1-4あかりの歴史

●昔のあかり

日本においても原始の照明は、焚火(たきび)や松明(たいまつ)といった火を用いた簡単なものであり、採暖や炊事を兼ねるものでした。その後、屋内においては、すまいに炉をつくり、それが囲炉裏(いろり)へと発展していきます。囲炉裏の火は、灯油を用いた灯台やるうそくが普及するまで、唯一のあかりとなりました。

奈良時代に仏教と共に灯台が伝来し、平安時代になって日本でも洗練された意匠の灯台が作られるようになりました。時代が移るにつれて多彩な種類の灯台が作られるようになり、高度な仕組みを持つものも登場しました。

江戸時代に現れた鼠短繁(ねずみたんけい)は、その代表的な例です。短檠とは、火皿が角型の支柱の中間に位置し、台座が灯芯などを収納できる箱になっているものを指します。鼠短槃は、火皿の油が減ると支柱の頂部に作られた鼠の□から油滴が垂れて、火皿に油を補充するという仕組みを備えたいのでした。

鼠短檠などでも一部に和紙を用いた風除けが使われていますが、火皿を風除けのために和紙で覆ったものが行灯(あんどん)の始まりであり、江戸時代に広く普及します。四角形や六角形、円筒形など様々な形状があじ)、外蓋を用いて光の量を調節した0、レンズを用いて集光するといった機能が付加されたものもあります。

行灯や提灯は、和紙を通すことによる拡散光を用いた照明器具です。このやわらかな光が、以後の日本の照明器具の特徴の一つとなると共に、行灯などの置き型の照明器具により、下および横からの光が主体の光環境が創られていきました。

幕末になり外国との交易が盛んになると、文明開化のあかりとして、石油ランプやガス灯、電灯といったそれまでにない明るさの照明が出現し、日本のあかりは大きく変わることになります。