ウエサク祭は18日の夜に行われますが、満月になる時間は19日朝6時なんだそうです。微妙な時間ですものね、それで前日に行われるとの説明を読みました。

 

さて、だいぶ前の話ですが(30年くらい?)、そのころ懇意にしていた方が、インドでダライ・ラマ法王に謁見する機会があり、直接会話を交わした(相当なコネがあったようです)ときの様子を聞く機会がありました。

そのときの話で唯一今も覚えているのが、メッセージ(霊的感性)を受け取ったときの注意点を法王がこんな感じでおっしゃったことです。

 

「自分もメッセージを受け取ることはあるが、鵜呑みにしない。

その信ぴょう性を確かめるためにも、2か所から同じ内容を示唆することを得るようにする。

ふと見た雑誌、テレビなどからも、正しければ必ず同じ内容を見させられる。

必ず、それが正しいものかどうかをチェックすること。」

 

それはスピリチュアルを軽んじるなという警告でもあったように、聞きながら思いました。

メッセージが自分のところにも来た、となると、浮かれ喜ぶ方もいますが、私は、そういうことに振り回されて自滅する人を幾人も見たので、特に内容が壮大なものほど、慎重に見聞きするようにしています。

 

では自分にはないか?

個人的な指導を受け取ることはありますが、書き留めるほどのことでもないし、内なるアドバイザーから簡潔な指示が来る→即行動、という感じです。

小さいころは、翌日、親に怒られるとかはキャッチしてました。なぜ分かるのか、まったく考えたことないけど、母と会話してる最中に(ぎゃー明日あのことがばれて、めっちゃ怒られる~~)と怒られてる場面が見え、好きなものを買っていいよとお菓子売り場で笑顔で言われても、「・・・今日はいい」としおらしくしてました。そして案の定、怒られるw。

そういう勘は働かなくていいのに、なぜか分かるときってありますよね。そうなんですよ、みんな、誰もが、メッセージをキャッチしてる。きっとあまりにも自分の中に普通に溶け込んでるから、気づかないだけ。個人が持つ能力の違い、個性ですよね。「超」をつけたくなるから、ややこしくなる。

 

さて、なぜこんなことを前置きにするかというと、今月に入って、これはどういうことなんだろう?と夢か幻かと思いたくなるような事があったんですね。同時に、それに付随するメッセージ性の強いビジョンも見えました。それらをフォルダーに仕舞い込む前に、前述のダライ・ラマ法王がおっしゃっていた、「同じ内容が2か所から」、それも探したわけではなく、目や耳に飛び込んできたのを見て、これはもう自覚せよ、ということかと受け取りました。自覚って何に?

 

それは、鞍馬寺で感じたエネルギーと縁がある、ということと、自分の内なるアドバイザーは、ヒーラーの系列であるということ。これを誰に向かってではなく、ただこのブログで書くことで、「より責任をもって人生を生きる」、ことの、自己とガイドへの宣誓になるのでしょう。

なぜ、このことを書くのか、エゴの私は「???」でした。でも今、上の一文を書くことで、あぁそういうことかと納得しました。この満月に合わせることも、私には必要だったようです。

 

興味ない方には申し訳ない駄文なので、どうぞスルーしてください。ですが、もう少し、このテーマについて、解き放つことがあるようです。

 

15離れてる従兄から、久しぶりに公演のお知らせが届きました。

 

大学時分にシェイクスピアに魅せられ、劇団に入り、私が小・中学生の頃、内容も分からず、よく渋谷ジャンジャンに親に連れていかれました。ずっと変わらずシェイクスピア♡ラブの思いを抱いて、後輩に伝えている姿は尊敬に値します。

 

従兄の実家(母の姉の家、車で数分の距離)に私はよく預けられていたので、従兄が帰省してたときは相手をしてもらってました。

ほとんどの思い出は忘却の彼方なんですが、これだけは覚えてます。

 

小学校低学年のころ、私が文章を考え、それに従兄が絵を描く。

それを紙芝居仕立てにして、二人で制作し、それを夏休みの宿題にして提出した記憶があります。

たぶん、起承転結になるよう、さりげなくアドバイスを入れてくれたんだと思う

自由に、柔軟に、制約なしに、物事を考える楽しさ、従兄が多角的に物事をみるキッカケを、このときに与えてくれたのかもな~。

 

目の前にいる人の視線(批評)を感じずに、発想を果てしなく巡らせ、それをオープンにするというのは、できそうでできないこと。従兄は人の壁を解くのが得意技なのかもしれないよね。

しかも、今考えると、従兄がしてくれたことって、ワークショップじゃない?!

従兄からワークショップを受けた第一号かもしれないぞ、私(笑)。会ったとき、そんな話もしてみようかな。

 

明日5月18日、京都鞍馬寺で年に一度の「ウエサク祭」が行われます。五月満月祭ともいわれていて、同時にヒマラヤなど世界各地でも同じ「ウエサク祭」が行われてます。

 

「新緑の五月の満月の夜は、全てのものの目覚めのために天界から強い エネルギーが降り注ぐと言われ、満月に清水を供える五月満月の秘儀が鞍馬山で執り行わていました。遥かヒマラヤでもこの夜に釈尊の徳を讃えてウエサクの祭りが敬虔に営まれている事がわかり、戦後、五月満月の秘儀を「ウエサクさい」  とよんで広く公開し、全ての目覚めと平安を祈ります。」(鞍馬寺 年中行事より転載)

 

鞍馬寺 より詳しいことは←をポチ上差し

 

私はウエサク祭には行ったことがないのですが、鞍馬寺には一度だけ、15年くらい前に訪れました。

知り合いに、鞍馬寺の奥にある魔王殿の周辺に行くことを勧められたことがきっかけです。

 

祖父が神主をしていたにもかかわらず、神社仏閣にはホント疎くて、鞍馬寺のことももちろん、どこに建てられてるか、なにが祀られているのかも、ほぼ知らずに現地に京都在住の知人に連れて行ってもらいました。

 

(内緒の話)今現在のことは知らないのですが、私が行った当時は、魔王殿の奥(本殿)に入れたのです。写真を探したのですが、当時のガラケーで撮っていたようで、残念ながら残っていませんが、90年代に行った方のブログを見つけたとき、その方は本殿側からの写真がアップされていたので、昔は参拝者も出入りできたのかもしれません。

 

初めて行った魔王殿。強烈でした。

知人が拝殿で普通に参拝をしている横で、なにか居ても立っても居られなくなり、拝殿と拝殿前にある灯篭?とをグルグルまわり出し、気がすんでから知人から勧められた、あるスポットを探し始めました。

でもそれがぜんぜん分からない。ある地から入れる小道があると聞いていたのですが、どう探しても見つからず、諦めかけたとき、なぜか(ここじゃん!)と思いが湧き、それを口に出したのです。そのとたん、まるでそれまで隠れていたヴェールが出現したかのように、見えてる世界がユラユラと歪みはじめ、連れてきてくれた人とともに「なに?なに??」ときょとんとするしかありませんでした。ユラユラがおさまると、同じ場所だし、見えてるものも変わりないのですが、感覚だけは別次元。絶対なる安心感に包まれて、子供が二人、その場で楽しんで過ごしている、そんな状態に20分ほど浸っていました。

 

そろそろ帰るころ・・・と思ったとたん、だんだんと物質的な次元、それまで触れていたものがフワフワから、硬く形のあるものに変わっていく感覚にと戻り、ふ~と息を吐いて、山を下り、貴船神社へ向かいました。

 

知人はその後、ウエサク祭に参加したようですが、私はそれっきりになっています。当時はこのことが何を意味するのか、まったく分かりませんでした。いつものように「不思議なこと」フォルダーに収め、深く考えずに人生を進んでいったのです。

ところが、最近、このことにリンクするようなことが身の回りで起きはじめ、時間は一方通行ではなく、螺旋し、そのスポットに重なり、五感と五感を超えた感性の両方を授受したとき、変容が生じるのかもしれないと思い始めています。

(もう少し、詳しいこともお伝えできたらと思っています。)