元気ですかー。
今日は朝から学校に行ってみましたが、雨だしスクールバスは混んでいて道は渋滞でバスから降りようとしたら膝も足も手も痛いし萎え萎えでした。
しかしうちの母をみれば、75歳まで生きていればこのぐらいの痛みは抱えてるだろうし、その状況で夫の介護をするのだろうし、下手すれば親の介護までしているかもしれない。そりゃ無理心中図りたくもなるだろう、と思いついたら、
「よくまあ今まで患者さんのことわかるなんて思っていやがったな、このへぼ理学療法士め」
と、いきなり自分を責める方向へ走ってしまい、思わず死んでしまおうかと思いました。
しかし、自分の師匠じゃない教授に質問メールを打っておいたら、参考になりそうな文献を教えていただき、図書館で印刷がてらその先に必要になりそうなものをたくさんアウトプットしている最中に、教授より「施設の見学OK」とのメールも入っていました。ありがとう教授(涙)
どうやらまだ死んでる場合ではないらしい。
とりあえず、1日に1文献以上読むのが自分への宿題です。
萎えていようがやる気がなかろうが、関係ない。動け>わし
話は変わって。
スクールバスの中で、現役大学生たちの会話が微笑ましかった。
大丈夫、仕事はどこにでも何ぼでもある>看護学生さん。
彼らをみていると「”あっち側”の人だよなあ」と思う。
うちらぐらいの年齢だと”あっち”と”こっち”が混在している。
病気持ちのわしはまぎれもなく”こっち側”の人で、万が一病気が治ったとしても(困難だが)、年齢的に”あっち”に戻ることはありえない。
こっち側の人は「今生きてること」や、「病気になったこと」に感謝なんかしてみちゃったりする。病気になったから、今まで当たり前だと思っていたことに感謝ができるのだそうだ。
ようするに、なんでもありがたやありがたや、ってことだな?
年寄りくさいな。
最近確かにわしもありがたや傾向ありあり。でも病気には感謝しないな。
病気じゃなくても歳とればほっといてもそうなるもん。
何でこんな痛いことに感謝せにゃあかんのや、あほか。
そして医療系であっても、やはり”あっち”の人は”こっち”の人の心情を本当にはわからない。
でも、それでいいんだと思う。若いうちから分別ありすぎたらつまらんよ。
結論は特にないです。わしが本当の年寄りだってことぐらいだ。