しるくらし。

しるくらし。

学校へ行かない選択。
子どもとの関わりなど。

発達や生きづらさの話しなど。

不登校の親の会を開いています。

対話、安心できる温かい場にしていきたいです。





夏休みが始まりましたね。


我が家の子どもたち、みんな地域の学校へは通わなかったので、そこまで夏休みの存在は大きくなかったです。


とはいえ、親として、不登校してる子がいると、夏休みって親としてなんか気持ちが楽になる期間でもあると思う。


小4の息子は、夏休みはダラダラしたい、とのことで、

最初は「だらだらって。。」って思ったのですが、よくかんがえてみたら、まぁそれも自分のしたいことでもあるんですよね。


私はじっとしていられないタイプで、色々動きたくなるんですが、息子の「だらだらしたい」を邪魔しない予定でいます。


何をするか、何をしないか、もちろん提案はしますが、自分で決めていく経験を奪いたくないんですよね。

いまなら、まだ何かあっても親がフォローできる。


けどまぁ、めげすに色々提案はするんですが、決めるのはあくまで本人。

気になったらもちろん理由も尋ねます。

理由を尋ねることで本人も考える。

なんとなくで言語化する必要なかったことでも、問われることで、自分で理由がわかったりする。


そんな過程を一緒に楽しんでます。


そんな彼は、今日は、午前中は友達とオンラインでゲームして、午後からブックオフに立ち読みしに行きました。

放課後等デイサービスに空きがあったので、そちらにいくことも提案しましたが、うちにいたいとのことでした。

中3の娘が、

卒業したらどうしようかと考え始めている。


進学はしたい、

仕事もしたい、

推し活も大切


友達とも遊びたい、

学校生活もしてみたい、

部活もやってみたい、


小2まではうちでホームラーニングしたり、

オルタナティブスクールへ時々行ったり。


そこから今までリースペースやフリースクールで過ごした。


この過程は面白くて、

いつか我が家の子達の超オリジナルな成長過程を、

どこかで喋ってほしい。

いろんな方に知ってほしいな。



娘も、一時期は三つくらいのフリスクールを掛け持ちして通ってたり、

そうかと思えばうちでひたすら動画見たり、

創作活動するためにこもる日々があったり。


本当にオリジナルな過ごし方をしてきた。



で、冒頭に書いたように、

進学はしたい、

さてどうしようなか、というところに来ている。



中3になり、学校生活も経験してみたいとのことで、週2で校内フリースペースへ通うようになった。2時間程度。


一時期は全日制も候補に入れてたようだが、

内申点とか、テストが、とか出席が、とか色々とね。


そうこうするうちに、

全日制高校って生活のほとんどが学校だよね、、私は他にも色々やりたいことがあるんだよね。

自分に合った学校ってどんなだろう、って。


長男は広域の通信制高校、

次男は夜間定時に通ってるので、

選択肢は初めからたくさん知っているのかもしれない。



先日は初めての定期試験を受けた。

なにごとも経験。

たくさん悩んで、経験して、考えて、、、

その過程を共に過ごし、大切にしたいと思っている。

話を聞きたいと思う。

聞ける人になりたい、とずっと思ってきた。

聞かれることで回復してきたから。


話を聞くというのは、

能動的でありながら受動的だ。


社会学者の岸政彦さんは積極的に受動的なる、と著書の中で表現されていたような。


聞けていいる、と思うのって危険だなぁと思う。

それって誰目線?


聞けてる自分に酔ってるとおもった、自分のこと。

聞ける自分に成なりたすぎて、矢印がいつも自分、みたいな現象が起きてる。


聞いてる最中に頭の中が騒ぎだす。

あぁ、自分とのおしゃべりの開始だ。

もうこうなったら人の話なんて入ってこないし、聞けていない。


自分と会話してるようなものだろう。


まずは聞いてもらうことが大事だと改めて感じている。

自分お話しをしっかりと聞いてもらうのだ。

プロにおかませしてもいい。

みな、きいてもらいたい。


話を聞いてもらうということは、

わたしはここにいるよ、という証明にもなりうると思う。


だって、無視って1番きつい。

ここにいるのにいないように扱われることの苦しさよ。


ここにいるよね、

生きてるよね、

あなたがいてくれる、


それは聞くという受動的行動で伝わることもあるんだ。


わたしはそう感じている。


まだまだ聞き切ってもらってないなぁ、だから最近感じるんだ。

対話会をもう6年くらい続けている。

言いっぱなし、聞きっぱなしのオンラインだ。

オンラインでも意外にできるもんで。

わたしの対話の旅の始まりはそこだった。

原点だ。


もう少しこの、対話の旅を広げてみたい。