JAMIELAND にようこそ By SEI JAY

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入園料タダ、アトラクションもこれまたタダのワンダーランド

今年も無事に最初の1日目を迎えました。
 
まずは近所の神社に出没。昨年鈴を鳴らせられなかった芸能の神様に会いに行ってきた。
 
(鈴を鳴らせなかった理由は以前のブログ ”2025年いらっしゃい” をご覧ください。)
 
さて今年は鈴の引き手がなんと新しくなっていて、遠慮なく引けそうな感じ!
 
そのとき本堂の奥になにやら人影のような気配。ひょっとして神様が戻ってきたのかなと思ったら、
よく見ると奥にある鏡に自分の顔が写っていた。
 
おれは神様か??!!と思うまもなく、背後の列からの視線を感じ、そそくさと退散した。
 
それではよその大きな神社の境内はというと、まるでパチンコ台の順番待ちのパチンコ玉のごとく
 
徐々にはき出されるのを待つばかりの渋滞状態。
ミツバチの箱じゃないんだけどね。
 
今年の抱負とか言いたいんだけど、まずは自分のコントロールできる時間を増やすこと。
 
世の中の流れが激しくなってきたので、噴火した溶岩に巻き込まれないよう直感力をアップグレード。
 
真実よりダミーが増えすぎたので、情報量をある程度制限しながら、再び直感力を鍛える。
 
人生を1ページ1ページめくっていくのがいいのか、串刺し検索で一気に楽しむ方がいいのか、残りの人生をの使い道は君次第だ。
 
僕は今のところページめくりで人生を楽しんでいる。
 
では皆さん良いお年をお過ごしください。愛と平和をこめて。
 
恒例の年末のブログ納めです。
 
さて、どんどん書き進めようと思うのだが、ひらめきがまだ降りてこない。
そこで昨年の ”2024年ありがとう” を見返してみることにした。
 
なんか、2024年の起こったことじゃなくて、相変わらず妄想を書いていたのがわかった。
なので今年は実際に起きたことを思い起こしてみた。
 
あいかわらず振り幅は大きくなく、ドカーンと表現できることも多くはなかった。
変化したことと言えば、特区民泊が近所にやたらと増えた感じだ。
なんと隣の家もつい最近民泊と化した。
これがどういう意味を持つかはそのうちわかると思うけど。
 
今年はいい意味でも悪い意味でも世の中の流れが動き始めた。
その分飽きないけど、結末はハッピーエンドを望む。
ハッピーエンドへの期待があるから生きていられるんだから。
 
さあ今年も僕の人生劇場の登場人物たちには大変感謝いたします。
この人生劇場の結末はやはりハッピーエンドでいいかな?
 
中国からの団体が減ったというので、奈良と京都に行ってみた。
 
奈良は小さい頃に学校行事で行ったきりで、あまり記憶がない。
実際まだ歩けるくらいの混雑だったので、快適だった。
 
奈良公園の鹿だけど、どちらかというと距離の近い、放し飼いの自然公園のようですね。
 
お辞儀のポーズ(鹿にはそのつもりはないと思うけど)わざとやらせようとする人間のエゴは好きではない。
 
京都はさすが人は多かった。清水寺への山道はまともに動けないほどだ。インドの団体やらとにかく外国人が多かった。
 
1日2万歩越えのいい運動になった。
 
今回はホテルの温泉目当てだったので、それは良かった。
奈良では露天だったので解き放たれた。
おかげで体がポッカポカで思わず爆睡してしまった。
 
次回は京都なら平等院方面に行ってみたい。
 
 
 
人生でめぐり会える人は、ある程度限られていると思われている。
 
時間は流れでなく、人生で起こり得ることを順序整理したものであるなら、起こりえることはほとんど用意されているということ。
 
めぐり会うべき人にめぐり会うのは、生まれてすぐかもしれないし人生の最後の方かもしれない。
 
街角ですれ違う人かもしれないし、またコーヒーを注文した人かもしれない。
 
それに気づける人は幸運だ。
 
生まれたときから今の世界に順応させられて、選択の余地すらなくて、いいか悪いかよりいかに生き抜くかとか、
生きる意味に振り回され、自分なりの答えを、とりあえず自分で納得する。
 
いったい僕たちにどうしろというのだろう?
 
その答えはきっと、めぐり会うべき人にめぐり会ったときにわかるのかもしれない。
 
僕らは生まれてから現実の世界に生きて、
そのうち満たされないものを理想と呼んだ。
 
でも人生の中で理想というものが次々叩きこわされ、
あとは希望に縋るしかなくなった。
 
希望というのはそんなに強くなくて脆いものです。
 
叩かれて壊れた理想の外殻が剥がれると、
なんとそこには希望と融合した揺るぎない真の幸福が
隠れている。