San Francisco 1981
大変に珍しいマツダファミリアクーペが写っている。たぶんロータリーだ。
Colt 系だがモデル名は分からない。エングレーブ入り。
Sturm Ruger Vaquero 357 だと思う。
機種不明
Gunsmith が自作しているところ
ハンマーはロストワックス
10周年ということは、昭和40年(1965)頃に始まった会社だったのか。
もっと前から存在したような気がする。
これらは、過去に紹介したことがある。
七味唐辛子は保存が効くものと思っていた。しかし、冷蔵保存しても風味は消えてしまう。
フランス料理にはカエルがある。中国もカエルを食用にする。
一時の流行でしかなかった、丁寧な暮らし。
昔から公然の秘密だった、北朝鮮大使館の犯罪。
逃走車を止める
1950年代のサンフランシスコ。所々間違いがある動画。Bay View Window(出窓)の多い風景は一応サンフランシスコらしい。
ケーブルカーにパンタグラフがあるのは大き過ぎる間違いだ。ケーブルカー自体に動力はなく、地面の中にあるケーブルが動いているものだ。
石畳の道路は、あの街にほとんど存在しない。
--- since 1979 #79 ---
1964年、船で単身渡米した人物。10年後に Golden West Sports Tour という射撃ツアーの会社を会社を興し、さらに High Bridge Arms の経営者となった日本人Takahashi氏の話。
1964年、ひとりでサンフランシスコ行きの船に乗った時点で、Takahashi氏はアメリカの法律など詳しく知らなかったはずだ。
日本の360円が1ドルにしかならないことは知っていたが、学校に行くためどれくらい費用がかかるのか住む所はどうするのかなど現実的なことはあまり良く分からず、外国人は就労できないことも知らなかったのではないかと思う。
1960年代前半だとアメリカ生活を紹介する雑誌などほとんど存在しなかっただろうし、大金持ちの子弟を除いて実際にアメリカ生活を体験している人も周囲にはいなかったのである。
「とにかくアメリカに行く! 英語は現地で覚える。仕事は何でもする」といった程度で船に乗ったのが実情のような気がする。
しかし、思い切って行ってみたら現地には無料で英語を教えて学生ビザも発行してくれる学校があった。外国人の就労は今も昔もできないことになっているのだが、実際に行ってみたら思いのほか簡単に働き口をみつけることができた。
英語の授業になんとかついていけるようになってからTakahashi氏はカリフォルニア州北端の学校に行き、日本に居たころ考えていた木材の輸出などをしようと頑張っていた。しかし、そういった会社に履歴書を送っても反応がまったくなく、4年半ほどの学生生活を終えるとまたサンフランシスコでレストランの下働きをしていた。
在学中はとにかく金を稼がないと生きていけないため、休みの期間はカナダ・アラスカ・ネバダ・ユタ・メキシコなどに行き、鉄道工夫の仕事などをしていた。炎天下での鉄道工事など普通の人は耐えられず、アメリカ人はすぐ辞めてしまう。残るのは中南米から来る不法移民だけだ。そんな不法移民たちでも何故か銃を持っていて、休みの時はそれで遊んでいたそうだから面白いものだ。
Takahashi氏は学校で知り合った男(ベトナム帰還兵のJack)と気が合い、よく一緒にハンティングをしていた。この頃、氏は初めてハンドガンを撃った。Sturm Ruger Mark1だった。射撃は獲物を倒すための道具として考える人だから、ライフルこそが銃であってハンドガンに関心は持っていなかったようだ。
当時は銃の入手が簡単だったのでJackは他にもいろいろな物を持って来て、ウサギや鹿を撃っていたという。鹿を仕留めるとしばらくそれで肉はまかなえる。つまり、貧乏学生にとって趣味と実益を兼ねたハンティングだったのである。
日本の人には信じ難いことだろうが、アメリカの自然は規模が桁違いに大きく、七面鳥や鹿など食用に適した獲物が無限というほどいたのである。












