イベント主催に関しての気づき | しるくらし。

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学校へ行かない選択。
子どもとの関わりなど。

発達や生きづらさの話しなど。

名古屋市内にて不登校の親の会を開いています。

対話、安心できる温かい場にしていきたいです。

タイトルの通りで、

今回、講師をお呼びして、集客して

何かをする、ということ

(その内容に関わらず、

これを人はイベントと呼ぶのかなぁ?)

 

今回は、東京・大阪・滋賀長浜に続き、

「話し合ったつもりになってない?」

勉強会をするべく、


AI-am吉田晃子さん(よっぴー)と

星山海琳さん親子を

愛知県津島市へお呼びしました。

 


そして午後からはそのまま引き続き、

「子どもとヨコの関係になろう!」

勉強会を。

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自分が住む町へお二人を呼びたいなぁ、

っていうのは

実は夏頃からあったんです。

 

けれど、

そこでどうしても

一歩が出なかった理由があるんですね。




それは集客という点からでした。

 

集客。


お客さんに来ていただく、ということ。


では、なぜ

お客さんに来ていただく必要が

あるのでしょうか?

 


当たり前のことなのに、

私はこの「なぜ?」を

結構おろそかにしていた気がします。


今から思えば、、なんですが。

 

 




なぜ集客する必要があるか?

 

実はね、今回、

特に、最小遂行人数も決まってませんでした。

 

希望者さんがいるならどこへでも行くよ、という、講師のスタンスです。

 

決まっているのは、

講座の代金のみ。

 




だから極端な話、

参加者様が多かろうが、少なかろうが

開催はできちゃうわけです。

 

しかも

【金銭的】という点のみにおいては、

参加者さまの人数による、

主催者に儲けはありません。

 

 

なのになぜ集客という点に引っかかって

なかなか足が出なかったのか。

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主催者皆で協力して、

皆の得意を掛け合わせて、今回の勉強会は開催されました。


できないっていいもんだ、

本当にそう感じた経験となりました。

 

 


 

人が集まらなかったら申し訳ない、

というのもありましたし、

 

もう一つ、

人が集まらなかったら、

なんか恥ずかしい。

 

そんな

よくわからない感覚に気づきました。

(けれどもこの感覚、よくあるよね〜)


 

 


なんかさ、

集客の結果が自分の評価になるような、

そんな感覚を持っているんですね。

 

そんなことは全く関係がないのに。

 

 



 

それとあとは、

一生懸命に人を集めようとしてるのって、なんか恥ずかしい。

 

っていうものも。




 

 

毎日毎日SNS投稿して、

告知しまくって、

 

“必死だな”って思われてるんかなー、

それって恥ずかしいなー、みたいなの。

 

 

 

「何なんだろう?」って思った。

この”恥ずかしい”ってやつ。



 

「人からどう見られるか?」

ってことが気になる、

ってことに尽きるんだけど、

 

 

 

なんでじゃあ

今回やることにしたかって言うと、

 

それ以上に

講師の存在を知って知って欲しい、

っていうのがあったと思う。


 

それに、

学校以外の選択もあること知って欲しい、

 

学校行ってるとか、行ってないとか

そんなん関係なしに、

こんなに幸せな人がいるって、

知って欲しい

 

親と子、こんな関係もありなんよー

 

学校行かないって、

そんなに恐れなくてもいいよー

 


そんなことが広まればいいなぁ、、

って思いからでした。

 


 

シーソーのバランスがひっくり返った。

 

 


きっとね、ものすごい違いでは

ないんだと思う、そのバランス。


 

ちょっとだけ、

ほんのちょびっとだけ

 

恥ずかしい、どう思われるか気になる、

より

“知って欲しい”が重くなっただけ。

 

 


そんなことを思いました。

 

 

勉強会前夜は、夜更かし。
夫と長男とこの映画を。
(「カメラを止めるな!」だよー)

 

あれあせる

まだまだ書くことあったんだけど、

すでに長くなってしまったので、

続きはまた別記事で。