”不登校であっても、生きてるだけまし。” | しるくらし。

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学校へ行かない選択。
子どもとの関わりなど。

発達や生きづらさの話しなど。

名古屋市内にて不登校の親の会を開いています。

対話、安心できる温かい場にしていきたいです。


学校に行けなくなる原因は、様々です。
それを、「不登校」=「根性無し」「甘えている」という認識をしたら、
重大な問題を見落とすことになります。
 
僕が嫌だなあと思っている現象があります。
それは、道路にある「この先、事故多発地帯。注意!」という看板です。
そこで事故が多発するのは、その場所に原因があります。
それを分析したり、改善したりしないで、「注意せよ!」とは、何事か。
事故があったら、自己責任ですか?
でも、日本には、そういう対処の仕方が多いように感じます。
 
心配事や、悩みごとは、「心が弱い」と言われます。
アドバイスは「そんなの気にすんな、がんばれ!」です。
それで、救われる人はいないでしょう。
こんなこと言われ続けたら、誰にも相談できなくなるだけです。
 
でも、今の日本の教育環境では、これがまかり通っています。
徐々に改善はされてきていますが、まだまだ先は遠いです。
だから、いまは、不登校は、「無理して死んじゃうよりまし」と思った方がいいです。
いけない理由があるのです。改善されない問題があるのです。
それを解決できないなら、「いかないほうがいい」です。
 
 
本当は学校に行きたいのに。
友だちと遊びたいのに。
行けない。
学校に行けない自分を責めて。
親を心配させてる自分を責めて。
親戚にまで学校に行けていないことを責められて、さらに自分を責めて。
まわりの大人が自分の将来を心配するのが不安で、ますます自分を責めて。
でも、生きてる。
ことを、大事にした方がいいです。
 
子どもが生まれるときは、
多くを望まないから、無事に生まれてきてくれ。と祈るはず。
だのに、なんで、学校に行く程度のことを、生きてることより重視するかな。
 
学校以外にも、社会はあります。
そして、学校を卒業してからの方が、遥かに人生長いです。
 
だから、もしも学校にいけていない子がいたとしても、
その子が安心できる範囲で、いろんなところで、いろんな人と接する機会をつくるといいです。
人と接するのが心配なら、伝記でもいいです。
いろんな人の、多様な生き様と接する機会を増やしたらいいです。
好きなことを増やしたらいいです。
できることを増やしたらいいです。
そしてなによりも、「優しい」を大事にしてあげて欲しいです。
どんなに成績よかろうが、いい学校でていようが、優しくない人は、まともに仕事できません。
ぎゃくに、成績悪かろうが、学校いっていなかろうが、優しい人は、人の役にたちます。
そして、人から優しくしてもらえます。
 
不登校の子には、その子を頼って、任せて、そして、「やさしいねえ、ありがとう」を、
沢山声かけしてあげて欲しいです。
 

〜植松さんのブログより〜