ども。相方みかんが社員旅行のため、1人で家にいます。
昨日はいちんちレポートしたり資料集めをだらだらと時々ピグライフしながらやっていました。
今日はふらふらとあるブログに引き寄せられたり、オートレースのライブにひっかかってしまったり。
片平ああ、何だよお。おばさんの希望を背負ってるんだからスタートで終わらないでくれよお。
・・・人に自分の修論の未来を託してはいけない>ぢぶん。
ちなみに元スマップの森くんは決勝進出しました。偉いね、記念だし。優勝はしないだろうが。
という具合に例によってどんどん話がそれていくのですが、この癖はブログ以外ではマジ止めよう。単位落とすで。
そこで終わるのは気分悪いので話をまるきり変えて今日の出来事。
頂いたお手製マーマレードのビンを開けようとしたら開かなかった。
うそ。いくら病気と言ってもこのあたくしが?
何度かチャレンジするが、指の調子は悪いし総伸筋腱が肥厚していて切るとヤバいので諦める。
しかし自分の商売を考え、「無理くりでなくても方法があるはず」と戻ってビンの蓋を温めたりする。
しかしやっぱり開かない。相方が明後日帰ったら開けてもらおう、と諦める。
・・・しかしやっぱり自分の商売を考え、「1人暮らしの患者さんはどうするのだ、開けてくれる人を探せと言うのか?」と戻って、滅多に使わない道具を出して使ってみる。
・・・開いた。
道具を使うのはサルでもできるが、人間は道具をつくる。
ワニさんグレイト。(このネタは姉のブログ向きなのでブツの画像は載せない)
んで、何が言いたいかと言えば、ある所で「PTは生活生活いうより身体機能を上げてなんぼ、評価だけじゃ意味なし」、というようなニュアンスのことを見たのだが。全くその通りだと思う、そこは賛成だ。生活や環境を変えるのはPTじゃなくてもできる。そして評価できても改善できなきゃ意味なし。
だが、その身体機能の向上が限界と見た時はどうするのだ。それでも頑張らすのか。患者の限界じゃなくてPTの限界だと言うのか。(そして評価については技術と表裏一体と思うがまあいいや)そこで、この機能で生活するにはどうするよという話に帰ってくると思うのだが。
書かれた方は老人のリハはお嫌いのようなのでその発想はないか。ご自分の得意なフィールドを選んで独立成功されているようなので、少し偏ってるなとは思うが細かい点を挙げて反論するほどのことではない。
一つ言うなら、この仕事始めて3~5年ぐらいは、ちゃんとやってさえいれば一番技術的に伸びる時なのでついこのまま直線的に伸びちゃうような気がしちゃう時だ。
しかし、脳卒中直後の患者さんと同じで実は技術の伸び方は直線的ではなく対数関数的だ。
そして残酷だが、やはり才能・センスが最終的には物をいう、と思う。外科医と一緒だ。
つい使い勝手のよい手技に持ち込んで、それでも患者さんはそこそこ良くなるので1人よがりになる。それは嫌だからボコられるのを覚悟ですごい研修会に出て、やはりボコられる。で、練習するのだが相手は「神の領域」なもんだからそんな簡単に教わった技が身に着くはずもなく、ある程度で足踏みする。
しかしそんなプラトーに見えて、それでも頑張っていると、ある時突然対数関数から3次関数になったような伸び方をしちゃう人もいる、でも終わっちゃう人もいる(笑)
それは確かに経験年数の問題じゃない。
でも上手い下手なんて外から見えないから(患者さんの間では噂にはなってしまうんだけどね)我々は経験年数で測ってしまう。(といっても10年越える頃になると自分が何年目かわかんなくなるが)
だから本当の技術の上手さは独立して稼げるか稼げないかという考え方はある意味間違ってはいない。腕が良くても人あしらいが下手な人もいるので稼ぎ=技術でもないけどな。
と、思った。
まあ、早くに独立した場合、何年続くかということで真価が問われるだろうからそれも大変だな。
教えるのも確かに勉強になるのだが、下ばかり見てると余程の才能でない限り、こっちの成長が止まるのだ。
そしてわしは余程の才能ではない(笑)
才能は外から見えないし、技術は自分より上手いか下手かぐらいはわかるが、物差しはあくまで自分と、その自分が今までみたすごい人との間で測ることになるのであまりアテにならんのよね。
例えるなら、ち〇ぽの大きさを物差しで何センチと測ってから、あいつはオレの何倍だというのなら誰でもわかるだろうが、物差しがないからといって、
「オレはあの大学生よりでかかった」と言われても大学生がエノキレベルかもしれんし、
「彼は小学生より小さい」と言われても小学生がマグナムかもしれんし、参考にならんといいいながら結局経験年数で比べてしまっているやんかという罠。・・・ちょっと変な例えだがまあいいや。