アダルトチルドレン ・共依存・HSPの私の日々のこと。子どもたちとのこと。

アダルトチルドレン ・共依存・HSPの私の日々のこと。子どもたちとのこと。

アダルトチルドレン で境界線が曖昧な私の生きづらさや、不登校してる子どもたちとの関わり。気づき。
家での過ごし方、学校とのこと、学ぶこと、子ども達と共に過ごす中でのわたしの変化、気持ち、など。





こんばんは。今日は3月31日。

3月末でブログをしめると言っていました。

こちら→

 

最近アルバイトを始めて、


今日はそのアルバイトの日で、帰宅してからドタバタと時間が過ぎました。


ようやくブログが書けます照れ

 

 

 

 

 

久々の仕事で疲れたので、夕食前にお風呂に入って


「今日はよく頑張ったなぁ」って

自分の身体をさすりました。

 

でも、よく考えてみたら毎日働いてるんですよね、

それがうちか、外かの違いで。


お給料っていう目に見える形の労働か、そうでないか。

 

毎日子どもたちのご飯を作ったり、話をしたり、洗濯したり(あっ、大家族だけど、洗濯は毎日しません得意げ

 

 

今日は”お仕事”っていう、目に見えてわかりやすい労働をしたから、こうやって自分を労わったんだろうなぁ。

 

うちにいても、毎日こうして自分を労わればいなぁと思いました。

 

 

 

働いてようが、働いてなくても、ここにいる自分に。

 

 

 

 

 

今、世界中が不安の中にいて、それを遠巻きに見ているような感覚が自分の中にあって、


先がどうなるか分からないのは、たぶん人間にとって怖いものなんだと思います。

 


ふと、不登校も同じだと思いました。

 

子どもが学校へ行かなくなった時、どうしようもなく不安で怖くて、


だけど自分で何が不安で怖いか、それの正体がわからなくて。

 

わからない不安、見えないからこその恐れ、だったと思います。

 

自分が経験したことがないから、分らない、見当がつかない。

 

先がどうなるか分からない不安は、今のこの国中の空気に似てる気がしました。

 

 

 

 

 

色んな人がいろんなことを発信する中で、

こんな時こそ自分はどう思うか、どう感じているんか、ってのを深く探ってみるのもいいかなと思っています。

 

外からの情報は置いといて自分は何を感じるのか。


それはついつい忘れがちになるから。

 

 

 

 

 

 

4月からは子ども達の中には変化のある子もいて、私もアルバイトに挑戦しています。

 

3年半うちで過ごしていた末っ子は保育園に入ります。

手が空いた時間に刺し子をいっぱいしたいです。

 

 

 

 

 

 

 

今までブログ読んでくださり、ありがとうございます。


ブログを通して知り合ってくださった方、ありがとうございました。

 

 

 

2020,3,31

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

娘、今年から始めた習いごとやめたいって。

コロナでしばらくお休みだったから、再開したけれど行く気が失せたみたい。




久しぶりに行くと何か言われそう。

みんながジロジロ見てくる。

自分だけ〇〇。

〜なことがあって…
先生が自分だけに厳しいみたいな感じ。

自分だけ、ひとりって気分になる。




あんなに楽しそうにしてたのに(行ってたのに)
って、私が咄嗟に思ったこと。




「みんなが久しぶりだから、〇〇だけに何か言ってくるかなぁ。

中にはジロジロ見る人もいるかもねぇ」



「すぐやめなくてもよくない?
あと何回かやってみて、それでも嫌ならやめるとか」


って、実際に私の口から出た言葉。




…で、言った後、
なんとなく自分が嫌になる感覚になりました。



あ〜、また余計なこと言ったなぁ…と
これまたいつものパターン。



その後、娘がだんだしんみりモードになってしまい、さっきまであんなに楽しそうに話してたのがムード一転して。







あ、わたしウザい
って自分のこと思いました。







そしたら、
しんみりした娘が言ったこと。

「ママ、実はね、前からやめようか迷ってたんだよ。

でね、すぐやめるのもアレだなーと思って、その後何回か行ってみてね、

それでもやっぱり嫌だったからね、もうやめようかなーって思ったの」








あーそうか。

自分でそうやって
自分がなにを感じるか知ろうとしてたんだね。



なんか私は、娘をどんな存在にしてるのかな。
なにもやれない人?







わたしは、ただ聴くだけ、がなかなかやれない。

なんでこんなに指示したくなるかな。
なんでこんなに、何かを教えようとしてるんかな、わたし。








「もうこの話はやめにしたい。
頭がいっぱいになってくるから」


娘はそう言って、
向こうを向いて寝ました。





母にして欲しかったこと
して欲しくなかったこと、

自分の中にたくさんたくさんあって、

母のようにしないでおきたい、
が強いほど自分が同じことをしている。


そんな自分を責める
みたいな、

これ悪循環だなぁ、と思ったり。





やめて欲しくなかったんだな、わたしは。

なんでかな?

こんなにすぐやめるの?

また逃げるの?

↑「また」ってなに?

ひとつでも得意分野があった方がいい。

どこかに所属している安心感。

続けて、それが得意になれば自信がつくから。

2回行っただけで長男はやめて、娘は3カ月でやめる。
そうなったら指導者に“親はどんな育て方したんや”って思われそうだから。





大まかにこんな理由です。






繊細の森HPより。



偶然見つけたこちらのコラム




できることを増やして自信をつける(つけてほしい)
という発想自体が、生き苦しさを産むのだなと納得しました。




 



娘のことだから娘が決めるしか他ない。

わたしは続けてほしかった。
それを否定する必要もない。


それぞれに想いがあるから、
私はわたしの気持ちを
「あー、そうだったんやなぁ」と認めさえすればいいのかな。



今回のことで、境界線とか、信じるとか、責任とか、軸とか、いろんなこと考えました。



娘のことは娘が決める。
私が指図しなくていい。



体感として記録します。




やってもやらなくても
行っても行かなくても
(言っても言わなくても)



今回の娘とのやりとり、

さらに昨日も長男と次男との関わりで、とてもざわつき心動かされたことがあり、

そんな時に、 本当に私に必要なタイミングで入ってきたメッセージです。


なんだかホッとしました。





こちら、2年前の記事です。

今のわたしが読んでもハッとする内容だったので、自分のためにも改めて再掲しますね。



記事自体は2年前のことですが、
内容は変われど、今も同じようなことあるな〜と思いました。


結構面白いので、読んでみてくださいな。


ちなみに、、、
2年後の今、なのですが、

長男はもう唾はたまらないし、
次男の鼻垂れもほとんどなくなりましたウインク


毎日一緒にいると、子どもの変化って気付きにくいのですが、日々変化してますね。

ブログの良さは、こうして過去の子どもたちの様子が分かり(わたしのブログは子育て中心なので)

さらにその時の自分の状態、

何を思い、何を感じたのか、が思い出せること。


子どもたちの変化ももちろんだけど、自分自身の変化も客観的に知ることができます。