しるくらし。

しるくらし。

学校へ行かない選択。
子どもとの関わりなど。

発達や生きづらさの話しなど。

名古屋市内にて不登校の親の会を開いています。

対話、安心できる温かい場にしていきたいです。





夕食後、2階で作業していたらおもむろに長男が来て・・

 

「これ、コンビニのだけど」ってケーキを差し出してきました。

気の利いた言葉はなくて

このケーキが彼のメッセージなのかな。

 

嬉しかったです。

 

 

この喜び、感謝の気持ち循環したくて

 

私も母に直ちにラインしました。

 

「いつも気にかけてくれてありがとう」と。

 

母とは今でもあまり関係性はよくなくて

少しずつ修復中なんです。

(明るい未来が来ると信じ)

 

 

気にかかりながらも意地張って

連絡なんてするものか!

なんか言ってきたら言い返してやろう!

って思っていたころの自分より、

 

「いやなこともあったけど、まぁこれからの関係性にかけてみるか」と

おもっている自分でいたいなぁ、と。

 

 

 

 

 

 

 

タイトルの通りで…


ここ数年で、多様な学びが必要だと

いろんな形態で居場所ができた。


オルタナティブスクール

フリースペース

フリースクール

第3の居場所、などなど


だからこそ

大人側の、

これだけやったんだから(用意したんだから)

どこかに属するべきだ


というような圧を感じるのは

私だけでしょうか?


いつも大人は都合のいいように

子どもをコントロールする。

タチが悪いのがそらが無意識に行われている場合だ。


あなたのため、と。



子どもの本心と

大人が思う“子が望むこと”は

必ずしも近いとは限らない。


これでいいのか?と、私たちはいつも疑い

考え続けていかなければならない。

学校へ行かないことを選択した子どもたちと過ごす中で大切にしてきたこと。

 

今だから言えるだけで、その当時は必死でそうせざるを得なかった、と言った方が正しいかもしれません。

 

私は学校へ行かそうとするのは最初だけでした。

オルタナティブスクールや家庭で過ごすことになった子どもたちと、

どうしていったらいいのか、

わたしはどうやって生きてけばいいのか、

子どもたちをどう育てていけばいいのか、

それを考え続けてきたような気がしています。

 

今から思えば、子どもたちを育てるんじゃなくて

私ががっつり育てられてるんですが。

 

学校へ生かすことを目的にはしていなかったので、

学校へ行かずとも、どうやって学んでいくか、

それが私の中心にあった気がしています。

 

学校の中で、

集団で、

教科書で、そういう学びができない現状になり、

じゃあ、家庭なり家族という小集団のなかでどうやって学んでいくか。

 

学校へ行かないことを選んだ子どもたち、

現在二人が高校生になり、中学生ひとり、小学生ひとり。

長男以外は入学後すぐから行かなくなったので、

学校での教科学習はほぼ受けていないことになります。

 

私は彼らを見ていて、生きるための学びは学校へ行く行かない、関係なく

身に着くもんだと確信しています。

受け身の学びではなく、

取りに行くということなのかもしれません。

 

自分自身は学校へ通い成長しているので、

初めてのことばかり。

 

疑いもしなかった自分の価値観、

いや、疑うどころか意識することすらなかった自分の価値観をたくさん知ることが出来ました。

 

試行錯誤でここまで来ました。

 

私の試行錯誤はこれからも続くのだと思います。

 

どんなことをしてきたのか、

どう変化してきたのか、

伝えていきたくなってるので、ここでまた書いていきたいと思います。