天高く馬肥ゆる秋。 | 週刊さんでいリターンズ

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起業系コメントが面倒になったので(わしはまだ病院にいたいんだお)、コメントは承認制にしました。基本知ってる人のコメント以外は承認しませんのであしからず。1日10人も見にこないブログで営業しても効果は少なかろうになあ、ご苦労さま。まあ、頑張ってくれ。

物言わざるは腹膨るる業なりといいながら物言えば唇寒しとも言う。
物事には二面性がある、というわけだ。ちょっと違うか。
OT科の方は論理学の授業があってわけのわからんことを考えさせられるらしい。
うちらもわけのわからん先生の授業があってマリナーズ戦を見たいばかりに授業を
10分早く切り上げるのだがまあいいや。少し頭を使う訓練をしようと思った。
田原逮捕で思う所があって、お題は競馬。

競馬が人生の比喩なのではなく人生が競馬の比喩なのだ、とは寺山修司の言葉だ。
競馬好きな人は博打打ちの中では良く言えばロマンチスト、悪く言えば女々しい
気がする。人のする事というのは八百長も含め計算や理解をしやすい事が多いが、
馬のする事は分からない。が、分かる時もある。正確に言えば分かる気がする時
もある。それは馬と自分がシンクロした、又は自分の想いが伝わったからだ、と
考える競馬ファンは多いと思う。その他に競馬には馬のライフサイクルが早い分、
血統を追えるという特徴がある。血統妄想という症状もあるが、人間は割と良血統が
好きなものだ。また血統はストーリーを創る材料にもなりやすい。

自分の創ったストーリーや思い入れが馬に「伝わった」という思い込みに変わる。
それを唄った美文もどきは各種競馬本でよく見る。人に同意を強要しない限りは
それはそれで結構だと思う。酒の席でそんなことを唄われると競輪やオートより
余程鬱陶しい。競馬ファンには必要以上にしつこい人が多いので。
(もっとも奢ってくれるのなら大人しく聞く)

私が思うのは競馬は才能の有無が厳しく表れる競技だということだ。1年に15人
以内の新人騎手、9000頭以上の新馬が輩出されるが上位ランクに属する騎手は
2割程だ。馬では血統を残せるのは牡馬で0.5%、牝馬で31%に過ぎない。
競輪では地域等での助け合いがあるが、競馬の騎手は調教等で食べる事は
出来ようが、馬主がいる関係で実力がなければレースに乗せてさえもらえない。
馬もそうだ。僅差なら別だが動物の世界では一度ついた順位が変わる事は
あまりない。

だからこそ実力が1番でない馬や騎手に思い入れして、それが勝利を収めた時の
喜びは大きいのだろう。それがまた競馬ファンをロマンの世界に向かわせるのかも
しれない。

理論の流れはイマイチだが今日は日文モードなのでこんな所で。