しるくらし。

しるくらし。

日々の暮らしの中で、わたしの変化、気持ち、など。
家族のこと、自分のこと、刺し子の話。
学校へ行かない選択。
子どもとの関わりなども書いていきます。

小中学校、ほぼ学校へは行かなかった我が子、こんな選択肢もあることを知っていただければ幸いです。





不登校でも子は育つ

フリースクール(以下フリスク)も色々ある

多様な学び

いつからでもどこででも学べる

学校行かなくても社会性は身につく

好きなこととことんやる、それこそ学び


子どもたち3人は学校全く行ってなくてフリスクや、うちで育ちました。


実感してます。

ほんとその通り。



ただそこにまつわる大変なことも正直あった、わたしにはあった。

他の人はどうか分からないけど。




低学年のうちは送迎必要だったこと

遠い

お金がかかる

(フリスク代もだし、交通費もバカにならん)


そもそも外に出たくない時期もあり、親子共に引きこもっていてしんどかった。

出かけるものの、ママが一緒じゃないと無理。


今でこそ、低学年のフリスクや居場所もあるけど、長男が学校行かなくなった8年前ってほんとにそういうの無かった。



合うフリスクなかったら、うちに居ることになる。

当時、私も精魂尽き果ててたか、勉強をうちで教える(?)やるように環境つくり(?)をする気力もなかった。


情報収集は必須。

待ってても情報はやってこなかった。取りに行かないと。


横のつながり必須、けど、そこそこ親のエネルギーないと動けない💦

孤立感ハンパない。


子ども、留守番無理なら親もうちにいる必要あり。




仕事して稼ぐ必要あるのに、送迎等で仕事に縛りが出る。


子は好きなことから一気にたくさんのことを吸収する。

その学びのスピードは目を見張るものがある。だけどそれはいつか分からん。

そんな時は来ないかもしれない。

中学生になっても字が書けない可能性もあるって覚悟する。

字が書けない?だから何?って思えるか?


意識的には子の‘出来る’を待たない、腹括る。

その横で母は自分を生きる、みたいな?



もちろん、子は好きなことばかりやるから知識に偏りも出る。


体力落ちがち。


学校行きたい、ってなった時に、

ある程度の勉強しといた方が入りやすいよなー、とか。


マイノリティになるから、こころないことを言う人に出くわすこともある。

クソバイスもあるし、

外野が予想以上にうるさい。


平日昼間にうちから元気な子どもの声、

近所の人の目がしんどかった。

(私は。。)




一方で、


学校は全て決められていて…

どこの学校に行くか。

そして行く時間、持ち物、着るもの(服は自由でも帽子やランドセルなど)

学ぶ場所、座席、やること、やる時間、内容、終わる時間、食べる時間、食べるもの、置く場所、あいさつの仕方、いつ手を洗うか、いつ帰るか、何を書くか、どこに書くか、何を使うか、


ざっと思いついただけ、だけど。。


色々決められてるのが学校だから楽ではある。

ある意味では。

いちいち考える必要がない。



ぶっちゃけ学校行っといてくれたら、親負担は少ないと思っている、私は。


近いし、自分で行ってくれる、

給食あるから昼ごはん作る必要ない。


親だって同様、考える必要なし。

ルール、決まりに従ってればいいのだから。


そこからはみ出ないように細心の注意を図る。

親も子も。


けど、合わない子はしんどい、

が、じきに慣れてくる。

決められたルールに従うことに。


あぁ、学校ってこんなもんなんだな、って。

ルールに従ってればいいんだな、って。




学校は満遍なく学習する機会があるから。親は安心。所属感。


お金もかからない。



学校がいい、悪い、

行かない方がいい、行くべき、

とかはない。

家庭次第だし、本人がどういう子か、により全然違う。



で、だ。

息子は今、行き渋っている、学校に。


行けば楽しいこともあるだろうに…と

今の私はは思っている。


嫌なことがあったのか、

直感的に嫌なのか分からないんだけど、

楽しいことも見れたらいいのになーと思っている。



でね、

昨日のブログにもかいたように、

私は疲れてる。


母子登校に疲れたのだ笑い泣き


だから昨日は息子に言った

「ママ今日は疲れてるから学校お休みでもいい?」って。


で布団でゴロゴロしていた。


頭で考えて行動しても、どっかに無理がくるんだなぁ。。



リビングでは小1息子が

兄たちとワイワイ遊んでる声が聞こえていた。


子どもの笑い声は世界を救う、マジで。

平和だ。



私は正直、ごくふつーに学校行ってくれたらいいなー、と思っている。

子どもが行きたいなら。


けどなー、今、彼は

「学校行きたくない」と言って、私と一緒ならなんとか行けてる状況だ。


行きたくなるように大人が働きかける?

どうやって??


行けるように、配慮を考えてく。

学校側が物理的に可能なことと、本人に必要なこと、折り合いつけて、学校のハードル下げる。


嫌なら、行きたくないなら、辞める。

で、他の道を選ぶ。


とか?



今私がやってるのは、学校と折り合いつける、だ。


それにも結構疲れてきたんだなぁ、正直。

あー、しんど。


こんなんなら、とっとと学校なんて辞めてもええやん、って思う日と、


やっぱ学校行っといてほしいわー、

って思い日と交互にやってくる笑い泣き


これが実情。

子どもが何人居ようが、きょうだいで不登校経験してようが、何人目でもこんなんです💦


とりとめなく、今の気持ちを。




正しさや常識じゃなく

自分の心のセンサーを何より信じたい。


今、仕事続けながら母子登校してる。


毎朝学校行くために子どもを起こし

一緒に学校行って

空き部屋や図書室で過ごす。


仕事がある日は1時間ほどで学校を出て

職場に向かう。

兄たちがフリースクール行く日は

一緒に連れてってもらったり、


どうしても息子を見る人がいない日は

職場に連れてく。


仕事がない日は、

息子本人が「帰ろう」と言うまで学校で過ごす。


母子登校し始めて3週間ほど経つが、

ここ最近教室に入る日がある。


3、4日、教室に入った。

(数分で退室することも含めて)


仕事がある日は

起きた瞬間から時間に追われてる。

時計ばかりが気になる。

自然と息子を急かすことになる。



今日の夜、息子に早く寝るように言った。


で、その時自分に対してものすごい違和感があった。

いやーな感じ。


わたし、息子にイラついてる。



息子は布団の中で漫画読むのが大好きで、

幸せそうにしてる。


なのにイラつく私。

何で?って思った。


わたし疲れてるんだなぁ。。

ようやく気づいたわ笑い泣き


わたし最近、

仕事と子どものこと、学校関係のことで

全くやりたいことやれてなかった。


ヨガにも行けない

カフェでゆっくりも全然してないー。

ふらりと出かけたり、全くしてないわー。


で、何のために早く寝て、早く起きるんだろ?

誰の為だ?って思った。

 


なんか、私の中で

心のセンサーが違和感って形で


そっちじゃないよー、

ちょっと立ち止まってー、

って教えてくれてる気がした。


疲れ、や

違和感、

イライラ、


は、1番のバロメータなんじゃないかな、って。


なんか違うんじゃないの?って

気づかせてくれるものなんじゃないか、って思った。




けど、これは

やってみたからこそ分かったこと、気づけたことで、だからこその違和感でもある。


私はこんなふうに

やってみて、感じて、ようやく気づけるんだなぁ。。




明日はもう起こすのやめてみて、

久しぶりに朝ゆっくりコーヒーでも飲もうかな。。


明日は夫が休みだから、

私も仕事ギリギリまで寝てようかな。。



何より私自身が元気じゃないと、

私自身が自分を労わり大切にして愛でていないと

周りの人を愛することはできない。


我が子に寄り添い

一緒に楽しんだり、話を聴いたり、笑い合うことすらできないなぁ。


自分が元気でいられるように、

それがまず第一優先。


子どものサポート云々はそのあとだなぁ。







今日寝る時、息子に言った

「早く寝てね。明日起きれないと困るから」


息子「なんで?起きれるよ」


私「いやいや、いつも私が起こしてるやん」


息子「ごめん。早く起きるわ」


矛盾してるなーと思った会話。


息子は「学校行きたいから早く起こして」とは一言も言ってないぞ、って気づいちゃった。




今日は市の教育相談に行ってきました。

 

流れとしては、GW明けに対面の初回相談して、その後担当者が決まり、

定期的に対面相談を続けていく感じ。

 

親子で来所して、子の方は子ども担当の職員とプレイルームで遊んで(場合によってはセラピー的なこともやるみたい)

親の方は親担当の職員とカウンセリング。

 

 

GW明けてからずっと母子登校していて、

日によっては空き教室や図書室で過ごしています。

 

学校で何かするのが目的じゃなくて

学校って場所が怖いところじゃないんだ、って感じられたらいいな、ってのが目的で。

 

小1息子は人に会うのがだんだん平気になってきました。

今日は教室に入って朝の会やって

その後は運動会リハも見たり。


帰りたい、出たい、と言えば

「おっけー、じゃあ行こうか」と。



 

最初のころは朝顔の水やりを日課にして学校へ行く目的を作りました。

水やりの後は空き教室で一時間ほど私と過ごしたり

図書室で本読んで過ごしたり。

 

先生方にも会うし、子どもたちにもめっちゃ会う。

学童の子たちはみんなが声かけてくれる。

学童は結局辞めたので、一か月も通ってなかったけど

上の子たちが新一年生をかわいがっててくれたんだと思う。

 

 

 

母子登校してるおかげで

校内の雰囲気や先生の子どもたちへの対応が見れます。

あとは、一年生の子たちが結構かわいい。

 

実は今日含めて4回ほど教室に入れて

(ほんの数分、または朝の会だけだったり)

息子と共にわたしも教室にいると

子どもたちがよく話しかけてくる。

 

教室の中はほんとカオスです。

一日あそこで過ごすのは、繊細さんは疲れるだろうなぁ、、と思います。

 

 

息子のおかげでめちゃくちゃ貴重な体験させてもらってます。

 

 

たぶんまだしばらく母子登校続きそうだけど

学校側に対しては柔軟に対応してもらってるなぁと感じてます。

 

自分自身の学校への偏見、敵対心みたいなものが薄れてるからだとも思う。

同じ出来事でもとらえ方が変わってきている。

 

世界は自分が作る、というのはこういうことかと。

 

何よりうれしいのは、

息子本人が苦しんでないこと。

 

学校に行かない自分を責めてない。

誰も子を責めてない。

私も私を責めない。

 

 

とりとめなく、

今日感じたこと。

 

 

今後、

行き渋りが始まり、具体的にどういう風に相談機関につながったか、

またどういう相談機関を使って行ったか、について書いてみようと思います。

 

自分の整理のためにも

また同じように行き渋りなどで対応に迷われてる方の参考になれば何よりです。