中途半端なKYぶりが残念なわたし(長文失礼) | 週刊さんでいリターンズ

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起業系コメントが面倒になったので(わしはまだ病院にいたいんだお)、コメントは承認制にしました。基本知ってる人のコメント以外は承認しませんのであしからず。1日10人も見にこないブログで営業しても効果は少なかろうになあ、ご苦労さま。まあ、頑張ってくれ。

ども。改めて研究のアウトカム(目指すところ)で今更悩んでいるさんちゃんですこんにちは。

・・・自分のバカっぷりに改めて嫌になるな。怒られて当然だ。


先週は怒られはしなかったのですが(逃げてるからだ)、ゼミの方々と一緒に行動していると改めて自分の空気の読めなさに自己嫌悪に陥ること甚だしいのであります。改めて、がここまで4つも出てきたのにちっとも改まらないのが極めて残念だ。

この業界に入って、学校でもそうだったし、実習でもそうだったし、就職してもそうだったし、今の学校でもそうだ。間違いではないのだがそれはあまりやらないなあ・・・というぎりぎりのラインを普通に越えてしまうのがわしの困った所だ。

間違いではない。しかし微妙。
空気は読めない癖に、そういう周囲の顔色と文脈は読めるので、途中で合点がいって心の中で冷や汗をかくこと多少。

前の職場では、些細なことに目をつぶれないお局様が数人いたので、ご注意を頂き「ごめんなさい」と謝って直せば済むことだった。はっきり言わずに陰口で言う方もいたようだが、誰かしら注意をしてくれる人がいたのでありがたいことだった。特別な信念がないのであれば微妙な線は超えない方が好ましいとわしも思っている。


だったら初めから気づけばいいのだが、残念なことに気付けない。(探すの面倒なのでリンクしないが偽新人時代のダメなわしをご存知の方はおわかりかと存じます)
元々が人のことをあまり気にしないので、本来医療の仕事には向いていない性格なんだろうと思う。好きではなかった株屋の仕事では怒られるなんてことは実際にも考えたこともなかったので(会社側の不備は別だ)、本人の性格と嗜好って違うのよね、がっかり。

この業界に入ってそれなりに性格の欠陥を本人の注意で補えるようになったと思ったのだが、ちょっと環境が変わるとすぐこの有様である。しょんぼり。

例えばだ。これは本当にくだらない例なのですが。(くだらなくない例は挙げたくない・涙)
ゼミで発表がある時にゼミ生がみんな端っこの方に座っているとする。わしは何の疑問も持たずに真ん中の後ろの席に座ってしまう。すると後から来た教授がわしの前に座る。

何も間違いではない。席は空いているので別に構わんのだ。だから誰も注意はしない。
しかし、席の近さは心理的かつ身分の近さでもあることに教授に座られた瞬間にさすがのわしも気づく、空気は読めないが文脈は読めるので。

みんな遠慮しているというか、近くに行くのは畏れ多いと思っているのだ。
わしだってそうだ(泣)近づきたくない、自分の出来の悪さを痛感しているのに。仰木監督を恐れなかったイチローじゃないんだからさ。みな初めからわかっていて両端の列に窮屈でも詰めて座っていたのだ。初めから気づけよなあ、わし。

と、ゼミの皆様は多分気にしていないようなことだが過敏に反応して一人で胃を傷めたりする。
(前の職場であったらご丁寧に「そこは座らない方がいい」とゼミの”後で”言うお局様がいたはず)

うちのゼミの皆様は、わしが年寄りだということを差っ引いても、どうしてここまでというぐらい寛容な方が多い、と外部から入った同期(といってもわしより遥かに若い)と驚いている。

あれだけ教授に叩かれれば謙虚にもなるよなあ。もっともここまで叩かれるバカはわしだけだろうが。


こうまでやっつけられるのは、一重にわしに才能・頭脳・思慮が欠如しているから、繰り返しでしつこくて読んでくださる皆様も飽き飽きかと思うが、一言で言えばバカなのだが、それでも医療業界に来て良かったなあと思うこともある。

バカだが、自分がバカだということはわかるようになったことだ。バブルの頃働いていた株屋の時代には気づいていなかったよ。

それから、想像力と言うか、妄想力が豊かになった。
元々本を読むのが好きだった。人生をシミュレートするには読書は適していると思うが、病院はそれ以上だ。何分リアルに人の死がごろごろしているのだし。(その話はまた長くなるので別の機会に)

想像力が豊かになって何が得かと言えば、腹が立つことがとても少なくなることだ。
いろいろな現象を勝手に想像して納得するので、人に対して腹が立つということはほぼない。ストレスが減る。もっともそれ以上に教授からのストレス負荷がかかる訳だが(笑)

だったら、もっと空気が読めると自分に対して腹が立たなくてよいのだがなあ(涙)自分が一番のストレス源だ。