↓ from bokete ↓
吾輩は猫である。30連勤めの猫である。休日はまだない。
by とんかつまるさん
2013 Narita Airport
10年前の成田空港。まだコロナなどという馬鹿な騒ぎがなく、空港に活気があった。
早期にコロナ対策をやめた欧州は経済のダメージが少なく、おそらく多くの人は「コロナ? そんなので騒いでいた時もあったね、いつ頃の話だったかなぁ・・・」と言っているのだろう。
今もマスクをしている人がいるサンフランシスコなど特別な街を除いて、普通のアメリカ人も「コロナ? いつまで言っているの?」と言う感じの話になっているのではなかろうか。
中国はゼロコロナ政策で完全に社会と経済が破綻した。今でもコロナの話がニュースネタになるのは、世界中で日本だけかもしれない。本当に異常なほど病気の話題が好きな国民である。日本全体が脳か精神の病に侵されているように見える。
2013 San Francisco Airport
10年前(2013)の今頃、人生の半分以上を過ごしたカリフォルニア州から去ると決心した。
初めてサンフランシスコに住んだ1980年頃は、1ドルが250円くらいだった。それだと日本人には何もかも高くて困る。しかし滞在しているホテルで運良く皿洗いのバイトに就き、これが時給2ドル近くだったからずいぶん救われた。
あの頃、東京でもバイトは時給405円、九州や東北は時給318円だったからサンフランシスコのほうが良かった。しかも、このホテルは従業員用の部屋がなく、そこで働くと普通の客室がひとつ無料で提供される好条件である。私にとっては通勤時間ゼロ、仕事は朝と夕方だけなので昼は学校に行けるという理想的な状態だった。
1980年代はサンフランシスコでさえ家賃が安く、更に安い所を探してオークランドやバークレーに住む人もいた。昔はベイブリッジの混雑もあまり酷くなかったから通うことが簡単だったのである。
当時日本の景気は上昇傾向が続き、海外旅行熱が高かったからアメリカ在住者は仕事に困らなかった。人が来るなら受け入れ態勢を整える必要がある。宿泊場所も食事も移動も多くの人や会社が必要になる。仕事があるから収入も安定する。家賃が安いと誰でも普通の暮らしができる。それが昔のカリフォルニア州やサンフランシスコ市だった。
ところが日本はその後バブル崩壊で急激に景気が悪くなり、なんとかそのショックから立ち直り始めた1997年頃から30年も所得水準が上がらなくなった。
日本が昇り調子であった時代はアメリカの会社より給料が良かったりしたが、その後はアメリカに追いつかれて、今はだいぶ大きく引き離されたようだ。
金持ちと貧乏人をすべて合わせて真ん中を取ると所得の中間層が出てくる。
今のアメリカはこの中間層所得が年収1千万円以上であり、年収500万円だと低所得層に分類される。
日本に関わる仕事をしていると自動的に低所得層になり、家賃だけ全米で最も高い街になると、もうサンフランシスコに居続けるのは愚の骨頂になってしまったのである。
カリフォルニア州は海岸沿いに人が住み、内陸側は人口密度が低い。海の反対側は無限に続くかのような農場地帯である。
味で勝負しない限り、日本の農産物はアメリカの広大な土地で作られるものに太刀打ちできない。生産コストが桁違いなのである。
2013年 サンフランシスコからラスベガスにアパートを探しに行った時の写真。
これがシエラネバダという山脈で、左がカリフォルニア州、右奥がネバダ州だ。
気候的には夢のようなカリフォルニア州。しかし、日本でいえば共産党や立憲民主党が支配しているような極左勢力の州だから衰退の一途をたどっている。
企業が他州に引っ越し、人も減っていくのは税収減を意味するから今後さらに状況は悪くなっていくだろう。
MGC 金属製パイソン。一部のカスタムショップが作った物はあるが、この仕様の市販品はない。発売開始の1968年から第一次規制があるまで3年前後の間には映画撮影用の小道具か一部のマニアが作った物があるが、既に大半は消失か行方不明になっているはずだ。もっとも、この仕様にした総数が極めて少ないため現存は数丁かそれ以下と考えられる。
元警察官が3人を死亡させた。本人も死亡。