ちゃんと職場の仕事が回るように

彼なりに考えていた。

 

良かった。これで一見落着かな。

 

そう思った耀は本当に甘かった。